第207話 リハビリ(前編)


 緑依風がケーキを作っている頃――東京の病院では、亜梨明がICUに来た理学療法士と共に術後初のリハビリを開始していた。


 最初のリハビリメニューは、ベッドから起立し、歩く訓練だ。


「――じゃあ、いいですか?」

「はい!お願いします!」

 理学療法士の先生の肩に掴まりながら、亜梨明はゆっくりとベッドから立ち上がろうとする――が。


「あ、あれ……?……た、立てない……」

 両足を床につけ、ただ立ち上がるだけの動作。


 だが、どんなに踏ん張ってお尻を浮かそうとしても、なかなかベッドから離すことができず、更に力んでようやく浮いたと思えば、亜梨明の脚はまるで生まれたての小鹿のようにプルプルと震えてしまい、先生に支えてもらわなければすぐに転んでしまいそうだった。


「一回座りましょう」

 先生に座らされた亜梨明は、まだ震えの余韻が残るふくらはぎ部分を手で軽く揉みながら、「一週間寝たきりだっただけで、こんなになるなんて……」と、当たり前にこなせていたことができないことにショックを受けていた。


 思えば、術後にこんなに長期間身動きが取れない状態だったのは初めてのことで、今回、手術室に向かう直前からリハビリが開始されるまで、生活は全部ベッドの上のみ。


 トイレも自力で行けず、全てお世話をしてもらっていた。


 介助してもらうことへの抵抗は、もう仕方のないことと割り切っていたとはいえ、歩くどころか立ち上がることもできないとなると――。


「なんか……大きな赤ちゃんになった気分……」

「みんなそうなりますよ。さ、もう一回立ってみましょう!」

 先生は軽く笑って亜梨明を励ますと、もう一度亜梨明を支えて、「せーのっ!」と掛け声を出す。


 亜梨明はもう一度両足に力を込め、真っすぐ立ち上がれるよう床をしっかり踏みしめる――が、背を曲げながら先生の肩から手を離し、自力で立とうとすると、やはり体が大きくぐらついて、すぐ掴まらなければならなくなる。


 後ろでその様子を見ていた明日香は、ハラハラとした表情で娘のリハビリを見守り、亜梨明はチラっと振り返ると、「恥ずかしいからあんまり見ないで~」と、今の姿を見られたくなさそうに、唇を尖らせた。


 この動作を数回繰り返すと、先生はベッドに寝転がったままの亜梨明の脚を曲げたり、伸ばしたりとストレッチするように動かして、「この後も座ったまま足を自分で動かしてみてね」と指示出し、リハビリを終わらせた。


 *


 午後六時半――。


 若い女性看護師が、「お食事ですよー!」と明るい声で言いながら、夕食が乗ったトレーを亜梨明のテーブルの上に置く。


 今日の夕食メニューは、三分粥、具無しの味噌汁、ゼリー、そして――。


「うわ……」

 明日香がテーブルの端に置いた、栄養ドリンク三種類を見た亜梨明は、怪訝な面持ちで声を発した。


 薄い塩味の粥、味噌汁を半分ずつと、ゼリーを完食した亜梨明は、トレーの横に整列された栄養ドリンクのビンの蓋を指で突いてグラグラさせながら、「これ、美味しくないんだよね〜……」と、うんざりした顔で言う。


「チョコ味とバナナ味といちご味、どれがいい?」

 明日香が聞くと、亜梨明は「どれも嫌だよ〜〜っ!!」と上を向いて喚くように拒否をした。


「普通のご飯ダメ……?」

「お昼もおんなじこと聞いてたけど、まだ胃がびっくりしちゃうからダメって、高城先生に言われたでしょう?」

「う〜〜っ……」

 亜梨明は呻きながらビンを睨みつけた後、首をガクッと落とし、観念したように「チョコ味……」と指差して言った。


 明日香は、笑いを堪えながら蓋を開けて「はい」と亜梨明にそれを渡す。


「ゆっくり飲んでね」

「~~~~っ」

 亜梨明は、泣きそうな顔でビンを口に近付け、ちびっと口に含むと、顔のパーツをグシャッと中央に集中させるように表情を歪ませ、声にならない叫びを喉元から響かせる。


「うぅ〜〜っ……!!ドロっとしてるし、強烈で変な甘さの中に苦味もあるし……チョコの風味がしても全然美味しくないよーっ!!!!」

 亜梨明がタオルで口元を押さえながら叫ぶと、明日香も亜梨明のベッド横を通りがかった看護師達も、本人には悪いが可愛らしいという気持ちで、ついつい笑ってしまう。


「少量で必要なエネルギーを摂るためのものだから、ちゃんと飲みきってね」

「わかってるよぉ〜!!でも、口に含んだ瞬間吐きそうなんだもん……!」

 右手に握ったビンを憎たらしそうに見つめる亜梨明は、もう一口飲むと、「うぇ~っ……」と味の感想を発しながら、残量を確認する。


 そして、キッと覚悟を決めた表情になり、残り三分の一の栄養ドリンクを一気に喉に流し込み始めた。


「――あら、飲み切ったわね。偉い偉い♪」

 亜梨明がダンッ――!と荒っぽい音を立ててビンを置くと、明日香は小さく拍手をして娘を褒め称えた。


「今日の日記のネタはこれにしようかな」

「ちゃんと、全部飲んだって書いてね……」

 明日香が呑気に言う隣で、亜梨明は胃から喉に戻りそうな栄養ドリンクが出てこぬよう、しっかり口をタオルで押さえながら言った。


 ◇◇◇


 今日のお昼からリハビリがスタート!


 リハビリ内容は『歩行訓練』でしたが、丸一週間寝たきり生活が続いたせいで、亜梨明の脚の筋力はとても衰えてしまい、立つことすらままならない状態でした。


 自力で立とうとすると倒れてしまうので、リハビリの先生に支えてもらって、掴まり立ち……。明日には立てるといいね。


 食事は主食が朝と昼は重湯。夜からは三分粥に代わりました。


 昨日お伝えした栄養ドリンクは全種類飲みました……が、どれも美味しくないそうです(笑)


 最初はあまりのマズさに吐き出してしまった亜梨明でしたが、夕食の時間はついに全部飲み干すことができました!!


 写真は飲み終えた後の亜梨明。

 やりきった感がよく伝わります(笑)


 ◇◇◇



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