第195話 Tシャツとカーディガン


 六時間目の授業は体育だった。


 風麻が直希と一緒に更衣室に入ると、今年から同じクラスになった男子生徒数名が、女の子の服装や体つきについて熱いトークを繰り広げていた。


「女子の体操着姿って、制服より燃え上がるものがあるよなぁ~!」

「それな!胸とか、あとお尻もハーフパンツの方がスカートより強調されるし!」

 その話を耳にした途端、風麻の眉間にたちまちシワが寄る。


「今日は体育館男女で半分ずつ使う日だろ?俺さぁ、松山が走った時におっぱいゆさゆさ揺れるの、つい見ちゃうんだよなぁ~!」

「わかる~!妄想捗る~!」

「おい、バッカ!やめろよ~!夜まで我慢しろ!」

「いいじゃん、考えるだけならさぁ~!」

 風麻がますます不機嫌さを露わにしていくと、それに気付いた直希は「まぁまぁ」と、彼の背を軽く叩いて宥めようとした。


 風麻も一応健全な男子中学生なので、そういうことに興味はあるし、クラスメイトが話をしたくなる気持ちもわかる。


 問題は、その対象が自分の幼馴染だということだ。


 その男子グループのリーダー格である矢井田やいだは、昼休みも廊下にいる緑依風を窓越しに見ながら、彼女の体の特徴を手などで表現して友人と盛り上がっていた。


 風麻は直希と共に更衣室を出ると、体に溜まった腹立たしい思いを、「はぁ~っ」と、深く強く息に混ぜて吐き出す。


「まぁ……松山は、うちの学年じゃ人気者だからな……。そういう話が出るのも不思議じゃない」

「わかってるけどさ……」

 直希の言う通り、爽太程では無いが、緑依風も異性の相手に交際を迫られることが多い。


 去年はバスケ部の大谷、そして風麻と同じバレー部の佐野。

 その後も、春休み直前に同じクラスの男子生徒に呼び出されたのを目撃した。


 風麻から見れば、見慣れた緑依風の顔なんて何とも感じないが、男友達同士の会話では、学年で一番美人だと評価する者も。


「松山が気になるか?」

「気になるって言うか……心配だろ」

「矢井田が告って、松山と付き合ったら……って?」

「それは無い!あいつが好きなのは俺だからな」

「おっ、やっと気付いたのか!」

 直希がそう口にすると、晶子や利久と同じような反応を示す彼に、風麻は「お前もか……」と言いながら、片手で頭を押さえた。


「でも、風麻は松山に『愛』とか『ラブ』とかそういったもんは無いんだろ?」

「おう」

「じゃあさー……もし、松山が心変わりしたら?」

「へっ?」

「松山が心変わりして、矢井田と付き合うことになったらどうする?」

「矢井田と?ははっ、ありえないだろ」

 風麻は軽い気持ちで笑いながら返したが、そんな彼の言葉をはたき落とすように、「ありえなく無いぞ~」と直希が言った。


「男子と女子だからな……。このままの状態が長引けば、松山だってそのうちお前を好きでいようとする気も薄れるかもしれない。となると、空っぽになった心に付け入るのは簡単だ。矢井田だけじゃない、松山に気のあるやつの中に、松山がいいって思えるのがいれば、そうなる可能性だってあるんだぞ」

「…………」

 強い衝撃を受けたように表情を強張らせる風麻に、「嫌なのか?」と、直希は問う。


 嫌だ。

 でも、そんな言葉どころじゃない。


 緑依風が他の誰かと肩を並べて恋人同士のようなことをする光景は、何度頭の中に浮かんでも違和感しか無くて、イライラするし気持ち悪い……。


 授業が始まると、網で半分に仕切られた体育館の反対側で、緑依風が奏音や他の女子生徒と並んで準備体操をしている。


 腕を伸ばすストレッチをしながら、ひそひそと話をする緑依風の横顔が、以前より少しだけ大人っぽく見え、何故だか寂しさを感じた。


 *


 夕日に空が染まる頃――。


 風麻がスマホでゲームをして遊んでいると、緑依風からのメッセージが届いた。


 どうやら、風麻が去年から緑依風に借りて読んでいる少女漫画の最新刊を持って、これから届けに来るらしい。


 了承の返事をしてすぐ、ピンポーン――とベルが鳴ると、風麻はインターホンのモニターを確認せず、すぐさま玄関のドアを開く……――が。


「おい……」

「え、なに?」

「なんて格好してんだよ……」

 目の前に立つ緑依風は、レモンイエローのタンクトップの中に黒のチューブトップを重ね着し、下は白いショートパンツ、素足にサンダルの姿で立っていた。


「え……変?今までこの服で何回もあんたの家に行ってるけど?」

「そうなんだけどさ……」

 学校が終わってからや、休みの日など、この時期よく見るお馴染みの格好。


 緑依風の言う通り、彼女は何度もこの服装で坂下家に遊びに来ているし、逆に風麻が松山家に訪れる際も、こういった袖などが無い、動きやすそうなものを身に纏っていることが多い。


