第203話 アリア(後編)
正午過ぎから土砂降りの雨に打たれていた夏城町は、午後四時半を迎えた頃、ようやく小雨へと変わった。
『今からみんなで集まれないか?』
グループトークに、風麻がメッセージを送る。
緑依風はそんな彼の文面を読み、いつも勉強会で利用する木の葉のミーティングルームを集合場所に提案した。
木の葉に全員集まった時には、雨は完全に止み、屋根から伝い落ちる雫が、ぴちょんと音を立てて軒下の水溜りと一つになった。
「――なんか、気になって落ち着かなくてさ……」
椅子の背もたれを体の正面にして座る風麻が言った。
「私も……店を手伝ってる間、ずっと気になってた……」
「もうすぐ五時だよ?そろそろ奏音から連絡くるよね……?」
星華は奏音から教えてもらった、終了予定時刻を確認した。
亜梨明が手術を受ける予定時間は午前八時半から午後四時半。
多少終了時間が前後する可能性も、もう少し長引く可能性もあると聞いていたが、亜梨明の報せを早く聞きたくて、四人はそれぞれ自分のスマホを手にして画面を見る。
「………っ」
爽太の両手は、スマホを握り締めたまま小刻みに震えており、それに気付いた風麻が「大丈夫か?」と心配して声を掛けた。
「うん……大丈夫……。成功するって信じなきゃね……」
爽太は笑って見せたが、手の震えは止まらない。
四人は亜梨明の無事を強く願いながら、奏音からの連絡を待ち続けた。
*
午後六時二十二分――。
東京でも、相楽家の人達が緑依風達と同じように、亜梨明の手術が終わるのを待っていた。
終了予定時刻はとうに過ぎており、もうすぐ開始から十時間を迎える……。
待っている間、明日香は椅子に座ったまま、何度も手術室に繋がる道を見つめては俯き、真琴も立って座ってを繰り返し、落ち着かない。
奏音はそんな両親の姿を見るのが辛くて、時折待合室から出て一人になる度、「早く戻って来てよ……」と、手術室で闘う亜梨明にテレパシーを送るような気持ちで念じていた。
六時四十五分を過ぎた頃、女性看護師が姿を現し「相楽さん、先生からお話があります」と三人を呼び出した。
待合室を出ると、額や前髪を汗でぐっしょりと濡らし、疲れ切った顔の高城先生が相楽家の人達に近寄って来る。
「先生、娘は……」
真琴が奏音と明日香より一歩前に踏み出て聞くと、高城先生はやや青白い顔をへらりと緩めて、「はい!無事成功しました!」と言った。
その瞬間、真琴は「ありがとうございますっ、ありがとうございます……!」と何度も声に出して頭を下げ、奏音と明日香は安堵に涙を滲ませた。
「――途中、出血が酷くて何度か危ない場面もありましたが、娘さん見事に耐えきりましたよ……。今はICUに運ばれてます。当面はそちらで過ごしてもらうかと。感染症などの危険性があるので、まだ完全に安心とは言えませんが、面会はマスクと消毒をしっかりしてもらえれば今すぐにでもできますよ」
喜ぶ家族に、高城先生は話を続けた。
「しばらくは身動きが取れませんが、早ければ来週には管を全部抜いて、食事も徐々に戻して、様子を見ながら歩行訓練なども始めましょう。手術の詳細につきましては、これから面談室の方で……――」
「あっ、先生……!」
高城先生が話している途中、奏音がうずうずした様子で手を挙げた。
「はい?」
「あの……友達が無事の連絡を待っててくれているんですけど……成功したって伝えてきてもいいですか?」
「ああ、いいよ!きっと待ち兼ねているだろうし連絡しておいで!」
高城先生がニッと歯を見せながら頷くと、奏音は「はい!」と返事をして、携帯電話が使用できる場所へと移動した。
*
その頃――。
しんとした部屋の中で、四人は夕闇に染まりかけた窓の外と、スマホの画面に表示される時間を交互に見ながら、奏音からの連絡をひたすらに待ち続けていた。
星華は木の葉に集まった時、奏音宛に『みんなで緑依風の店に集まってるから、手術終わったら報告ちょうだい』とメッセージを送信しており、それが既読になったままなんの反応も無いことに焦燥していた。
すると、ピコン――!と、緑依風、風麻、爽太、星華のスマホから、アプリの通知音が僅かな時間差を置いて次々に発せられ、皆瞬時に画面をタップし、通知内容を見る。
待ちに待った奏音からの連絡は、『終わった!』『手術無事成功したよ!』という内容で、四人は一斉に息を呑み、喜びの声を上げた。
