第181話 最期の願い(中編)
人工的な灯りの無い、月と星の光だけが照らす夜の丘の上――。
亜梨明は、その丘の白い石の前に座っていた。
「思ったより……時間かかっちゃった……。でも、ここまで来れてよかった……」
右手で石に触れながら、左手で重苦しい胸をキュッと押さえる亜梨明は、そう呟いて安心したように微笑む。
以前、爽太に連れられた時には、ほんの数分で来られた距離なのに、苦しさで休みながらこの場所は来るには、その倍以上時間がかかった。
亜梨明は、何度も途切れそうな意識を必死に保ちながら、やっとの思いで石の前に辿り着いたのだった。
終わる――もうすぐ、私の命はここで終わる。
十三年と十一か月。
短いかもしれない。
でも、生まれつきのハンデはあれど、だからこそ人より濃い内容の人生だったと思う。
優しい家族に恵まれ、優しい友に出会い、そして恋もした――。
やってみたいと思ったこと、知りたいと思った、誰かを『愛おしい』と感じる気持ちも、味わうことができた。
結果は甘くて苦いものに終わったが、きちんと仲直りもできた。
充分だ。
最期の一年に、他の同年代の子と同じように経験したいと憧れていたものを、一気に体験できたのだから。
湿っぽい草と土の匂い。
冷たい夜風が体温を奪っていくが、不思議と寒くない――そんなものを感じないくらい、今の亜梨明の心は静かで穏やかだった。
「石の神様……私の願いを叶えてくれてありがとうございました。……これでもう、後悔することなくお空に行けそうです……」
亜梨明は形に沿って石を撫でると、漆黒の空を見上げた。
風の音と、カエルの声が響く大地の上には、幾千もの星々が青白い輝きを放ち、彼女はそれを眺めた後、もう一度夏城での日々を思い出して石に触れる。
「最後に……あともう少しだけお願いをさせてください。――もし、生まれ変わることができるなら……また、お父さんとお母さんの子供として生まれますように。……奏音と、また双子の姉妹になれますように……ぅ……っ!」
締め付けられるような胸の痛みが亜梨明を襲う――。
それでも彼女は白い石にしがみ付くように掴まり、願いを言い続けた。
「緑依風ちゃんと星華ちゃん……。坂下くん……晶子ちゃん、美紅ちゃん……楓ちゃん……夏城で出会ったみんなと、また友達になれますように。それから――……」
最後の願いを言おうとした瞬間、亜梨明の目の奥がカッと熱くなり、視界が揺ぐ。
「それ……から……こん、どは……爽ちゃんに……」
サクッと、背後から誰かの足音が聞こえた。
亜梨明が振り返ると、そこには爽太が立っていた。
「……爽ちゃん」
「亜梨明……」
爽太は静かな夜に溶け込むような声で亜梨明の名前を呼んだ。
「……なんでここにいるの?」
亜梨明の質問に、爽太は答えなかった。
その表情は勝手にいなくなったことを怒っているわけでもなく、見つかって安心した様子でもない。そんな面持ちだった。
「みんな心配してる、帰ろう……」
「帰らないよ……」
亜梨明は爽太の目から逃げるように顔を逸らした。
「今、危険な状態だって自分でわかってるだろう!?どうしてっ――」
「わかってるから!!!!」
「――――!!」
「……わかってるから、抜け出したの……」
張り上げた声の後に出たのは、夜風にすぐかき消されてしまいそうな程、細く空しいものだった。
「…………」
爽太は亜梨明との距離を縮めようと、足を一歩前に進める――が、彼女はそれを見た瞬間、「来ないで!帰って……!!」と叫ぶ。
拒絶され、驚く爽太――。
亜梨明は、怯んで立ち止まる彼に「……いまね、お祈りしてたんだ」と、手のひらを石の上に置きながら語り始めた。
「……石の神様に、願いを叶えてくれてありがとうって。また……生まれ変わっても、みんなに会えますようにって……」
「生まれ変わるって……」
「だって、私……もうすぐ死ぬんだもん」
息を呑み、顔を強張らせる爽太とは真逆に、亜梨明は寂しげだが柔和な微笑みを湛えて彼を見つめる。
「――……でも、病院で……みんなの悲しい顔を見ながら、死ぬのは嫌だったから。だから、死ぬなら……自分が好きな場所で、大好きな人達との楽しかったことを思い出しながら死にたいなって……おもっ……て……っぅ!」
「亜梨明……っ!」
発作の苦しみに
「……亜梨明っ」
ほんの、数メートル――なのに、見えない壁で遮られているかのように二人の距離は縮まらない。
げほっ、げほっと咳込み、ぜぇ、はぁっ……と荒い呼吸を肩を上下させながらも亜梨明は爽太を近付けさせない、爽太も足を動かせない。
「爽ちゃん……ごめん、ね……」
切れる息の合間に、絞り出すような亜梨明の声。
「爽ちゃん……の……夢……かなえる……とこ……見たかったけど……できそうにないや……。去年、爽ちゃんが……ここで……ゆめの、はなし……してくれたこと……嬉しくて……わたし、あのひ……爽ちゃんと、いっしょに……大人になりたいって……おもった、けど……」
あの日は確かに信じていた、夢を叶えた爽太を見られる未来。
でも、もう――私はこの先に進めない。
亜梨明は、途切れ途切れに無念の言葉を繋ぐと、今も僅かに続く胸の痛みと、悔しさと寂しさに泣きたい気持ちをギュッと心の奥底にしまい込み、にっこりと爽太に笑いかける。
「ありがとう……。最期に……爽ちゃんに会えて……よかった……」
「――――っ!」
さよならの言葉を貼り付けたような、亜梨明の笑顔。
それを見た瞬間、爽太の心の中にあった想いが一気に膨れ上がって破裂した。
「――最期だなんて言うなよっ!!!!!」
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