第15章 扉の先に待つものは

第193話 振り出しに戻って(前編)


 梅雨入り前の六月――二回目の月曜日。


「うー……やっぱり前髪、ちょっと切り過ぎじゃないかな??」


 朝、七時四十八分。

 緑依風は洗面所の鏡の前に立ち、気になる前髪を何度も指でなぞる。


「まぁ、すぐ伸びるか。――でも……うん、こっちはいい感じかも!」

 そう言って次に確認したのは、首筋に掛かる後ろ髪。


 旅立つ亜梨明を見送った翌日、緑依風は背中まで伸びていた長い髪を、約一年ぶりにカットしたのだ。


 毛先が肩に付くか付かないかぐらいの、ミディアムヘア。

 軽くなった髪の毛は跳ねやすくなってしまったが、自分に一番合うと思う好きな長さだった。


 以前なら、ストレートアイロンでまっすぐにするために、朝から鏡の前で格闘していたが、今日の緑依風は、この懐かしい癖っ毛をそのままにしておきたかった。


 家族に「いってきます!」と挨拶をした緑依風が家を出ると、ちょうど隣の家から風麻も出てきた。


「おはよう」

「おはよ~っす!……お、早速切ったな」

「うん……」

 風麻に髪が短くなっていることを指摘されると、緑依風は短い返事をしながら、そっと彼から視線を逸らす。


 先日、風麻に気持ちがバレていたことを知ってから、なんとなく顔を合わせるのが恥ずかしい。


 だが、そんな緑依風の気などつゆ知らず、風麻は「うんうん、お前といったらその髪型だ!」と言って、馴染み深い髪型に戻した彼女を見て何度も頷いた。


「(まったく、誰のために伸ばしたと思ってんの……)」

 いつもは毛先が傷んできても、どうせすぐに切るしとあまり気にしたことが無かった緑依風だが、髪を伸ばし始めてからは、綺麗な長い髪を持つ亜梨明や立花のようになろうと、ドライヤー、ブラッシングの方法も注意しながら手入れしていた。


 そんな苦労も知らないくせに「お前といったら」なんて、簡単に言わないで欲しいと、緑依風はムッとした気持ちでスタスタと歩き出す――が、数歩歩いた所でくるっと振り返ると、上目遣いでじっと風麻の顔を見つめ、結んでいた唇をゆっくりと開いた。


「――本当に……似合うと思う?」

 緑依風は精一杯の勇気を振り絞り、顔が熱くなっていくのを感じながら風麻に尋ねる。


 風麻は、一瞬目を丸くして驚くが、小さく震えながら自分の返事を待つ緑依風の姿に一生懸命さが伝わり、「ふっ……」と息を漏らした。


「ちょっとっ……!なんで笑うの⁉︎」

「ははっ!いや、だってさ……なんか急に素直だから!」

 風麻が笑い声を上げ始めると、緑依風は「聞かなきゃよかった!」と不機嫌な顔になって反対方向を向き、肩に掛けた通学鞄のベルトをギュっと握り締めた。


「似合うよ……。お世辞じゃなくて本当に」

「……っ」

 緑依風は、風麻に背中をポンっと軽く叩かれながら褒められると、今度は照れくさそうに俯いて、跳ねる毛先をいじり出す。


 風麻は、自分の言葉一つで怒ったり照れたりする緑依風の様子を面白そうに眺めながら、彼女の隣に並んで一緒に歩き出した。


 *


「……ところで、お前っていつから俺のこと好きなわけ?」

「え……!」

 角を曲がったところで、風麻が突然質問する。


「晶子達に聞いた話だと、かなり前から好きだったろ?」

「う、ぇ……っと、よ……幼稚園……から」

「そんなに昔から⁉︎何がきっかけ……?」

「……内緒」

「言えよ、気になる」

 横断歩道の前で立ち止まったと同時に、風麻が圧を掛けるように緑依風の顔を覗き込むと、それに負けた緑依風は「あ……」と小さく声を発し、ゆっくりと答え始めた。


「――あんたが……わたしの、……まえ……ほめてくれた、から……っ!」

「ん……?前?ほめた、とき……?」

「名前っ……!言ってくれたじゃない……五歳の……誕生日に……「ぼくは、りいふちゃんのなまえすきだよ」……って。あれが嬉しくて……私は――」

 太陽の強い日差しも相まって、全身をどんどん赤く熱く火照らせて説明する緑依風。


 ――だが、それを聞いた途端、風麻は彼女以上に顔を真っ赤に染め上げ、「うぉぁぁぁぁ~~っ!!」と叫びながら顔を押さえて、地面に座り込んでしまった。


「恥ずかしいっ!……めちゃくちゃ恥ずかしいっ!!」

「なっ、なんで聞いたあんたがそうなるのよっ!!」

「あ……あれがきっかけかよ……!覚えてるよっ、覚えてるけどもだ……!!今、思い出すと、すげークサいこと言ってたよな、あん時の俺っ!!」

 純粋な子供だったとしても、これではまるで爽太のようだと、風麻は当時の自分の言葉を思い出しながら、羞恥心で地面に埋まりたい気分だった。


「――……あ、そっか!なるほどな……!だから去年のお前、イヤリングのことであんなにキレたんだな?俺の励ましってだけじゃなくて、俺を好きになった時の思い出記念――……」

「も、もうその話は終わりっ!!」

 ちょうど信号が青に変わると、緑依風は無理やり話を打ち切って、先に横断歩道を渡り始める。 


 緑依風が口をへの字に曲げながら、汗をかいた顔を手で扇いでいると、「俺は、今でも好きだぞ」と、後ろから風麻の声が飛んできた。


「え?」

「これも、お世辞じゃない。お前の名前……俺は今でもいい名前だと思ってる」

「…………」

「お前に似合うよな!」

 そう言って、風麻がニッと歯を見せるように笑いかけると、緑依風はまた、ボッと火が出てしまいそうな勢いで赤面した。


 *


 朝休み。

 学校の廊下に集った、緑依風、風麻、爽太、奏音、星華の五人。


 奏音は、緑依風達に転院先での亜梨明の様子を聞かせてくれた。


 亜梨明はまた昨日からリハビリと、手術に向けて最終検査を数日に分けて行っており、特に大きな問題が無ければ予定日を早めに決められそうだと、高城先生と転院先の担当医に説明されたらしい。


「日下からもらった時計も、ずっと大事そうに眺めてるよ。今朝お母さんから電話で聞いたけど、昨日は時計握り締めたまま寝てたみたいで、朝起きて手元に無いから一瞬慌てたらしいんだけど、夜見回りに来た看護師さんが落として壊さないようにって、引き出しにしまってくれたってさ!」

 奏音の話を聞いた爽太は、「気に入ってくれて良かったよ」嬉しそうに言った。


「……そうそうお母さんがね、私にこのメンバーとお母さんを入れたグループトークを作らせて、そこに亜梨明の様子を日記風に書こうって考えてるんだけど、どうかな?」

 奏音が母の提案を説明すると、星華は「それいいね!」と両手をパチンと鳴らした。


「うん、私もいいと思う!これなら離れてても、亜梨明ちゃんの様子を知れるよね!」

 緑依風も賛成すると、風麻や爽太も次々頷き、皆、東京で頑張る亜梨明の報告が楽しみになった。


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