第196話 なんでだよ!!


 次の日。


 いつもより早めに家の外に出た風麻は、とりあえず緑依風に会ったらすぐ謝ろうと心に決め、松山家のドアが開かれるのを緊張しながら待っていた。


 ――が、いつもの時間になっても、緑依風は出てこない。


 待ち合わせの時間を五分過ぎても現れないことにしびれを切らし、インターホンを押そうとすると、ようやく扉が開かれたが、ドアの向こうから出てきたのは、緑依風……ではなく妹の千草だった。


「……お姉ちゃんなら、もうとっくに学校行ったよ」

 ランドセルを背負った千草は、門扉を開けながら風麻に告げた。


「そ……そうか」

 緑依風に置いていかれたことにショックを受けながらも、彼女がそれほど怒っていることを知り、風麻が焦りに顔を引きつらせていると、千草がじぃっと、彼の顔を見つめる。


「あのさ、風麻くん。お姉ちゃんに何か言った?」

「その……俺的には……悪気はなかったんだが……」

 無機質な声で問いかける千草に、風麻はギクシャクしながら弁解しようとする。


「――うちのお姉ちゃん、強がりだけどかなりデリケートだからさ、もうちょい大事に扱って」

 千草の冷ややかな態度と言い方が、少し前の爽太に対する奏音の姿と重なって見えた風麻は、彼女が姉を泣かしたことに静かに怒っていると悟り、「はい……」と肩をすくめて言った。


「お姉ちゃん、風麻くんの言葉は他の人より特に気にするんだからさ……」

「う……気を付ける……」

「よし!」

 反省した様子の風麻を見て、千草が手に腰を当てながら頷くと、今度は坂下家のドアが開き、弟の秋麻が出てくる。


「遅い!」

 千草が怒りながら言うと、「たった一、二分じゃん」と秋麻は鬱陶しそうに返す。


「今日水やり当番なんだよ!」

「別に朝一でやらなくても、休み時間とかにやればいいじゃん」

「だーめ!!涼しい時間にお水あげないと花が弱っちゃう!」

「……兄ちゃんは、時間大丈夫なの?もう八時五分だけど」

「あ、ヤバっ!!」

 秋麻に言われてスマホの画面を見た風麻は、慌てて学校へと走り出した。


 *


「はーっ……朝から疲れる……」

 すでに気温が高く上昇している中を全力ダッシュした風麻は、毛先からポタポタ落ちる汗を手で拭い、上靴に履き替える。


 教室に辿り着くと、緑依風が元気のない様子で奏音と話をしていた。

 前日の発言が、彼女をそうさせていると思うと、罪悪感に胸が痛む。


 早く謝って仲直りしようと、風麻は机の上に鞄を置いてすぐ、緑依風のいる場所に向かい、「昨日はゴメン!」と頭を下げた――が。


「……あんた、私が何で不機嫌かわかってて謝ってる?」

 緑依風は不機嫌そうなまま、ゆっくり首を斜め上に動かして聞いた。


「えっ……とぉ……」

 ギギギ……と、古びたブリキのおもちゃのような動作で頭を上げた風麻は、昨日の出来事を振り返る。


「……暑いのに無理矢理厚着させようとしたから……?」

「…………」

 どうやら風麻の予想は外れたようで、緑依風はフンっと短く鼻から息を吐くと、「もうそういうことでいいから、しばらく放っておいて」と言って、風麻からそっぽを向いてしまった。