星華は「やった~っ!やったぁ~っ!!」と、飛び跳ねて喜び、風麻は「――っしゃぁ!!」と力強く拳を握って、緑依風は大きく息を吐いて安堵の笑みを浮かべる。
待機中、椅子に座って待っていた爽太は、奏音の通知が届くと同時に立ち上がったのだが、亜梨明の無事の報せを読んで緊張の糸が切れたのか、肩を震わせながら床に崩れ、声を詰まらせるようにして泣き出してしまった。
「爽太、よかったな……」
風麻は泣き崩れたままの爽太を抱擁し、優しく声を掛けた。
「よかったっ……亜梨明……ほんとに、よかった……っ!」
緑依風が、爽太の背中を落ち着かせるように
「もしもし?」
緑依風は電話に出ると、スピーカー機能をオンに切り替る。
「緑依風?連絡遅くなってごめんね。でも、ついさっきこっちも終わったって報告受けたばかりでさ」
奏音の声を聞き、風麻達が緑依風のそばへと集まる。
「ううん!連絡ありがとう」
「こっちこそ、みんな集まってくれてるなんて……待っててくれてありがとう」
「奏音~っ!!亜梨明ちゃんのお見舞い行きたいよー!夏休みになったらすぐ会える?」
星華の声が鮮明に届いたことで、奏音は「ん?星華の声がよく聞こえるけど、これスピーカー?」と、首を傾げる。
「相楽の声もよく聞こえるぞー」
「そうなんだ〜じゃあ変なこと言えないな……」
「相楽さん、亜梨明の様子は……?」
「あ~、まだ会えてないしわかんない。親も今から高城先生の説明受けるみたいだし、明日にでもどんな感じか連絡するよ。お見舞いも、先生に聞かないとわからないし、それでいいかな?」
奏音が電話の向こう側にいる四人に尋ねると、全員納得するように返事をし、また翌日以降の連絡を待つことにした。
「んじゃ、今日はありがとう!じゃあね~!」
奏音との通話が終了すると、四人もこれにて集まりを解散することにし、それぞれ自宅へと帰っていった。
*
午後八時――。
術後に運ばれたICUで、亜梨明は家族に見守られながら、薄く瞼を開く。
「あ、起きたね~」
最初に気付いた奏音が亜梨明に話しかけると、亜梨明は瞳だけを虚ろ気に動かして、自分のいる場所や状況、周りにいる人の姿を確認した。
「亜梨明……お母さんがわかる……?」
明日香が亜梨明の顔に手を伸ばして聞くと、彼女はゆっくりと頷いた。
「………っ」
意識が少しずつ鮮明になってくると、亜梨明は身体中の違和感に眉をひそめ、真琴が「痛いか……?」と聞くと、少し悲し気な目で不快な気持ちを表した。
「…………」
亜梨明は奏音のいる方へと首を動かすと、僅かな呻き声を発しながら、何かを聞きたそうにしている。
口には喉奥まで通された人工呼吸器が差し込まれているため、喋れないのだ。
「どうしたの……?」
奏音はそう言って、亜梨明の目の奥をじっと覗き込み、真琴と明日香はその様子を不思議そうに見つめる。
「――うん、もう大丈夫。治ったんだよ……」
奏音が、マスクで唯一隠されていない目元で笑みを作りながら言うと、亜梨明は嬉しそうに表情を和らげ、再び目を閉じて眠りについた。
*
時刻は午後八時五十分となっていた。
面会を終えた奏音達は、宿泊施設付近のファミレスへと向かい、そこで遅めの晩御飯を食べることにした。
考えてみれば、亜梨明の手術が始まって以来、家族は交代で昼食を済ませようとしたのだが、三人共亜梨明のことが心配で食べ物が喉を通らず、まともな食事は摂れていなかった。
真琴のカキフライ定食、明日香のチキンソテー、奏音にハンバーグとエビフライのミックスグリルの順番で注文したものがテーブルに運ばれると、明日香が「そういえば奏音……」と言いながら、真琴に箸を渡す。
「ん……?」
「さっき、亜梨明に「うん、治ったんだよ」って言ってたけど……よく亜梨明が聞きたいことがわかったわね?」
「あったりまえじゃん!」
奏音は少し大きめにカットしたハンバーグを頬張り、自信たっぷり言った。
「私達双子だから、その気になれば言葉が無くてもお互いの気持ちわかるよ!」
「えぇ〜?本当か~?」
真琴は疑うように笑って、もぐもぐと口を動かす奏音に言う。
「私、亜梨明と双子でよかった!双子に産んでくれて、ありがとねお母さん!」
奏音はまた大きく切ったハンバーグを口に運び、美味しそうに頬張った。
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