第16章 パーセンテージ
第204話 栄養ドリンク
手術が終わって一日が過ぎた。
人工呼吸器の管が外されてマスクでの呼吸補助に切り替わった亜梨明だが、未だ全身の倦怠感と痛みによって眠っていることの方が多く、目が覚めてもその瞳は半分程しか開かず、虚ろな状態。
しかし、家族の声はしっかり認識できるようで、両親や奏音が話しかけるとぼんやりとした様子で頷いたり、掠れた声で返事をしていた。
月曜日の朝に更新された『亜梨明日記』では、明日香のコメントと共に現在の亜梨明の様子を撮影した写真が載せられたが、点滴や物々しい医療用の機械に囲まれた亜梨明の姿を見た緑依風や風麻、星華の三人は、そういったものを見慣れていないせいもあり、本当に治ったのだろうかと、ちょっぴり不安な気持ちになってしまう。
自らも体験者の爽太は、そんな三人を安心させるように「じきに外れていくから大丈夫だよ」と説明するが、白いシーツに隠れた部分にまで繋がる細い線や、ぐったりと力無く眠る亜梨明の様子は、緑依風達にとってショックなものだったようだ。
*
火曜日の昼休み。
朝礼で梅原先生から休みだと聞いていたはずの奏音が、「おはよ~」と言いながら廊下に集まる緑依風達の元へやって来た。
「あれ……?相楽さん今日休むんじゃなかったの?」
緑依風から伝え聞いていた爽太が聞くと、「いやぁ、さすがに月火と二日も休むのは、やっぱまずいかなって……」と、奏音は参ったようにへらりと笑って言った。
「なーんか亜梨明が大丈夫で気が抜けたっていうか……昨日の夜、家に帰って来てからものすごーく怠くて休んじゃおうって思ってたんだけど、これ以上授業遅れるのも嫌だな~ってさ……」
そう語る奏音の顔色はいつもより若干血色が悪く、疲労が溜まっていることがよくわかる。
「無理しないで……。休んでも、ノートコピーするのに」
緑依風が奏音を労わるように言うと、奏音は「ありがと」と返事をし「でも先生の話聞かないと余計わからなくなるでしょ?」と、残り二時間の授業はしっかり出席する意欲を見せた。
「ところで奏音、亜梨明ちゃんのお見舞い聞いてくれた?」
星華が聞くと、「あー……それなんだけど」と奏音が口を開いて説明を始める。
あの電話の後、奏音が高城先生に友人達が夏休みに見舞いに訪れても大丈夫かと尋ねた所、亜梨明の容態が安定し、回復が順調であれば再び夏城総合病院に転院させる予定なので、会わせるならその方がいいのではないかと彼女に伝えたようだ。
「え、戻れるのか?」
風麻が聞くと、「でも八月下旬になりそうだって」と奏音は言った。
「やっぱり、大人数だと他の患者さんの目もあるからね……。それに交通費やら宿代やらで結構お金かかるし」
「えーっ!東京観光しようと思ってたのに~!!」
星華は、ずっと片手に持っていた旅行ガイドの本を顔の前まで上げ、残念そうに歯を食いしばる。
「あんた……そっちが本命でしょ……」
奏音は呆れながらため息をつき、他の三人も星華のちゃっかりっぷりに苦笑いした。
「でもまぁ、会いに行けないのは残念だけど、最初に聞いてた予定より早く戻れるなら、それが一番いいかも。亜梨明ちゃん、早く回復するといいね!」
緑依風が言うと、奏音は「うん!」と嬉しそうに頷き、風麻達も亜梨明が一日でも早く夏城に戻れることを願った。
*
三日後、金曜日。
亜梨明の体に取り付けられていた管や線は殆ど抜かれて、今は点滴のみとなった。
食事は今日の昼から再開される。
前日まで、亜梨明が口にできたものは水のみで、食事の代わりに栄養剤を点滴で投与されていた。
そのため、せっかく術前に一旦増えた体重はまた大きく減り、顔周りの肉もこけてしまう程痩せてしまった。
「やぁ、亜梨明ちゃん。気分はどうだい?」