 キーンコーンカーンコーン――……と鳴るチャイムが、風麻と緑依風の間に空しい空気を作る。


 奏音は、そんな二人を哀れむように交互に見て、そっと自分の座席に帰っていった。


 *


 昼休み。

 風麻は爽太と直希を廊下に呼び出し、二人に相談に乗ってもらうことにした。


「それは、松山さん怒るよ……」

 話を全て聞き終えた爽太が、眉を下げながら言った。


「えっ、どこら辺で怒ったのか俺は全く分からなかったんだけど……どこにだ?」

「どうしてそういう言い方したんだよお前……。どんな格好でも、何とも思わねーとか、興味無いなんてさ……」

「えっ、そこっ!?だ、だってそうだろ!俺は矢井田達みたいな風に思ったことは――!」

「それが、松山さんにとって、風麻に『嫌い』って言われたのと同じような気持ちになったんだと思うよ」

「そこまで思ってねぇよ!」

 直希と爽太の意見に驚愕する風麻だが、二人はますます緑依風を気の毒に思いながら、ため息をついた。


「風麻はもうちょい、乙女心を理解できるようにならねぇとな……」

 直希が呆れ果てた顔をすると、爽太も「そうだね……松山さんが不憫すぎるよ……」と、頷きながら直希に同調する。


 風麻は、これまで自分達がどんなだったかすっかり忘れたような二人に、「その点だけは、お前らに言われたくねーよ……」と、まぶたを半分程下げて言った。


「――で、俺はどうやって緑依風に謝ったらいいと思う?」

 風麻が話を本題に戻すと、「下手に隠さず、きちんと説明すべきじゃないかな」と爽太が言う。


「……でもさ、直接言いづらいだろ……クラスにそういう目で緑依風のこと見てる奴がいるって」

「別に難しく考えすぎず、名前を伏せて説明すれば済む話じゃねーか」

「俺はそういういやらしい目で見てないっていう潔白は?」

「そこまでわざわざ説明しなくてもいいと思うよ」

「そうなのか……」

 二人のアドバイスを受けた風麻は、ふんふんと、納得したように何度も首を縦に振った。


「よしっ!そんじゃ、緑依風にもっかい謝りに行ってくる!二人とも、ありがとな!」

 風麻が爽太と直希にお礼を言って立ち去ると、二人は風麻の健闘を祈るように、手を振って見送った。


 *


 教室に緑依風の姿は無く、星華のいる一組を訪れても彼女はそこにいなかった。


 すれ違った利久から、緑依風が晶子と共に中庭にいると聞いた風麻は、一階に下りてその場所を目指す。


 すると、緑依風と晶子が中庭の石段に腰掛けている姿を発見した。


 二人の会話に耳を澄ませると、どうやら話題は昨日のことらしく、風麻は壁に隠れながら出て行くタイミングを見計らった。


「――私さ……わかってるんだよ。こうなったのも全部自業自得。可愛げが無いことばっか言って、天邪鬼な態度でいたバチが当たったんだって……」

「…………」

 緑依風の落ち込んだ声を聞き、風麻の心がズキンと痛む――が。


「確かに、少し厳しかったかもしれませんが、でも緑依風ちゃんがそういう時って、風麻くんを心配して言ってることばかりだったじゃないですか」

 今度は、自分が緑依風のことを相談した時とはまるで違う晶子の声色に、「なんで緑依風には優しく言うんだよ……」と、ツッコミを入れたくなった。


 早いとこ謝らなければと、風麻が偶然通りかかったフリをして出ようとした時だった。


「なんかもう、疲れちゃったな……」

 ――と、緑依風が弱気な声で言った。


「……自分なりに色々、風麻に好かれるように頑張ってきたつもりだったんだけど……。やっぱり無理なのかな……?迷惑なのかも……。……やめようかな……風麻を好きでいること……――」

「なんでだよ!!」

 緑依風の言葉を聞いた途端、居ても立っても居られなくなった風麻は、隠れていた壁から飛び出し、叫ぶように言った。


 緑依風は困惑した様子で、「えっ、えっ……!?」と、風麻を見上げた。


「なんでやめるんだよ!俺は……俺はお前に好かれてるって知っても、迷惑とか思ったことねぇよ‼︎俺を振り向かせるために、頑張るんじゃなかったのかよ!そんな簡単に好きなのやめるとか言うなよっ!!」

