第201話 似た者同士(後編)


 時刻は午後九時を過ぎ、病棟内は消灯時間となる。


 暗くなった部屋の中、亜梨明は涙目になりながら何度も何度も奏音に電話を掛け、先程の失言について謝ろうと試みるが、耳元では呼び出し音のみが空しく響いて、奏音の声は聞こえない――。


「(どうしよう、どうしよう……あんなの、怒るに決まってるのに……!!)」


 元気になるためにここに来た。

 絶対に病に打ち克ち、未来を生きると決めたのに、弱気になっていたとはいえ、これでは最初から負ける気に思われても仕方がない。


 母が不在の中、学校に通いながら、不慣れな料理や洗濯などをこなしている奏音の頑張りをも無碍むげにするような発言。


 亜梨明は酷く後悔しながら、もう一度奏音に電話を掛け直す。


「お願いっ、出て……っ!もうあんなこと言わないから……っ!!」

 窓辺に立ち、外の照明の青白い光を受けながら、奏音が出てくれることを必死に祈り続けると、ようやく電話が繋がり、亜梨明は「奏音っ……!!」と妹の名を呼ぶ。


「奏音っ、ごめんね……!さっきのは――っ!!」

「……亜梨明」

「えっ……?」

 スピーカーから聞こえてきたのは、少年の声。


 静かで柔らかく、伸びのいい――爽太の声だった。


「ん……?へっ……??えええぇ~~っ!?爽ちゃんっ!?なんで??」

 画面を見ると、確かに奏音のスマホに繋げているはずなのに、何故爽太の声が聞こえてきたのかと、亜梨明は困惑する。


「……相楽さんがうちに来て、亜梨明から電話が掛かってきたら出て欲しいって」

 爽太が説明すると、彼の隣にいた奏音は一度爽太からスマホを手に取り、「日下に遺言なんて伝えられるの?」と亜梨明に言った。


「う……」

「……言うなら自分で伝えて」

 奏音はマイク部分に向かって低めの声で亜梨明に言うと、再び爽太にスマホを渡した。


「…………」

「亜梨明……」

 爽太の優しい声が、亜梨明の耳奥で広がる。


「爽ちゃん……」

「全部聞くよ……。亜梨明が今、本当に僕に言いたいことは……?」

 そう言われた途端、亜梨明の心でかさぶたのようになっていたものが、ポロポロと剥がれ始めた。


「――……怖い」

 絞り出すように亜梨明は今の心境を伝えた。


「手術っ……頑張るって約束したけどっ……絶対、大丈夫って思ってるけどっ……でも、昨日から急に怖くなっちゃってっ……!」

「うん……」

「私が死んだら爽ちゃん悲しむかなとか……悲しい思いさせるの、嫌だなとか思って……っ」

 亜梨明は涙に詰まった言葉をなんとか紡ごうと嗚咽を堪え、爽太は、そんな彼女が不安を全て吐き出せるよう、静かに待ち続けた。


「東京に来てから……爽ちゃんにもらった時計を見て……爽ちゃんが近くにいるように思えて……今まで頑張れたけどっ……。――でもっ、いまは……時計じゃなくて爽ちゃんに会いたいっ……!」