 だが、昼間のクラスメイトの話題のせいで、普段なら気にならないはずの緑依風の薄着姿を見続けていると、変な気分になりそうだ。


「……とりあえず、早くうち入れ」

 他の近所の人の目に触れないうちに、隠してしまいたい……。


 風麻はそう思いながら、緑依風を家の中に入れてすぐドアを閉め、自分の部屋がある二階への階段を上り、緑依風も彼の背を疑問視しながらついてきた。


「これ着ろ……」

 部屋に着くと、風麻は積み重なった洗濯物の一番上のTシャツを取り、緑依風に押し付けた。


 Tシャツを広げて戸惑う緑依風に、「洗ってあるやつだよ」と一言添えて。


「……なんか、恥ずかしい」

 風麻のTシャツを着た緑依風は、シャツの裾を軽く引っ張るようにして、モジモジとしている。


「肌見せすぎる格好よりマシだろ……」

「何今更?」

「別に、何もねぇけど……」

 まさか、『クラスにお前をいやらしい目で見てるヤツがいるから』なんて、言えるわけねーだろと、風麻は気まずさに目を逸らしながら言うが、緑依風はそんな風麻の言動を怪しみはせど、それ以上は問い詰めず、「ねっ、風麻のこの漫画の続きは無いの?」と、棚の上の本を指さしながら聞く。


「あー……それなら、その雑誌の上」

「ありがと」

 緑依風は漫画を手に取ると、ベッドに座る風麻の隣に並び、早速本を開いて読み始める。


 風麻も、緑依風が持って来た少女漫画を読んでいたが、彼女が横に座った途端、何故だか妙に気になってしまい、勘付かれないように注意しながら、横目でじっくり観察する。


 ショートパンツから伸びる長くて白い脚は、小学生時代はただまっすぐだったはずなのに、程よく肉付きの良い、柔らかな曲線を描いた形になっている。


 胴体は細くなった部分と、膨らみが出た部分の差が、去年よりも更に目立つようになった。


 互いに順調に成長しているのはわかっていた風麻だが、そのことに気付く度にとてつもない喪失感に襲われるのは何故だろうと、自分自身に問い詰める――。


「どうしたの……?」

 漫画を読まずにぼんやりする風麻の様子を変に思った緑依風が、彼の顔を心配そうに覗き込む。


 風麻は緑依風のまつ毛が長いこと、眉毛が薄いことを初めて知った。


 目は二重でぱっちりとしており、鼻はやや高い。


 確かに緑依風の顔は整っているかもしれないと思った途端、ハッと我に帰った風麻は、「うっ、わぁぁ~~っ!?」と、素っ頓狂な声を出して、思わず漫画を上に向かって放り投げそうになった。


「なっ、ななな、なんだよ一体⁉︎」

「あんたがこっち見て固まってるから、何かあったのかって思ったんじゃないっ!」

 緑依風も風麻の突然の動作に驚いたようで、声を裏返して言った。


「なんか……昼間から様子がおかしかったし……」

 風麻は「あ〜」と言いながら頭を掻くと、緑依風の上半身や脚に再び注目し、「それよりお前さ、夏用のカーディガンとか持ってないの?」と聞いた。


「あるけど?」

 緑依風は首を傾げて答えた。


「よし、明日からそれ着て学校行け」

「え〜っ……」

 風麻は、なるべく他の男子生徒に彼女のスタイルを意識させぬため、カーディガンを羽織って隠して欲しいと思ったが、緑依風は不満そうに顔をしかめる。


「やだよ暑いし、エアコンが効きすぎてるなら着るけど、学校まだエアコンつけてくれないじゃん……」

「いいから着ろ!」

「なんで暑いのに着なきゃいけないの⁉︎」

 理由も告げずに厚着をさせようとする風麻に苛立つ緑依風。


 皆まで言わずとも察して欲しい気持ちが、心配する気持ちよりも勝ってしまった風麻は、「あのなぁ~っ……」と声を荒げると、何もわかっていなさそうな緑依風をキッと睨みつけた。


「――俺は別に、お前が薄着でも厚着でも、どんなかっこうしてようが興味もねぇし、なんとも思わねーよ!けどなぁ、お前が好みで良いって思うやつの中には、欲情したり変なこと考えたり危ないやからもいるんだ!!そういったのに狙われないよう、もう少し警戒心持て!」

 全てを言い終え、はぁっ……と、風麻が息を吐く。


 静寂の後――緑依風が「なんとも……?」と、低く小さな声で聞いた。


「そーだよ、俺は別にお前が好きな格好してればって、思うけ――ッ!?」

 バサッと、突然風麻の上から何かの布が降って覆い被さる。


 取り払って見ると、それは緑依風に貸したばかりのTシャツで、彼女はいつの間にかベッドから立ち上がり、脱ぎ捨てるように風麻に投げたのだった。


「おい、何すん……⁉︎」

「……っ」

 緑依風は、唇を噛み締めるようにして声を抑え、瞳からは涙が溢れていた。


「わかった……っ!」

「おい待て……」

「あんたが私のことどう思ってるか、よくわかったっ……‼︎」

 緑依風はそう叫ぶと、風麻の制止も聞かぬまま、ドアを開けて部屋を出て行ってしまった。


 バタンッ――!と、大きな音が室内に鳴り響くと、階段を駆け下りる緑依風の足音が遠のき、風麻の空間にまた無音が訪れる。


「……だぁぁ~もうっ、俺……またやっちまった……!」

 この時の風麻は、自分のどの言葉が緑依風を怒らせたのかわからなかった。


 しかし、“緑依風をまた傷付けた”ことだけは理解し、自己嫌悪に陥りながら、両手で頭を抱え、ベッドに突っ伏すのだった。


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