 膨れ上がった想いを言い切った風麻は、衝動に駆られるままその場から走り去る。


 階段を上り、廊下を駆け抜け、どこに向かっているのか自分でもわからない――ただ、ひたすらに走って、走って……辿り着いたのは、空き部屋となっている教室の前だった。


 そして、一人で走っていたと思っていた風麻だったが、後ろには緑依風――ではなく、何故か晶子が立っている。


「言い逃げですか……?」

 晶子が上がる息を整えながら、低い声で言った。


「それから“簡単に”じゃないです……。緑依風ちゃんは九年も、風麻くんのことをずっと一途に想っています……」

「…………」

 丁寧な姿勢は崩さず――しかし、友のために静かに怒る晶子の言葉を聞き、風麻はだんまりとしたまま、何も言い返せない。


「やめたいと思ってやめるわけないです……。今更やめれないくらい、緑依風ちゃんは風麻くんのことが大好きなんですから」

「わかってるよ……本気でそんなこと言ったんじゃないくらい。俺がそう言わせたことも……」

 ようやく声を発した風麻は、緑依風にあんなセリフを言わせた自分に、不甲斐なさを感じていた。


「緑依風ちゃんに、好きなのやめて欲しくないんですか?」

「そりゃ……好きでいて欲しいよ」

「好きなのをやめて欲しくないのは、緑依風ちゃんの気持ちに応えられるからですか?」

「いや……!まだ、そういう気持ちは……」

「無いのに!……風麻くんは、あんなことを言ったんですか!?」

 晶子はグッと風麻の目の前に詰め寄り、眉間に深くシワを寄せる。


「……っ」

 風麻は、晶子に真っ直ぐ睨まれたまま、その理由について思考を巡らせる。


 やめて欲しくない。

 やめられるくらいなら、ずっと好きでいて欲しい――。


 でも、それは何故だ?好きじゃないのに好き。

 この『好き』の気持ちは、どっちなんだ……?


 友情と恋情、どちらにも属さないこの感情は――?


「~~~~っ!!――俺だってっ、わかんないんだよっ!!」

 吸い込んだ息ごと爆発させるように、風麻は床をダンっ!と踏み鳴らして叫ぶ。


「緑依風の気持ちを知って、あいつが俺の中でただの幼馴染じゃなくなってきたのは確かだし、好きか嫌いかって聞かれたら、好きだしすげー大事だ!でもっ、相楽姉の時と同じ『好き』なのか、家族や友達みたいな『好き』なのか……どっちなのかは……まだ、俺にもわからねぇ……」

「自分の気持ちがどちらかに転ぶまで、緑依風ちゃんの気持ちを縛るつもりですか?それは、あまりにもワガママですよ……!」

 晶子は語気を強めて風麻の優柔不断さを指摘し、ますます顔を険しくさせた。


「……私達の『幼馴染』という関係は、一生変わらないです……。ですが、この関係は生きて行く上で何の効力もない薄い言葉です……。どんなに長い付き合いだろうと、風麻くんが緑依風ちゃんの心を好き勝手に決める権利なんて、無いんですよ……」

「そんなことわかっ――!」

「わかってないから‼︎『やめるな』なんて、言えるのでしょう⁉︎」

「…………!!」

 とどめの一撃の如く、風麻の痛い部分を突いたその言葉は、もう彼に言い返そうという気力を起こさせなかった。


「風麻くん……このままだと緑依風ちゃんは、遅かれ早かれ風麻くんのそばからいなくなりますよ」

「…………」

「それが嫌なら、もっとちゃんと……緑依風ちゃんの気持ちに向き合って、考えてください」

 晶子は小さく一礼し、風麻を置いて自分の教室へと戻っていく――。


 一人、薄暗い廊下に残された風麻は、甘い考えしかなかった自分を悔いるように、強く拳を握り締め、肩を震わせた。


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