「…………」

「こわいよっ……会いたいよ……っ!!」

 爽太に気持ちを全部告げ終えた亜梨明は、ぐずっと鼻をすすり、止まらない涙を手で拭き続けた。


「……亜梨明、話してくれてありがとう」

 爽太は穏やかな声で亜梨明に言った。


「……うん」

「僕も会いたい……。それに僕も……手術受ける時……すごく怖かった」

「……爽ちゃんも?」

 亜梨明は、ひっくと小さなしゃくりを鳴らして、顔を上げる。


「亜梨明とおんなじだよ」

「……うん、おんなじだね」

「――僕達はとても似た者同士だから、亜梨明も僕と同じように、きっと成功して元気になれる。僕は、そう信じてる……!」

「…………!!」


 同じ境遇、同じ苦しみや孤独を経験したからこそ――その先に待っている終着点もきっと一緒。


 彼の言葉の意味を理解した亜梨明は、それを心に刻むようにコクコクと頷き、もう一度涙を拭き取った。


「うん……そうだね。私、爽ちゃんと同じになれるように、頑張る……!」


 爽太が辿り着いた場所に、自分も必ず並び立ってみせる。

 そう思えた亜梨明の目には、もう涙は浮かばず、強気な光が満ちていた。


「元気になれた?」

「うん!元気も勇気もいっぱいだよ!」

 亜梨明が力強く返事をすると、爽太は「よかった!」と言って、安心したように笑った。


「手術の日まで、また不安になったらいつでも電話して」

「ううん、もう大丈夫だよ!私、絶対乗り越えるから!」

「わかった。じゃあ、相楽さんに代わるね」

 爽太はゆっくりと耳からスマホを離し、奏音に返した。


「落ち着いた?」

「うん」

「まぁーったく!!ホントのホントに世話が焼けるんだから!」

「申し訳ないです……」

「それから電話掛けすぎ!!十七回って……履歴見てびっくりしたよ……」

「ご、ごめん……」

 奏音は小さくため息をつくと、「早く寝なよ?もう消灯時間過ぎてるでしょ?」と言った。


「うん、おやすみなさい」

「おやすみ」

 通話を終了すると、奏音はもう一度「はぁ……」と息を吐いた後、眉を八の字にして、爽太に弱い笑みを向ける。


「日下、夜遅くにごめんね……ありがとう」

「いや、僕も気になってたから……あ、家まで送るよ。こんな時間に女の子一人で歩くのは危ないから」

 爽太は門扉を開ける奏音に言った。


「大丈夫大丈夫!走って帰るから平気!」

「じゃあ、せめて途中まで」

「ははっ、じゃあお願い」

 奏音は爽太の申し出を受け、自宅近くの角まで送ってもらうことにした。


 *


 黄色い街灯に照らされた住宅街の中を、てくてくと歩く奏音と爽太。


 歩道がレンガ風の石畳でできた部分から黒いアスファルトに変わると、奏音はチラリと爽太を斜めに見上げて、「日下と二人っきりで歩くなんて、あんまり無いよね~」と言った。


「そうだね。むしろ初めてかも」

 爽太も今までのことを振り返り、初の出来事に新鮮味を感じる。


「さっき亜梨明に言ってたハナシ……なんか意外だった」

「何が?」

「『僕も手術怖かった』ってやつ。日下って、いつも肝が据わってるイメージ強かったし、知らない部分多いなぁ~って」

 奏音が間延びした声で言うと、爽太は「当たり前だよ……」と困ったように笑った。


「……だって僕、あの時小学生だよ?すごく怖くて怖くて……たくさん泣いて……親や先生達を困らせて……。でもそれは、小さかったから親に甘えて『怖い』とか、『痛いのは嫌』って言えたんだ。正直に言って、慰めてもらって、励ましてもらえた。……もし、もう少し大きくなってからだったら、そんなこと考えるだけでも、情けないしみっともないって余計なこと考えて、誰にも言えないまま、不安や恐怖に押しつぶされて、自滅してたかもしれないね」

 爽太が幼き日の自分を思い出しながら考えを述べると、奏音はまたもや意外そうに、口を半分程開いてポカンとしていた。


「日下って……常に余裕そうな顔して、何考えてるかわからないし、ロボットみたいって思ってたけど……」

「そう……思ってたんだ……」

 友から見た自分の評価に、爽太は軽くショックを受けたように苦笑いする。


「でも、人間らしい感情たくさんあるんだね」

「そう?」

「だって日下はいつもずるいよー!見た目も良くて、漫画のヒーローみたいに恥ずかしいセリフもサラッと言っちゃうし、何でもこなしちゃうし、勉強もできるし、スポーツもできるし、ドジする姿なんて見せたこと無いじゃん!!」