亜梨明の様子を見るためにICUにやって来た高城先生が、元気よく声を掛ける。
「うぅ~っ……。まだ体が怠くて重くて最悪です……」
ベッドに横たわる亜梨明は、顔をしかめたまま不機嫌そうに今の状況を伝えた。
施術前より更に低下した体力のせいでなかなか倦怠感が取れず、おまけに大きく切り開いた胸の傷が治りかけて来たことで、痒みにも悩まされている。
「本当にあの長い時間よく耐えたね……。君は何度も危ない状態になりながら、その度に戻って来てくれて……そんな君の頑張りに絶対応えなきゃって、僕は思ったよ……」
「…………」
高城先生が手術中の亜梨明の状態を思い出しながら語ると、亜梨明はゆっくりと体を起こし、優しい眼差しを向ける先生の顔をじっと見つめた。
「――体の不快感はまだ当面続くかもしれないけど、心臓はもう元気な状態だよ。明日からは歩行訓練もちょっとずつ始めたいんだけど、体重もだいぶ減ってるだろうから、今日からこれを飲んでくれるかい?」
そう言うと、高城先生はカラフルな四角い箱を持ち上げ、テーブルの上に置いた。
「これは?」
亜梨明が箱の中身を尋ねると、高城先生は蓋を開け、小さなビンを取り出した。
「少量でたくさんのカロリーが取れる栄養剤だよ。ずっと空っぽだった胃を慣らしていくために、食事は重湯からのスタートになるけど、それだけだと栄養が足りないから、しばらくこれも一緒に飲んで欲しいんだ」
「へぇ〜!チョコ、バナナ、いちごの味があるんですね!美味しそう!」
「うん……まぁ、美味しそうだよね」
亜梨明は興味津々に、ビンのラベルを見ていたが、高城先生はそんな彼女から視線をずらし、気まずそうにしている。
「(騙すようですまない……。でも早く体力つけて元気になって欲しいから……)」
高城先生は、彼女に気付かれぬようそっと心の中で謝り、短く挨拶をして退散した。
*
夕方。
帰りの遅い母に代わって、夕食の準備を終えた緑依風がスマホを手に取ると、ちょうどそのタイミングでメッセージアプリの通知画面が表示された。
「あ、亜梨明ちゃんの日記更新されてる!」
緑依風は画面をスクロールしながら、日記を読み始めた。
◇◇◇
皆さんこんばんは。
亜梨明、今日から少しずつ食事を始めました。
最後にご飯を食べたのは手術の前日だったので、約一週間ぶりの食事でした。
いきなり普通のご飯を食べてしまうと胃に負担がかかるので、しばらくは重湯と具無しの汁物などの流動食が、亜梨明のご飯となります。
普通の患者さんは、こういったものだけで食事のリハビリをスタートするのですが、亜梨明は術後に落ちた体重をなるべく早く戻していきたいからと、しばらくは足りない栄養やカロリーを補う栄養ドリンクも一緒です。
小さな子供でも飲みやすいよう、チョコレートやバナナなどの甘いフレーバーで味付けされているようなのですが、どうやらとても美味しくないと評判だそうで、亜梨明は一口飲んだ瞬間に吐き出してしまいまいした……。
ちなみに今日はバナナ味を試したのですが、他の味はどうかな?
頑張れ、亜梨明!!
◇◇◇
日記の文の後には、亜梨明が飲んだと思われる栄養ドリンクのビンの写真と、重湯をスプーンですくっている亜梨明の姿を上から写した写真が添えられている。
「ええ〜……こんなに可愛いデザインなのに?」
一見、美味しそうに見える可愛いラベルが貼られたビンだが、明日香の文章を読む限り、本当に酷い味なのだろう。
「手術って……終わってからも、すごく大変なんだなぁ……」
緑依風はそう呟くと、『がんばれ!』と書かれたスタンプを送信し、食器棚からお皿を取り出した。
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