第208話 リハビリ(後編)


 翌日、日曜日。


 緑依風、風麻、爽太、奏音、星華の五人は、「期末テスト前にパーッと遊びたい」という星華の呼びかけで、冬丘のショッピングモールに遊びに来ていた。


 そして今は、昼食を食べにモール内のハンバーガーショップにおり、『亜梨明日記』の話で盛り上がっている。


「ねぇねぇ、亜梨明の写真なんだけどさぁ~!」

 奏音が小さく表示されたサムネイル画像をタップし、四人の前に拡大表示された写真を見せた。


 日記の文面と共に投稿された写真の亜梨明は、テーブルに突っ伏した状態で親指を立て、サムズアップしている。


「亜梨明ちゃんには悪いけど、私これ見て思わず笑っちゃったよ~!」

 緑依風が言うと、奏音はぷふっと口から息を吹き出し「私も!溶鉱炉に沈んでいくアンドロイドか!ってツッコみ入れそうになった!」と言った。


「……にしても、全部飲めたとか、激マズだっていうけど、そんなに不味いのか~これ?市販の栄養ドリンクと見た目変わらない気がするけど?」

 日記を読み直す風麻は、まるで大げさと言わんばかりに眉をひそめ、疑っているようだ。


「……なぁ、爽太は飲んだこと――」

 風麻がスマホ画面から顔を上げ、飲んだことがあるかどうか爽太に尋ねようとした時だった。


 聞かれた瞬間、彼はまるで思い出すのもおぞましいといった表情で口元を手で押さえ始め、爽太の隣に座っている星華も、彼と同じく青ざめた顔を歪ませている。


「え?どした??」

 風麻と緑依風と奏音が、だんまりになってしまった二人を不思議に思いながら見つめる。


「……思い出したくない」

「私も……最初にビンの画像見た瞬間、口の中がマズくなったもん……」

「正直……術後の痛みよりも拷問だった……っ!!」

 爽太は顔を覆い隠してしまい、蘇るあの味の記憶を再び封印しようとしていた。


「日下はともかく、なんで星華も味知ってんの?」

 奏音が聞くと、「ほら、うちのママ医者だからさ……」と、星華は説明を始める。


「……医療関係の人に、たまにサプリとか栄養ドリンクの試供品もらうんだよね。遊び疲れて食欲ないって言ったらくれたんだけど、一口飲んですぐその場でゲロ吐くレベル……」

「そ、そんなに……?」

 過大表現などではなく、本当に恐ろしい味なのだと理解した緑依風は、ゾッと寒気を感じて自身の両腕を擦る。


「ママも酷い味だって言ってたよ……。亜梨明ちゃん、あれを一日三食なんて……」

 星華は、ドリンクを飲み切った彼女の写真を憐れむように見つめて、早くこの混沌の飲み物からおさらばできる日を願う。


「僕は……元々すごく偏食持ちだったんだけど……あの栄養ドリンクのおかげで、それまで嫌いだった食べ物が美味しく感じるようになって、好き嫌いを殆ど克服したよ……」

 爽太はようやく顔から手を離し、己の体験談を語るのだった。


 *


 午後五時前にはモールを出て、夏城に戻ってきた五人。


 お隣同士の家の緑依風と風麻は、最初に駅のすぐ裏側のマンションに住む星華と、その後奏音と爽太と手を振って別れ、二人きりで自宅までの道を歩いている。


「――にしても、偏食が無くなるレベルのマズさってどんな味なんだろうな?」

「ポーカーフェイスの上手い日下がああなるくらいだよ?絶対飲みたくない……」

 緑依風が、多少のことでは大きな反応を見せない爽太の動揺する姿を思い出しながら言うと、風麻は「俺もそれ飲んだら、好き嫌い治るかな~?」と興味津々な様子を見せた。


「さぁ、どうだろう?……っていうか、そんなのに頼らずとも、風麻はもう少し食べれる野菜を増やす努力した方がいいよ。特に緑黄色野菜!」

「……別に俺が好き嫌いしても、お前に迷惑かけてないだろ」

 風麻が不服そうに小指で耳の穴を塞ぐと、「ダーメ!」と緑依風が声を張りあげた。


「ビタミンとかカロテンとか、体に必要なものも意識して摂取しないと!お肉と米、ケーキばっかりじゃバランス悪いよ」

 正論であったとしても、苦手なものをできる限り食べずに生きていきたいと考える風麻は、「お前は好きなやつに嫌いなもん食わすのかよ……」と、鬱陶しげに言い返す。


「食べさすよ!だって、ずっと健康でいて欲しいじゃない!」

「――あ?」

 予想外の理由を知り、驚きにポカンと口を開いて立ち止まる風麻。


 緑依風も、彼が足を止めると同時にピタリと止まり、目を丸くした状態で固まる風麻を見て、首を傾げる。

 

「……もしかして、お前が俺に“好き嫌いするな”ってうるさいのは、そういうこと……?」

 呆気にとられたまま質問する風麻に、緑依風は「えっ……?それ以外無いでしょ……?」と、当然といった顔で答えた。


「ふーん……なるほどね~……」

 これまで、ただやかましいと思っていた指摘の真意を知り、風麻は含み笑いを浮かべながら歩き出す。


「お前、そんなことまで考えてたのか~」

「な、なに……引いた?」

 風麻の三歩後ろから、慌てて彼を追いかけた緑依風は、気味悪がられたのではないかと不安に思う――が、くるっと後ろを振り向いた彼は、ニィッと歯を見せるように笑い、「今の……二十五パーセント!」と言った。


「え?」

「俺の健康のこと、めっちゃ心配してくれてるってのが嬉しいからな!」

 言葉の意味を理解した緑依風は、クスッと声を漏らし「そうだよ」と言って、彼の隣に並んだ。


「しゃあねぇな。好物になる気はしねぇけど、なるべく食うようにするか」

「うんうん、その方が風麻の体にも良いし、ご飯作るおばさんも喜ぶよ」

「……ところでお前は、ケーキしょっちゅう作って試食してんのに、なんで太んないんだ?――まぁ、痩せ型ではないけど……」

 風麻が不思議そうに聞くと、緑依風は「失礼しちゃうっ!」と風麻の肩を叩いて不機嫌になる。


「……これでも一応、気にしてストレッチとかは毎日やってるんだよ?風麻みたいに長距離を走るのは苦手だから、せめて柔軟体操くらいはって……」

「へぇ〜……」

「…………」

 拗ねた顔つきの緑依風だったが、その表情はだんだん弱くなっていき、落ち着かなさそうに跳ねた毛先を触り始める。


「……や、やっぱり……風麻はもうちょっと痩せた子の方がいい?」

 やや顔を赤らめた緑依風が、気にするように上目遣いで風麻に聞くと、彼はそんな彼女の仕草や表情にときめいたことを悟られぬよう、「いんや、別に?」とそっぽを向き、「そのままでいい」と答えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る