「そう見えるんだ……」

「そうだよ!」

「もしかして……僕って変わってる?」

 爽太は不安そうな顔で奏音に聞いた。


「まぁ、少しね……」

「そっか、気を付けよう……」

「あ、ごめん……気にしないで!そのままでいてよ!」

 言い過ぎたと反省した奏音が、ちょっぴり焦ったように言う。


「うーん……でも、変わり者ってのは、ちょっと恥ずかしいから……」

「いやいや、それが日下の個性だしっ!!それに、亜梨明はそんなあんたが好きなんだからさ!ねっ……!?」

 奏音が必死な様子で弁解すると、爽太はそんな彼女の姿に絆されるように「ふふっ……」と声を漏らした。


「わかった。このままの僕でいるよ」

「うんうん、個性は大事だからね!」

 奏音は安心したように言いながら、「まぁ、恥ずかしいセリフだけはちょっと減らして欲しいけど……」と、こっそり心の中で呟いていた。


 *


 手術前日――。

 六月十三日は、亜梨明と奏音の十四回目の誕生日だった。


 亜梨明は朝目が覚めると、奏音と「おめでとう」のメッセージを送り合い、奏音は昼過ぎに父と到着した時、約束していた二人一緒の記念写真も撮ると告げてくれた。


 友人達からも、お祝いのメッセージがたくさん届いていた。


 緑依風、風麻、爽太、星華――晶子や楓、みんなが亜梨明に誕生日おめでとうのメッセージと、手術の健闘を祈るメッセージを添えてくれて、彼女は何度も読み返して、それぞれに感謝の言葉を綴った。


 最後に『亜梨明日記』の通知を見ると、そこには「写真じゃないけどもっといいもの」という奏音の文章と、一件の動画データが載せられている。


 亜梨明が不思議に思いながら再生すると、三組の教室の黒板前に並ぶ、いつも一緒の友の姿が。


「梅ちゃん先生っ、ちゃんと映ってるー?」

「えっと、もうちょっと距離が……うん、OK!」

 奏音の横に並ぶ星華と、担任の梅原先生と思しき声のやりとりから始まり、亜梨明はワクワクしながら画面を見つめる。


『せーのっ……お誕生日、おめでと~っ!!!!』

 五人は声を合わせ、一斉に亜梨明の誕生日を祝福する言葉を叫ぶと、今度はパチパチと拍手をして、「早く戻ってこいよ!」「夏城で待ってるからね!」などと、バラバラに亜梨明への応援メッセージを述べていった。


 動画はとても短いものだったが、亜梨明は感動に胸の奥を熱くして、じんわりと涙を滲ませる。


 戻りたい。

 一日でも早く、みんなが待ってくれる場所に。


 絶対戻れる。

 みんなが待っていてくれるから――!!


 亜梨明はますます手術に挑む気持ちを強くさせ、きたる日を待ち遠しく思った。


 *


 そして、その日はいよいよ訪れる――。


「あ~あ……お腹空いたなぁ〜……」

 十四日の朝、手術着に着替えた亜梨明は、呑気な声を出しながら背伸びをした。


「手術が終わって、管が全部取れるまでの辛抱だよ」

 奏音が言うと、亜梨明は「長いよね〜……」と不服そうな顔をする。


「ご飯が食べられるようになったら、亜梨明の好きな物作ってあげるわね」

 明日香が亜梨明のパジャマを畳みながら笑うと、亜梨明は「本当っ!?」と目を輝かせ、「うふふ~っ、何から頼もうかなぁ〜!」と、母の作る好物達を思い浮かべた。


「なんだか、さっきから食べ物の話ばかりだなぁ〜」

「だってお父さん、私昨日の夜から何も食べてないんだよ〜……」

 亜梨明が空っぽのお腹を擦りながら睨むと、父の真琴は「ごめんごめん」と、笑いながら謝った。


 家族で和やかな時間を過ごしていると、看護師が数名病室に入って来た。


「では、そろそろ手術室に向かいたいので、麻酔が効きやすくなる注射しますね」

 亜梨明が腕を差し出すと、看護師は「薬が効いたら意識がぼんやりするから、お話続けてていいよ」と言った。


「うーん……特にないけど……。じゃあ眠くなる前に……」

 亜梨明はそう言って、ストレッチャーに乗って寝そべると、家族の顔を一人一人順番に見上げた。


「――行ってきます!」

 パイロットの敬礼のように頭の横に手を添えた亜梨明は、元気な声で家族に挨拶をし、手術室へと運ばれた。


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