第190話 旅立つ君に贈るもの(前編)


 六月三日。

 奏音が学校から帰って来ると、母親の明日香がせっせと夜の誕生パーティーに向けて、料理をたくさん用意していた。


 バーベキュー用のお肉やお野菜の下ごしらえはもちろん、気軽につまめるから揚げやフライドポテト、マカロニサラダ、そして今は一口サイズのコロコロしたおにぎりをこしらえているところだ。


 一時間程すると、その数はさらに増えており、会社を早退してきた父親の真琴が設置したアウトドア用のテーブルの上に、料理が窮屈そうに並べられた。


「ちょっとお母さん作りすぎじゃない?男子二人しか来ないよ?」

 奏音はもう一台設置されたテーブルに料理を運びながら、余ることを心配した。


「でも、足りなかったら申し訳ないから……」

 何しろ食べ盛りの中学生がたくさん来るのだ。


 娘達のパーティーに来てもらって、空腹のまま返すわけにはいかないと思っているのか、今明日香の手の上には、トースターで温めるだけで出来上がる冷凍ピザまである。


「んも~っ、充分だってば!」

 奏音が明日香からピザを取り上げて冷凍庫にしまうと、割り箸を取りにそばにやって来ていた真琴が「ははっ」と笑いながら、心配そうな明日香の後ろを通り過ぎた。


「……あ、大変今何時?」

 明日香が台所からリビングの時計を除くと、時刻は午後五時を指していた。


「亜梨明を迎えに行かなきゃ……お父さん、車の準備お願い」

 明日香は手を洗って、エプロンを外しながら頼んだ。


「じゃあ、奏音……みんなが来たらお願いね」

「はーい、気をつけてねー」

 奏音は両親を見送ると、まだ運び終えていない紙コップなどを庭のテーブルに置いたりして、友人達の到着を待つことにした。


 *


 午後六時前になると、緑依風、風麻、爽太が揃って相楽家にやって来た。


「みんないらっしゃーい!」

 奏音が出迎えると、「亜梨明は?」と爽太が聞いた。


「さっき親達が迎えに行った。もうすぐ帰って来るんじゃない?……あ、噂をすれば!」

 奏音が駐車場の方向へと首を振ると、家の前に停められた車から、亜梨明が真琴に抱きかかえられて出てきた。

 

「わーい、おうちだー!久しぶり~っ!!」

 入院して以来、一度も家に帰れていなかった亜梨明が、ひと月ぶりの帰宅を喜ぶ声が聞こえると、皆嬉しそうに表情を明るくさせ、亜梨明のそばに駆け寄る。


「おかえり、亜梨明!」

「ただいま奏音!」

 奏音が抱っこされたままの亜梨明に手を伸ばすと、亜梨明も同じように伸ばし、はしゃぐように声を上げた。


「みんなも、来てくれてありがとう!」

 父親に背もたれ付きの椅子に座らせてもらった亜梨明は、集まってきた友達にお礼を言った。


 *


 しばらくすると、星華、立花、晶子も続々と到着した。


 全員が揃うと、真琴はバーベキューコンロの火起こしを始め、その間に招待された者達は、亜梨明と奏音に先日購入した誕生日プレゼントを渡すことにした。


「わぁ~っ!お財布だ!!」

「え、しかもよく見たら……!!」

 プレゼントの入った箱を開けた亜梨明と奏音は、その財布が色違いのお揃いだと気付くと、更に表情を輝かせて喜んだ。


「元気になったら、これ持って一緒にお買い物に行きたいね!」と言う亜梨明に、奏音は「うん!」と返事をする。


「お待たせ。――さあ、そろそろ始めようか!」

 火の準備を終えた真琴が、みんなにテーブルに集まるよう手招きをした。


 明日香も、テーブルの中央に並べられた、二つのケーキのろうそくに火を灯す。


 日が落ちて、薄暗くなってきた庭の中央が、オレンジ色の温かい光でほわっと優しく彩られると、真琴が飲み物の入った紙コップを手に取り、妻と二人の娘――娘の友人達をぐるっと見渡した。


「では……みんな今日は集まってくれてありがとう。少し早いけど、亜梨明、奏音……十四歳の誕生日おめでとう!」

 真琴の音頭に続いて、集まったメンバーが「おめでとう!」と手に持ったコップを空に向かって掲げると、それを合図に亜梨明と奏音はろうそくの火を吹き消した。


 火が消されると同時に、みんなから相楽姉妹に歓声――そして、パチパチパチと拍手が送られる。


「なんか恥ずかしいね……」と、熱くなった顔を手で仰ぐ奏音に、亜梨明は「でも嬉しいね!」と笑いかけた。


 *


 ケーキは一旦冷蔵庫にしまわれ、夕食の時間となった。


 皆、用意されたお肉や野菜を各々好きにとって焼き始めたり、焼き上がるまでおにぎりや鶏のから揚げを紙皿に乗せて食べながら雑談したりと、自由にしている。


 楽しそうな笑い声や、ジュージューと食材が焼ける音、香ばしい香りが、庭一面に広がった。


「お肉、まだまだあるからたくさん食べてね!――きゃっ!?」

 明日香がリビングの出窓から庭に追加の肉を運ぼうとすると、白い影が彼女の足元を通過し、亜梨明の膝元へと飛び乗った。


「あ、フィーネ!!」

 白い影の正体は、去年亜梨明の奮闘により相楽家の猫となった、フィーネだった。


 亜梨明はサイドテーブルに紙皿と箸を置くと、嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らすフィーネを抱き上げる。


