第199話 手術予定日(後編)


 放課後。


 夏城中学校の体育館では、男子バレー部と女子バレー部が、コートを半分に仕切って活動に励んでいる。


「なんか、今日のお前迫力あるなぁ~!!」

 スパイク練習をしている最中、風麻はいつもよりキレのあるボールを打ち続ける爽太に話しかけた。


「亜梨明が頑張ってるから、僕も気合入れないと!来月試合だし、公式戦にスタメンで出たいじゃない!」

 爽太は袖で汗を軽く拭いながら、強気な表情で返事をした。


「まぁ、今思うと去年はまだ下手くそだったからなー……。試合に出てみると、雰囲気に飲まれそうになって失敗したり、強い奴らもたくさんいるし……」

 二人は一年の二学期から、練習試合や公式戦のベンチ入りを果たして途中出場こそできたものの、スタメン出場はまだ未経験だった。


「でも、上手くなってる感覚はあるんだ。次こそスタメンで出れると良いよな!」

「うん!」

 爽太は自分で打って転がったボールを拾うと、もう一度順番待ちのために並び、上手な先輩のフォームや腕の使い方をしっかりと観察する。


 風麻も、そんな爽太に感化されるように、スパイカー達が打ちやすいトスを丁寧に上げて、自分の技術磨きに力を入れた。


 反対側のコートでは、女子バレー部が休憩時間を取っていた。


「日下、ジャンプの高さ上がったんじゃない?」

 立花が、首から掛けたタオルで汗を拭きながら言った。


「ね!踏み込みが上手くなったというか、助走に入るタイミングとトスの上がるスピードしっかり分析できてるって感じ!」

 奏音も爽太がスパイクを打つ姿を見て、彼の上達を実感しているようだ。


「はぁ~あ……日下先輩が近くにいるのに遠い……」

 奏音達の斜め後ろから、一年生部員の声が聞こえた。


和花のどか、まだ失恋の傷引きずってんの~?」

「だぁってぇ~……お兄ちゃんに聞いたら、日下先輩フリーだって言ってたのに……いつの間にか彼女ができてたなんて~……」

「え~っ、それっぽい人見たことないよ?」

「でも、この間告ったらそう言われたもん……」

「二年の先輩に聞いても、誰かわからないって言われたけど、本当にいるのかなー……」

 一年達の残念そうなため息を聞き、「亜梨明ちゃん、いない所で噂されてるね」と立花が言った。


「うん。でもまだ名前は明かしてないみたいだし、こういうのは本人が言うまで放っておくのが一番だよ」

「だね」

 奏音と立花は、爽太の『幻の彼女』の存在を予想する一年生にバレないよう、声を小さくして話し合った。


「そろそろ練習再開するよー!!」

 ピピーッ!っと、波多野先生のホイッスルと呼び声が体育館に反響する。


「ほら、お喋りもうおしまい!練習戻るよ!」

 奏音と立花は、話に夢中になっている一年部員達の肩を叩き、波多野先生の元へと集合した。


 *


 その頃――。


 麻酔科の診察を終えた亜梨明は、明日香に車椅子を押してもらって、院内のコンビニにおやつを買いに向かっていた。


 診察内容は、手術前にどんな麻酔を施すのかという説明と、同意書にサインをするだけの簡単なものだった。


「なんか順調に進んでて、すっごくいい感じ!」

「そうね。でも油断して風邪引いたり、リハビリ中に調子に乗り過ぎたことしないでね。聞いたわよ~?この間ボール投げの合間にふざけて転びそうになったって」

「あ~っ!内緒にしてって言ったのにぃ~!!」

 亜梨明が歯をギリッと食いしばりながら頭を抱えると、明日香はクスクスと声を漏らして、「早くもっと元気になれるといいですねって、先生笑ってたよ」と、嬉しそうに言った。


