第187話 未来予想図(後編)


 歩き続けて数分後――。


 道中、緑依風の怪しむ視線を受け続けて、気まずかった風麻だったが、ようやく夏城総合病院に到着し、やっと肩の力を抜くことができた。


「え~っと……亜梨明ちゃんの病室は、確か四階だったかな?」

 そう呟く緑依風に連れられ、エレベーターに乗る。


 亜梨明と三週間近く面会できずにいた風麻。


 久々に彼女と会えることに、嬉しさと緊張が入り交ざった気持ちで病室前へ辿り着くと、何故か部屋のドアは開きっぱなしで、ベッドの上も掛布団などがぐちゃっとしたまま――なのに、そこにいるはずの亜梨明本人の姿が見えない。


「あれ……?」

「相楽姉、いないぞ……?」

 もしや、何かあったのではと二人揃って青ざめていると、「あー!」と通路の左側から声が聞こえた。


 風麻と緑依風が声の方へ振り向くと、看護師に車椅子を押してもらいながら、「緑依風ちゃんと坂下くんだ~!いらっしゃーい!」と、手を振る亜梨明の姿がそこにあった。


「驚かすなよ〜……具合悪くなったのかと焦ったぜ……」

 風麻が眉を八の字に曲げ、胸を撫で下ろしながらため息をつく。


「えっへへ……!ドア閉めるの忘れちゃってた!」

 亜梨明は車椅子からベッドによじ登ると、のんきな笑顔を浮かべてそう言った。


「坂下くん、久しぶりだね~!」

 ベッドにちょこんと座った亜梨明が、風麻に笑いかける。


「おう、四月以来だな」

「みんなはもう何回か来てくれたけど~、坂下くんだけなかなか会いに来てくれないから……私のこと、すっかり忘れてるのかと思ってたよ」

 亜梨明はそう言って、わざとらしく口先をすぼめ、拗ねたフリをする。


「予定がなかなか合わなかったんだ。悪かったよ……」

「うそうそ!会いに来てくれてありがとう!」

「具合はどうだ?」

「補助装置つけてからは割と元気だよ。今は手術に向けて体力作りやってて……さっきもリハビリ室に行ってたんだ!」

「緑依風からちょっと話聞いてる。リハビリ順調らしいな!」

「うん!やっぱり疲れるけど、そのくらい体力ガタ落ちしてたみたいだから、今まで寝てばっかりだった分、頑張って取り戻さなきゃ!」

 拳を作り、両腕を横に掲げながら無邪気な明るい笑顔を湛える亜梨明。


 そんな彼女を目にした途端、風麻の胸の内に残る、亜梨明を愛しいと思う気持ちが再び溢れ出そうとする。


 ジワリ、ジワリと――まるで、閉じかけた傷口から血が滲み出るような……。


 自分で決めたはずなのに、叶わなかった失恋の傷は、やはり未だ完全に癒えてはくれない。


「あ~あ……なんか暑いなぁ~!」

 突然、緑依風が右手をうちわのようにして顔を扇ぎだし、少し大きめの声を上げた。


「私、売店で飲み物買ってこ~ようっと!二人は、なんか飲む?」

 緑依風は椅子から立ち上がり、鞄から財布を取り出しながら聞く。


「私は今、水分制限あるからあまりたくさん飲めなくて……。あ、でも買ってきてここで飲んでてもいいからね!」

「そっか、じゃあ風麻は?何がいいの?」

「俺も一緒に行くよ」

 風麻も鞄を肩に掛け、緑依風と共に売店に向かおうとするが、「いいからいいから、二人でゆっくり話してなよ!」と、彼女は立ち上がったばかりの風麻の肩を押さえて、椅子に座り直させる。

 

「せっかくお見舞いに来たのに、亜梨明ちゃん一人になっちゃうでしょ?どうする?コーラ?カフェオレ?」

「じゃあ、コーラ……」

 風麻がそう言うと、緑依風は「オッケー、じゃあ行ってきまーす!」と、元気よく二人に手を振って、病室を出ていった。


 風麻は、緑依風が気を使って二人きりにしてくれたことがわかった。

 わかったからこそ、緑依風の優しさが辛かった。


 そんな風麻の心境を知らない亜梨明は、「お昼過ぎたら爽ちゃんも来るんだ!」と、爽太が見舞いに来ることを告げた。


「爽太、学校帰りもずーっとお見舞い行ってるよな?」

「うん、部活が無い日はほぼ毎回ね。ここでお勉強教えてくれるの!」

「そっか……じゃあそれまでに、俺達は退散しないとな」

 風麻がニヤニヤとした表情を作って言うと、「べっ……別にいてくれていいのに」と、亜梨明の顔が赤く染まる。


「なんだよ、イチャつけよ。せっかく恋人同士になれたんだろ?……よかったな、魔法が無くとも爽太と仲直りできて、両想いになれてさ……」

「うん……気持ち的にはね、私はもう病人じゃないんだ。残念ながら、こっちの方はやっぱり修理が必要みたいだけど……」

 そう言って、亜梨明は自身の胸にそっと手を添えた。


「坂下くんには、爽ちゃんのことで相談に乗ってもらって、気にかけてもらって、本当に感謝してるの。だから、会えたら絶対お礼言わなきゃって思ってた。ありがとう坂下くん!」

