第182話 最期の願い(後編)


「――最期だなんて言うなよっ!!!!!」

 闇夜の広場に、爽太の悲痛な叫びが響き渡る――。


 夜風は彼の残響を草の香りと共に空へと舞い上げ、亜梨明の長い髪もそれに吹かれてサラサラと揺れていた。


「……最期だなんて言うなよ……。一緒に生きてよ……。大人になって、隣で夢を叶えるとこ見てよ……」

 サク、サク――と、爽太はよろめくように体を揺らしながら、芝生を踏みしめ、亜梨明の元へと近付いて行く。


 ぽたっ――と暗がりの草の上に何かが落ちる音がして、亜梨明が顔を上げると、爽太の瞳からは大粒の涙が溢れており、彼は亜梨明のすぐそばまで来たところで、崩れ落ちるように両膝を地面の上につけた。


「……僕のために、生きてよっ……」 

「……――でもっ!だって……っ!」

 亜梨明が後ろに身じろぐと、爽太は逃がさぬように両腕を伸ばし、彼女の細い体を抱き締めた。


「爽ちゃっ……」

「今更でごめん!あんな思いさせて、ごめんっ……!!だけどっ――聞いて欲しい!!」

 亜梨明を包む爽太の腕に、より一層力が込められる。


「――君が、好きだから……失いたくないっ……!!」

「…………!!」

 目を見開き、驚く亜梨明の耳元で、爽太は嗚咽を漏らし、まるで小さな子供のように声を上げて泣き始めた。


「ぅ……っく、お、お願いっ、だから……っ、死ぬなんて、言わないで……っ!」

 何度も涙に言葉を詰まらせ、ひっくひっくと呼吸するたびに喉を鳴らして、彼は亜梨明に死なないで欲しいと懇願する。


「そう、ちゃん……好きって……ほんと、に……?」

 未だ困惑する頭で、亜梨明が信じられない気持ちで聞くと、彼は発した言葉を肯定するべく、亜梨明の肩に顔を埋めたまま何度も頷いた。


「信じてくれないなら、信じてくれるまで言うよ……。亜梨明が好きだよ……!絶対っ……絶対に、死なせないから……っ!!」

 亜梨明を包み込む爽太の手は、彼女の命を決して離すものかと言わんばかりに、指先までしっかりと力が込められていて、そんな苦しいくらいの抱擁に、彼の言葉を本物だと信じた亜梨明の心が、鼓動よりも強く揺れ動き始める――。