「フィーネも久しぶり~っ!!会いたかったぁ~っ!!」

 亜梨明がギューッと抱き締めると、フィーネは何度も彼女の肩口に顔をすり寄せ、再会をとても喜んでいるようだ。


「こらこら、ご飯食べれないでしょ……」

 気付いた奏音が、フィーネを抱き上げて家の中に連れ戻そうとすると、フィーネは不満なのか、奏音の顔を前足で押さえつけるようにして、拘束を解こうと暴れた。


「後で遊ぼうね!」

 亜梨明がそうフィーネに声を掛けると、フィーネが脱走しないよう別室に置いてきた奏音は、再び自分の紙皿を手にして、立花や星華の元へ向かった。


「亜梨明ちゃん、食べてる?」

 奏音と入れ替わりで、お皿におかずをバランスよく盛り付けた緑依風が、亜梨明のそばへとやって来る。


「うん!」

「手術までに、たくさん食べて体力つけないと!他に何か欲しいの無い?」

 緑依風がバーベキューコンロを指さして聞くと、亜梨明は「じゃあ……ポテトとトウモロコシかな?」と、食べたいものをリクエストした。


「スタミナつけるにはお肉も食べなきゃ!私、いっぱい取ってきてあげるね!!」

 そう言うと、緑依風は亜梨明のお皿を持って、食べ物が並ぶテーブルへと向かった。


「あ、緑依風ちゃんもちゃんと食べてよー!」

 亜梨明が叫ぶが、緑依風はあえてスルーしながら、彼女のために焼き上がったばかりの肉をニコニコしながら重ねて盛っていく。


「これと、あとポテトと――……」

 緑依風がおかずの乗ったテーブルへと振り返ると、風麻が空っぽになったお皿を持ったまま、ぼんやりとした顔で立ち尽くしていた。


 彼の視線の先には、亜梨明――そして、爽太が二人並んで座っており、仲睦まじく、幸せそうに笑い合って話をしている。


「叶わないのなんて、最初っからわかってたのにな……」

「え……?」

 風麻は独り言のように言ったが、その微かな声は緑依風の耳にも届いていた。


「――あ、何でも無い。……って、お前肉盛り過ぎだろ……太るぞ!」

「これは、亜梨明ちゃんの分!」

「……に、したって多いぞ……あいつこんなに食べれるわけねぇだろ……」

 風麻は肉の山のてっぺんに置かれたトウモロコシと、端にポテトが数本乗ったお皿を見て呆れた。


「……これ、亜梨明ちゃんに持って行ってあげて」

 緑依風は亜梨明のお皿を風麻に差し出し、彼が亜梨明と話せるきっかけを作ろうとするが、風麻は「いいよ、もう……」と斜め下を向き、それを拒む。


「――俺の恋は終わったんだよ。……だから、お前ももう、応援しなくていいんだ」

「…………」

 緑依風は一旦、亜梨明に皿を渡しに行くと、また風麻の元へ舞い戻り、彼の何も乗っていない皿を無言で取り上げ、お肉を多め、野菜を少しの配分で盛り付け始める。


「おい、肉は嬉しいけどピーマンまでしっかり入れんなって……――」

「――風麻には、日下には無いいいとこ、たくさんあるよ……」

 緑依風が風麻にお皿を突き出しながら言った。


「……は?」

「亜梨明ちゃんだって、風麻に助けられたこといっぱいあるよ……!風麻に元気もらってたよ!風麻のいいとこ、たくさん知ってくれたよ……!!だから――……早く、元気になってよ……!」

「…………」

 緑依風がそう言い終えた途端、少しぬるい夜風がふわりと吹いて、風麻の心の中まで届き、優しく傷を撫でていく――。


 緑依風は紙皿を持った腕を伸ばしたまま、少し潤んだ瞳を隠すように俯き、地面へと視線を落とした。


「――……サンキューな。なんか……今の言葉、結構救われたかも」

 風麻は鼻から息を漏らすようにして笑い、彼女からお皿を受け取った。


「ところでお前、髪に焼肉のタレ付いてんぞ……」

「え、嘘っ!?」

 緑依風が風麻の指さす部分の髪を持ち上げると、毛先にほんの少しだけタレが付着していた。


「肉取る時に付いたんだろ……。髪、また前みたいに短くしろよ」

 緑依風は毛先を押えながら、「これは……」とムッとした表情で言った。


「本当は短い方が好きなくせに。願掛けか何か知らねーけど、お前はやっぱり前の髪型の方が似合ってる。あっちの方がお前らしい」

 緑依風は毛先に触れたまま「うーん……」と口を尖らせて唸る。


「――俺は、いつもの短い髪のお前が良い!……好きなヤツのために、自分の好きなことまで我慢しなくていいじゃん……」

「…………!」

 風麻がハッキリとした口調で言うと、緑依風はパチパチと瞬きをしてすぐ、今度は「はぁ~っ……」と深くため息をつき、呆れたような――諦めたような表情で、「そうだね……」と力無い声で言った。


「もう、伸ばしてる意味も無くなったし……そろそろ切ろうかな」

「おう、ばっさり行け」

「うん……」

 緑依風がお喋りをしている奏音と立花の元へと去ると、風麻は長い髪を揺らす彼女の背に向かって、「ごめんな……」と、小さく呟いた。


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