第186話 未来予想図(前編)
高城先生に指導された通り、亜梨明は手術に挑める体力作りのために、リハビリを開始した。
理学療法士の先生に付き添われ、病棟内をゆっくり歩いてみたり、ストレッチをしたり。
食欲は、元気な時に比べるとかなり落ちていたのだが、なるべく残さぬよう意識して、しっかりと食べた。
時々、微熱や怠さで動けない日もあるようだが、それでも以前拒んだ補助装置もつけてもらったことで、弱った心臓を休めることができているらしく、一時期に比べるとずいぶん顔色も良く、笑うことが増えた。
緑依風達は先日、お見舞いに行った日に、爽太と無事に両想いになれた報告を亜梨明から聞いた。
星華は「やったぁぁ~!!おめでとう~~っ!!」と大喜びし、二人を祝福した。
奏音は「あの大変だった時に何やってんのあんた達……」と、呆れながらも、その表情は嬉しそうだった。
緑依風も心から、亜梨明と爽太が結ばれたことを喜んだが、晶子が予測した通り、風麻の気持ちも心配になっていた。
諦めるとは言っても、そんな簡単に“好きな気持ち”は消えてくれないはず――。
思いが通じ合った亜梨明と爽太の間に、もう風麻が入れる隙間は無いであろうし、彼もそんなことをするとは思えない。
それでも、きっと今でも亜梨明が好きな気持ちは残っているはずの風麻に、自分は何ができるだろうと、緑依風は考える。
*
日曜日。
部活も無いので昼近くまでダラダラ寝ていようとしていたが、母の伊織に「中間テストの勉強は?」と叩き起こされて不満げな風麻のスマホに、緑依風からメッセージが届く。
内容は、「亜梨明ちゃんのお見舞い一緒に行かない?」という文章で、風麻は即座に「行く」と返事した。
この間誘われた時には、緑依風の思わぬ情報のことで気持ちに余裕が無く断った風麻だったが、数日経過して少し落ち着いてきたことと、面会ができるようになった亜梨明の顔をまだ一度も見ていなかったため、そして何より、これを口実に勉強から逃げられるのをチャンスと思い、すぐさま出かける準備をした。
さすがの伊織も、大病を患っている友人との久しぶりの再会には、「顔見て安心してらっしゃい」と許してくれた。
十五分程すると、緑依風が坂下家のベルを押して、風麻を迎えに来た。
ちょっぴり汗ばむ気温のせいか、今日の緑依風は長い髪をポニーテールに結わえ、白いシャツに水色デニムのスカートと、初夏らしい爽やかな色合いのコーデだ。
「お待たせ~って、……あ、髪やってねぇや……」
学校に行く時や出かける際は、いつもワックスで髪の毛先を整えていた風麻だったが、急いで着替えと歯磨きをしたために、頭の方は何も手付かずのままだった。
「別にわざわざ跳ねさせなくったって、寝癖も付いてないしいいじゃない。せっかくあんたの髪真っ直ぐなのに、もったいない」
スニーカーを履きながら、玄関に置いてある鏡の前で髪に動きをつけようとする風麻に、緑依風が言う。
「立てた方が背が高く見えるだろ……」
そう言って、風麻が緑依風に振り向いた時だった。
「ん……?」
「?」
緑依風と正面で向き合った途端、風麻は違和感を覚える。
自分の目線が、緑依風の目元よりもやや上にあるように思えた。
そして緑依風も、彼が足元から頭のてっぺんまで確認する動作を見て、あることに気付く――。
「あ……っ!」
「あ"ぁ~~っ!!?」
自分と緑依風の靴の種類も確認したところで、風麻が大声を上げる。
「なになに、忘れ物?」
息子の叫び声を聞いて、リビングから伊織が小走りで出てきた。
「母さん、見て……!」
緑依風の横に並んだ風麻が、頭の上に手をかざしながら言った。
「あら……。遂に緑依風ちゃんを追い抜いたのね……!」
二人を見比べた伊織も、風麻の頭の位置が、緑依風より少しだけ高いことに気付いたようだ。
「んんぅぅ~~っ……ぃやったぁぁー!!ついに、遂に緑依風を追い越したぞ〜っ!!」
風麻は何度もガッツポーズをして喜びを噛みしめた。
