第180話 最期の願い(前編)


「はぁっ、はぁっ……!」

 黒と青――夜に染まった道を、爽太は息を切らしながら走り抜ける。


「亜梨明……どうしてっ……!」

 いなくなった?遺言……?

 奏音から聞かされた言葉が、爽太の頭の中に何度も繰り返される。


 まるで死期を悟った猫のように、忽然と姿を消してしまった亜梨明。


 危機的状況になっていたとはいえ、自ら命を諦めるような選択をするなんて――。


「…………っ!!」

 目の奥が熱くなる。

 泣けば視界が遮られ、走れなくなる――亜梨明を探せなくなる。


 爽太はこれ以上目元が緩まぬよう、手に持ったままのスマホを強く握り締めながら走り続けた。


 *


 行方不明になった亜梨明を探すため、爽太がまず最初に訪れたのは学校だった。


 しかし、学校に到着すると正門は閉められており、校内の明かりも全て消えている。


「休み中だし……この時間じゃ当然閉まってるよね……。亜梨明がこの高い塀を登れるわけも無いし……」

「爽太ーーっ!!」

 爽太が声のする方へ振り返ると、風麻が星華と共にこちら側に駆けてきた。


「……相楽から聞いたか?」

「うん……。どこに行ったんだろう……?」

「俺と空上、二人で裏門の方を見てきたけど、見つからなかった……」

「そう……」

「緑依風と、一緒にいた晶子も手分けして探してくれてる。一旦病院に行こうぜ、見つかったかもしれないし、案外相楽姉の方から戻ってるかもしれない」

「そうだね……病院に行こう」


 *


 三人が病院に着くと、緑依風と晶子はすでに病院のロビーに集まっていた。


 緑依風の腕の中には、ノートを抱え、わぁわぁと、声を上げて泣きながら亜梨明を呼ぶ奏音がいて、緑依風は「大丈夫、大丈夫だよ……!」と、彼女の背中をさすっている。


「……見つからないのか?」

 風麻が聞くと、緑依風と晶子は曇った表情で無言のまま頷いた。


「そんなに遠くには行ってないはずらしいの……。――というか、亜梨明ちゃん……今の体では体力的にそれは難しいみたいだし……でも、もう病院で患者さんが入れる場所は、どこも探し尽くしたって……」

 緑依風が説明すると、「ねぇ、嫌な話になるけど……病院の屋上とかは探した?」と、星華が恐る恐る奏音に聞いた。


「屋上は……鍵が掛けられてるから、入れない……。看護師さんにも見てもらったけど……閉まってるって……」

「じゃあやっぱり、病院の外ってことか……」

 奏音がしゃっくりで言葉を詰まらせながら答えると、星華は腕を組んで亜梨明の行きそうな場所を考える。


「自分の足一つでは難しくても、お金を持ってたらバスとかタクシーでも移動できちゃうよね……?緑依風と晶子、ここに来る前にどっか探した?」

「うん……。商店街とか、猫を拾った公園とか探してみたよ。……でも、どこにもいなかった……。風麻達は?」

「俺らは学校……。一応、塀登って忍び込んでもみたけど、校舎は入れないし、グラウンドの木の陰も見たけど、相楽姉はいなかった」

 緑依風達が会話をする中、奏音は今も手に持っているノートを抱き締め、小さな声で何度も亜梨明の名前を呼びながら泣き続けている。


「――奏音。そのノートのメッセージに、何かヒントになりそうなこと書いてなかった?」

 ノートの存在に気付いた緑依風が尋ねると、奏音は「わかんない……」と首を横に振り、亜梨明の遺言が記されたページを開いた。


「ノートには……病院で死にたくないってことと……家族や友達へのメッセージだけ……」

 奏音はそう言って緑依風にノートを手渡し、緑依風から晶子――星華、風麻、そして最後に爽太へとそれは渡されていく。


「…………」

 爽太が亜梨明の遺したメッセージを見ると、ノートのあちこちに――特に爽太に宛てられた言葉の文字の上には、丸い濡れた跡のようなものがたくさん落ちており、それが涙だと悟った途端、爽太は再びこれまで自分がしてきた行いを悔いた。


 亜梨明は今も、バレンタインの出来事に深く傷付いている――。

 仲直りはできても、それでは亜梨明の心の傷を癒すのには足りなかったのだ。

 そのくらい、彼女は自分を深く愛し、生きる希望にしていたのに……。


 ギッと、後悔に歯を食いしばる爽太。


 彼のすぐそばでは、風麻や緑依風達が、ノートに記された亜梨明の文章から、彼女が最期を迎えたいと思うような場所を考察していた。


「う~ん……。亜梨明ちゃんの行きそうな場所……亜梨明ちゃんの好きな場所とか……?」

 星華が頭を悩ませながら言うと、「好きな場所……楽しい思い出があった場所?」と緑依風も考えを述べた。


「自宅はどうだ?……もしかしたら、入れ違いで家に帰ってるかもしれない」

 風麻が奏音に言うと、泣いていた彼女はハッと立ち上がり、「そうだね……私、一回家に戻ってみる!」と言って、走って病院を出た。


「(行きたい場所……亜梨明が今の状態で行ける、楽しいことがあった場所……)」

 爽太は何度もノートを読み直し、記憶の中からその場所を探し求める。


「――私、教会に行ってみます」

 晶子が言った。


「教会?なんで教会?それに、ここからかなり遠いよ?」

 星華が首を傾げた。


「以前……緑依風ちゃんと一緒にバザーに来た時の亜梨明ちゃん、すごく楽しそうでしたし、歩いて行くことは難しくても、病院から教会前までは直通のバスもあります。それに……悩める人は、神様にお祈りしたくなるのではと……」


「教会、祈り……神様……?」

 晶子の言葉を耳にし、亜梨明との思い出に何か引っかかるような気がした爽太は、もう一度自分宛てのメッセージを読む。


 あなたの夢が叶う様に――。


 その部分を目にした瞬間、爽太の脳内でピタリととある場所が記憶のパズルに当てはまった。


「そっか……それなら――!!」

「おい!爽太っ、どこ行くんだ!?」

 思い立つまま、風麻の制止も聞かずにその場所に向かって走り出す爽太。


 階段を下り、時間外出入り口の扉を開けると、真っ暗で何も見えない雑木林を抜けた。


 水田が見える道に出ると、少しひんやりとした風が、爽太の髪や草木をサァっと揺らす――。


「きっとここだ……」

 爽太は丘の上を目指し、一気に階段を駆け上がった。


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