「わた、し……っ」

 亜梨明の手が、今も体を震わせて泣き続ける爽太の背中を包み返す。


「私も……まだ死にたくないっ……!」

 もう無理かもしれないと諦めた日に封じ込めた、本当の気持ち――。

 それを口にした途端、亜梨明の目からも、爽太同様に大粒の涙が零れた。


「本当は、死にたくないよ……!爽ちゃんと一緒に生きたいっ!ずっと一緒にいたいよぉ……!」

 心の奥の扉にしまい込んで、鍵をかけていたはずの真の願いが、今――声になり、涙となる。


「うん……。生きて……僕と一緒に生きて欲しい……!」

「……よかったっ、爽ちゃんのことっ……好きなままでいてっ、よかった……っ」

「うん……僕も――……亜梨明にちゃんと伝えられて、よかった……」

 爽太は亜梨明の肩から顔を離し、亜梨明の顔を見つめた。


 亜梨明も爽太の顔を見た。


 互いに目を真っ赤に腫らし、顔に涙の跡がたくさん付いている。


「帰りたい……」

 亜梨明が言うと「帰ろう」と、爽太はもう一度亜梨明を優しく抱き締めた。


 *


「亜梨明、寒くない?」

 サク、サク――と、芝生を踏み鳴らし、後ろを振り向く爽太。


 パジャマ一枚でここにやって来た彼女に、爽太は自分が来ていたパーカーを着せて、これ以上心臓に負担がかからぬよう、背負って病院まで連れ帰っていた。


「うん、爽ちゃんの上着着せてもらったから……。でも、爽ちゃんが寒そう……」

「僕は平気。背中に亜梨明がいるからあったかいよ」

「そう……?……っ、ぅ……!」

 階段を下りきった所で、亜梨明が苦しさに呻くと、爽太は「少し急ぐから、しっかり掴まってね」と言って、歩く速度を上げようとする――が。


「……ふふっ」

 亜梨明は途切れる呼吸の合間に、何故か嬉しそうに小さな笑い声を漏らす。


「?」

「爽ちゃんの背中ね……あったかくて好きなんだ……。落ち着く……」

 そう言って、頬を爽太の背中にすり寄せる亜梨明。


 爽太は、ほんのり顔を赤らめると、少し照れたように「あまり喋ると体力消耗するよ」と言って、急ぎ足で病院に戻った。


 病院の時間外出入口が見えてくると、その前で亜梨明の主治医の南條先生や、看護師数人、奏音と相楽姉妹の両親が待ち構えていた。


 亜梨明の処置がすぐできるよう、丘の上に辿り着いた際、予め奏音にメッセージで手配を頼んでいた爽太は、背中に抱えていた亜梨明を医療スタッフに預け、彼女はそのままストレッチャーに乗せられて処置室へと運ばれた。


 姉妹の両親と奏音は、何度も爽太に頭を下げながらお礼を伝えると、亜梨明の運ばれた処置室前へと移動して行き、爽太も友人達の待つロビーへと向かった。


 *


 しばらくして、奏音が緑依風や爽太達が待つロビーに戻って来た。


 長時間、点滴の投与も無しに肌寒い外に居続けた亜梨明を、みんなとても心配していたが、奏音は穏やかな様子で「待っててくれてありがとうね」と言いながらゆっくり歩いてきた。


「思ったより悪くなってなかったみたい。今は薬が効いて楽になったのか、眠っちゃって」

 奏音が今の亜梨明の様子を告げると、皆安心したように表情を和らげた。


「でも日下、よく亜梨明ちゃんの居場所がわかったね。まさか意外と近くにいたなんて」

「ホントだよ~。病院の中にも庭にもいないって聞いたから、バスとかでもっと遠くに行っちゃったかと思ってたけど、あんな丘にいたんだ~」

 緑依風と星華が感心しながら言うと、「沖さんのおかげかな?」と爽太は晶子を見た。


「亜梨明の足でも行ける距離で、祈れる場所って考えたらあそこしかなかったから」

「日下くんだからこそ、わかる場所でしたね」

 にっこり笑った晶子が言うと、奏音は「うん……」と深く頷いた。


「亜梨明ね……さっき、「生きたい」って言ったの。その気持ち、もっと強くしてあげたい」

「今度は亜梨明ちゃん、会ってくれるかな?」

「うん、きっと!」

 奏音と星華がやり取りする横では、爽太が「あ、そういえば……」と、何かを思い出したように顔を上げる。


「風麻。夕方、高城先生から返事が来たんだ」

「本当かっ!?」

「診察、してくれるってさ」

「高城先生って誰?」

 奏音が首を傾げていると、夫と共に亜梨明の病室にいたはずの明日香が、六人のそばまでやって来て、南條先生から大事な話があるから戻って欲しいと奏音に告げた。


 奏音と明日香が礼と挨拶をして五人の元を去ると、「高城先生……どっかで聞いたな」と、星華は聞き覚えのある名前の記憶の糸を「うーん……」と唸りながら辿る。


「――あ、思い出した!外科医の高城元気!ママの持ってる本に載ってた人だ!!」

 星華が声を張り上げたので、緑依風と晶子は「病院で大声出さない!」と、口を塞いだ。


「どうやら僕が連絡しなくても、担当の先生はすでに相談してたみたいだ。結局、僕は本当に何もできなかったね」

 爽太が「ははっ」と自嘲気味に笑うと「そんなことないぞ」と風麻は否定する。


「相楽姉は、きっと俺らが迎えに行っても帰って来なかったと思う……。爽太、お前が誰よりも一番に相楽姉を助けたんだ」

「…………」

「お前が見つけてくれてよかったよ。……さてと、腹減ったしみんな帰ろうぜー!」

 風麻はそう言って頭の後ろに両手を添え、時間外出入り口の方へと向かった。


「私もそう思うよ。日下が一番最初に、亜梨明ちゃんを助けてくれたんだって!」

 緑依風は爽太の背中をポンっと軽く叩いて、風麻を追いかけた。


「帰りましょう」

「うん」

 爽太は晶子、星華と共に歩き始めた。


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