玄関でジャンプを繰り返して大喜びする息子に、伊織は「はいはい、いいからお見舞いに早く行って来なさい」と呆れて、腰に手を当てながらため息をつく。
「そうやって喜んでるうちは、まだまだ子供ね……」
「ちぇっ、母さんは息子の成長をもっと喜んでよ……」
「風麻の骨格は、ガタイのいいお父さん似だもの。体が大きくなるなんてわかり切ってるわ。ごめんね緑依風ちゃん……中身の方は、いつまで経っても変わらないかも……」
伊織が腰に手を当てた状態のまま緑依風に謝ると、母の薄い反応がつまらないと思った風麻は「あー……さっさと見舞い行こーぜ……。行ってきます」と言って、ドアを開けた。
「行ってらっしゃい」
伊織がにっこりして手を振ると、緑依風はペコリと頭を下げて、風麻と共に家を出た。
眩しい太陽の下、住宅が連なる道を歩く風麻と緑依風。
「にっひひっ!」
昔から、同い年の緑依風より背が低いことを気にしていた風麻は、ライバルだと感じていた彼女の背をようやく追い越したことで、ほんの少し優越感に浸っていた。
その顔はニヤニヤが止まらず、嬉しさを全く隠せていない。
――が、風麻がチラリと半歩後ろを歩く緑依風を見ると、彼女も顔をほんのり赤く染めて高揚している様子が伺える。
「なんだよ、追い抜かれたのに嬉しそうだな?」
風麻が不思議に思いながら聞いた。
「うん、前も言ったじゃない。早く追い抜いて欲しかったって」
すっかりそのことを忘れていた風麻は、「あー……なんか言ってた気もする」と空を見上げながら言った。
――と、その時。
風麻は去年、海生が話していた緑依風の好きな人の特徴も思い出した。
「あの子の気になる子が、あの子より小さいからかもね」
「あの子は、自分の好きな子が、もし伸び悩んで止まってしまったら、自分は女の子として見てもらえないって、不安なのよ」
風麻はその言葉を思い出して、あの時緑依風がどうしてあんなに元気を無くしたのか――本当の理由を、約一年越しにようやく悟った。
「そういうことかよ……」
「ん?何がそういうこと?」
「べっつにー……。ただの独り言」
「そう……」
今日も五月半ばだというのに、夏の様に暑く感じる。
十分近く歩いていると、だんだん肌が汗ばんできた。
「あぁっちぃ~……。爽やかな季節はどこに行ったんだ……」
「春は短かったね〜……。今日、髪結んできてよかった……」
緑依風はポニーテールに結んだ髪に触れながら言った。
「…………」
風麻は「もしかして、これも俺が何か言ったからなのか?」と思いながら、緑依風の長い髪を見つめる。
「なぁ……俺、お前に髪長いやつが好きとか話したっけ?」
横断歩道で信号が変わるのを待つ間に、風麻が問いかける。
「えっ……何、いきなり……?」
「いや……俺さ、女子は長い髪の方が好みかなぁ~って思うんだけど、お前に言ったことあるかなーって……?」
「うーんと……どちらかというとそっちが好きって言ってた気がする。あと、似合えばなんでもいいとか……」
「そ、そうか……。そうだったか……」
その返答を聞いて、風麻は確信した。
昔からずっとミディアムヘアーをキープしていた彼女が、どうしてこの一年髪を伸ばしていたのかを。
「なんでいきなりそんなこと……?」
「えっ、え~っと……」
質問を不自然に思う緑依風に睨まれて、風麻は慌てて誤魔化しの言葉を探そうとするが、タイミングよく信号は青に変わり、「おっ、さっさと渡ろうぜ!」と先陣を切り、逃れることができた。
「(長いのは、シャンプーとドライヤーが大変だって言ってたのにな~って思ってたら、やっぱり俺のせいかよ……)」
あの時何気なく放った一言ですら、彼女は拾って気を引こうと努力していたことを知った風麻は、爽太に負けず劣らずの鈍感な自分に幻滅しながら、亜梨明のいる病院へと歩みを進めた。
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