 コンビニに辿り着くと、亜梨明は明日香にプリンを買って欲しいとおねだりした。


 東京の病院に来てから、今彼女は舌ざわりが滑らかなプリンがマイブームとなっており、毎日のようにおやつの時間に食べている。


「これすごく美味しいんだよ〜!」

 亜梨明はご機嫌な様子でプリンが入った袋を店員から受け取り、車椅子を押す明日香に振り向く。


「ん~……お母さんは、固めでカラメルが苦いプリンの方が好きだな〜」

「え〜っ、プリンはやっぱり甘々で滑らかなやつが一番だよ〜!」

 和やかな雰囲気のまま、二人が小児病棟前まで来た時だった。


 病棟の入り口から対面に出てきた、一組の夫婦。


 男性は肩に大きな鞄を下げており、その隣にいる妻と思しき女性は、虚ろな表情のまま、白い画用紙を広げた状態で、両手に持って歩いている。


「……っ、うぅ、……っぁぁぁぁぁ~~っ!!!!!!」

 突然、膝を曲げてその場に崩れるように座り込み、大きな声で泣き始めた女性。


 すれ違う瞬間、ひらりと舞って亜梨明の前に落ちた画用紙には、親子三人がニコニコと笑顔でお花畑にいる絵がクレヨンで描かれていた。


 何度も何度も誰かの名を呼び続ける女性に目を移すと、その肩を支える男性も、肩を震わせながらすすり泣いて、小さくなっている。


 聞かずとも、その持ち物と姿だけでこの夫婦に何があったのか察しがつく。


 亜梨明も明日香も、悲痛な面持ちで夫婦のそばを横切り、夫婦の嘆きを遠くに聞いたまま、病室へと戻った。


 *


 夜になっても、亜梨明の頭からあの夫婦の声が消えることはなかった。


 病室に戻った後は、亜梨明も明日香も何事もなかったかのようにテレビをつけ、おやつを食べながら会話する内容も、リハビリの話、家族や友人の話、芸能人の話などだった。


 だが、明日香が病院近くに滞在する宿泊施設に戻り、夕食を終えて一人になると、無意識のうちに考えてしまう。


 きっと、あの女性が呼んでいたのは二人の子の名前だ。

 そして恐らく、亡くなったのだ――。


 亜梨明が過去にお別れした友達の両親は、同じような大荷物を抱えていても、病院を去る理由によって、その表情は全然違う。


 大きな荷物以上に、深くて重い悲しみを抱えたその人達とあの夫婦の姿は、とても似ていた。だからわかる。


「亜梨明ちゃん、どうか……あの子のこと忘れないで。あの子の分も、きっと元気になってね……」

「亜梨明ちゃんのこと、うちの子も空の上で応援してるはずだから……」

 死んだ友の親達が、病院を去る間際に亜梨明へ残した最後の言葉は、亜梨明を応援する代わりに、せめて自分の子を忘れずに、心の中で生かし続けて欲しいという願いだった。


 でも――。


「本当に……元気になれるのかな……?」

 ほろっと、口から勝手に言葉が出た瞬間、亜梨明はすぐに自分の弱気を叱咤する。


「ダメダメっ!そんなこと思っちゃダメ!絶対治すって爽ちゃんと約束したし!」

 亜梨明は転院の日に撮った写真を見て、気を持ち直そうとスマホを手に取る。


 すると、ホーム画面にはメッセージの通知が数件表示されており、まず最初に開いた『亜梨明日記』のグループトーク欄には、手術日を知った緑依風達からの応援の言葉が並べられていた。


 亜梨明は、『みんなありがとー!がんばるね!』と返事を打ち、次に奏音からの個別メッセージを閲覧する。


 ◇◇◇


 見よう見まねで作った野菜炒めがめっちゃくちゃ味薄い

 でも、冷蔵庫にあったキムチ入れて醤油テキトーにいれたらなかなかウマくなった!!


 そうそう、この間言い忘れてたんだけど、日下彼女いるってハッキリ宣言したらしいよ~


 おめでとー彼女(笑)


 ◇◇◇


「ええっ!?」

 驚きと共に、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになる亜梨明。


 一応両想いになったが、改めて『彼女』という単語で示されると、心の中がくすぐったい……。


 最後の通知は爽太からだ。


 ◇◇◇


 こんばんは。調子はどう?


 ごめん。

 今日部活で色々聞かれて、彼女がいるってことと、亜梨明の名前を出しちゃった……


 もし秘密にして欲しかったなら本当にごめんね…!


 ◇◇◇


「そんなの謝ることないのに〜!むしろ嬉しいよ〜!!」

 片手で頬を押さえながらニマニマと喜ぶ亜梨明だが、そこにまた、昼間の夫婦の光景がノイズ交じりに頭の中で映し出される。


「――もし……もし、手術を乗り越えられなかったら……?」


 自分が手術に耐えられなかった時――爽太は……?


 丘の上で、『生きて欲しい』『死なないで欲しい』と、抱き締めながら泣いてくれた彼を、再び悲しい顔にさせてしまうかもしれない……。


「もしかして……好きになってもらわない方が、爽ちゃんにとって良かったんじゃ……」

 愛してくれているのを理解してるからこそ、亜梨明はもしも手術に耐えれずに死んでしまった時、彼の心に深い傷をつけてしまうことを、申し訳なく思う。


 そして、それを考えた途端、ここまで前向きにしか捉えていなかった手術への恐怖が、一気にどっと音を立てて、荒波の如く亜梨明に押し迫ってくる……。


「――――っ!!」

 引き出しから時計を取り出した亜梨明は、それを胸元の前でギュっと両手で握り締め、嵐が通り過ぎるのを待つように、恐怖心が消えてくれることを祈った。


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