「…………」

 あの日保健室で見たものとは違う、強い生命力と『幸せ』を感じる亜梨明の笑顔。


 見たいと思っていたもの。

 爽太と気持ちを通じ合えたからこそ、見れたもの……。


 諦めてよかった。

 きっと自分では、亜梨明の心をもう一度立ち直らせるなんてできなかったから。


 風麻は、亜梨明への想いに後ろ髪を引かれつつも、自ら下したあの判断の正しさを認識すると、「おう、役に立ててよかったよ!」と言って、ニッと白い歯を見せた。


「お待たせー」

 話をしていると、飲み物を買った緑依風が戻って来た。


 そこからしばらくは、三人で楽しく談話を繰り広げ、一時間程滞在した後、風麻と緑依風はまた来ることを亜梨明に告げて、退室することにした。


 *


 亜梨明の病室を離れて、エレベーターを待っていると、「亜梨明ちゃんと、ちょっとはゆっくり話せた?」と緑依風が聞いた。


「……やっぱりお前、アレ俺に気ぃ使ったのか」

 風麻が言うと、緑依風は「気を使ったというか……」と言いながら、点灯する数字を見つめ、エレベーターの現在位置を確認する。


「私はこの間も亜梨明ちゃんとたっぷり話したし、風麻もゆっくり話したいかな~って思っただけ」

「もう協力しようなんて思わなくていいんだぞ?相楽姉は爽太のもんだ」

「強がって意地張んなくていいよ。……少なくとも、私の前ではね」

「なんだそれ?」

 到着したエレベーターに乗りながら、風麻が首を傾げる。


「あんたが前に言ったんだよ、俺の前ではお姉ちゃんしなくていいとか、なんとかさ……」

「うん……それは覚えてるわ」

 風麻は去年のちょうど今頃、緑依風に似たような言葉を掛けたことを思い出しながら頷いた。


「……ってか、俺の方が今は背が高いんだから、今度こそ俺が兄ちゃんだぞ!」

「まだこだわってんのそれ……子供っぽい」

 緑依風が呆れると「お前のそういうとこが……やっぱり信じられないんだよなぁ」と、風麻は緑依風が聞き取れない声量で、ぶつくさと呟いた。


 エレベーターが一階に到着し、ロビーまでやって来ると、おくるみに身を包んだ赤ちゃんを抱っこした女性と、その夫らしき男性が二人の前を通り過ぎていく。


「わぁ〜!赤ちゃんだ~!生まれたばっかりかなぁ?可愛いなぁ~……」

 まだクシャクシャのお猿のような顔の赤子を目で追う緑依風は、両手で頬を包み込むようにして感動している。


「ちっちゃーい~!優菜の時を思い出すなぁ~。いいなぁ……」

「お前も将来、子供産みたいとかって気持ちあんの?」

 風麻は、離れた場所にいる赤ちゃんを羨ましそうに見続ける緑依風に聞いた。


「そりゃあるよ~!」

「誰かと結婚して……ってか?」

 その瞬間、緑依風のうっとりした顔は一気に冷静になり、そして静かになった。


「まぁ、それは……ね。誰か――誰かと、縁があれば……ね」

「ふーん……。まっ、そうなったら今度は子世代でも、今みたいな付き合いできたら楽しそうだよな!」

「それは無理だと思う」

 低く、はっきりとしたトーンで緑依風に否定され、風麻は「は?なんで?」と少々驚きながら聞く。


「なんで無理なんだよ」

「だって、おかしいよ。男女の幼馴染で親友で……お互いに相手がいるのに今のまま仲良く居続けるって……すごく難しいし、変だよ……」

「そんなこと――……」

「ない」と、風麻が言う前に緑依風は「あるの!」と、言葉を強めた。


「ずっと風麻と友達でいられても、“今の関係”ではいられない……いちゃいけないもんなの!」


 家族のような、きょうだいのような――。


 そんな関係で未来を共にすることはできないと、緑依風本人に否定された途端、風麻は寒くて冷たい空っ風が吹く場所に放り投げられたかのような感覚に襲われる。


 緑依風は、立ち止まってしまった風麻に気付かぬままスタスタと歩いて、数メートル先の入り口の自動ドアを通り抜けていった。


 緑依風が離れていく――。


 物理的なものだけではなく、心の距離もどんどん離れて遠くへ行ってしまいそうな気がして、風麻は慌てて彼女を追いかけ、緑依風の手首を強く掴んだ。


「何っ――!?危ないじゃない……!!」

 ぐんっと後ろにいきなり引っ張られて転びそうになった緑依風は、声を裏返しながら風麻を叱る。


「……勝手に行くなよ」

「風麻が来なかったんでしょ」

 そこから家に帰るまで、風麻は緑依風の歩調を意識し、彼女の隣を歩き続けた。


 時々前後にバラバラになりながら――それでも、何度も何度も足並みを合わせ、緑依風から離れないように……。


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