第179話 僕は魔法使いじゃない
日が沈み、辺りが暗くなった頃――。
爽太のスマホに、未登録の番号から電話が入った。
「もしもし……」
知らない番号からの通知に少し警戒しながら出ると、「こんにちは」と、男性の低い声が爽太の耳に響く。
「……いや、もうこんばんはかな?
「高城先生――!」
電話の主は、爽太の根治手術を執刀した医師、高城
爽太は、先生が本当に電話を掛けてきてくれたことに、驚きと喜びが入り交ざったような気持ちで「こんばんは」と、まずは挨拶を返す。
「結構前にメールをくれていたみたいだね。すまない……。爽太くんに教えた番号の携帯は古いやつで、海外にいると連絡が全く入ってこないんだ。……で、お話って何かな?」
穏やかな口調で尋ねる高城先生に、「……お願いがあります」と、爽太は緊張に震える声で言った。
「……僕の友達――……大切な人が、僕と同じ病気で五年前の僕のような状態になっています。……もしかしたら、当時の僕より病状は悪いかもしれません……」
「爽太くん、それは……――」
高城先生は、言い出しづらそうに話を遮ろうとしたが、爽太は口を閉ざさず、
「無理なのも失礼なのも承知でお願いしますっ!」と、先程より声に力を込める。
「その人を助けてくださいっ……!」
爽太は電話の向こう側にいる高城先生に、頭を下げた。
「――先生がご多忙なことも、彼女の担当のドクターに失礼なことも……自分が今、無茶苦茶なことを言っているのもわかっています。……できることなら、僕が今すぐにでも先生のような医者になって、彼女を救いたい。でもっ――……でも、僕は……まだ、医者になりたいだけのただの中学生で、何の力もありません……。これが今の僕が彼女のためにできる、精一杯の行動です……」
無力な自分に悔しさがこみ上げてきても、爽太はそれを全て認めた上で、言葉を繋ぐ。
「お願いします……!高城先生、彼女を……助けてくださいっ……!!」
最後の方は、涙声になりながら――爽太はもう一度、心の底から高城先生に懇願した。
「…………」
しばらく無言を貫いてきた高城先生からまず聞こえたのは、小さなため息――そして、その次に聞こえたのは、「最初に言わせてもらうよ」という、呆れたような声だった。
「……君のその願いは、聞けない。僕は君の魔法使いじゃない。君個人の依頼は引き受けられないし、他の病院の先生方との先約だってある。そしてそれを全て成功させることも、必ずの約束はできない。爽太くんは勘違いしてるかもしれないけど、僕は、完璧ではない。医者という職業に就く、不完全な生物――“人間”だからね」
「…………」
「――僕だけじゃない。全ての医者だって人間だから……担当でもその病院の所属でもない僕が勝手に診察したら、その子の主治医の先生だって気分を悪くするされるだろうし、割り込んで来られた依頼を全部引き受けたりすれば、僕自身の体力が限界を迎えて、大事な時に力を発揮できず、あってはならないミスで助けられる患者を死なせてしまったり、今後一切の治療を施せなくなるかもしれない……。命を預かる責任があるからこそ、僕は君の依頼を引き受けることはできない。わかるかな……?」
高城先生の言葉一つ一つが、爽太の胸に僅かにあった希望の光を次々にかき消していき、真っ暗になった部屋の中以上の深い闇が、彼の心を絶望に変えた。
「は……い……すみませんでした……」
力無く、掠れた声で謝る爽太。
終わった――何もかもが。
亜梨明が助かるかもしれない可能性も、これまで高城先生と築いていた関係も、全部失った。
落胆失望した爽太が、耳元に添えていた電話をゆっくり離そうとした時だった。
「――でもね」
再び高城先生の声がした。
「何が何でも、大切な命を救いたいっていう気持ち。爽太くんのその必死な想いは、僕の心にすごく響いた!自分以外の誰かの命への執着心……それは、医者にとって一番大事なものだと、僕は思ってる」
「…………!」
低く厳しい声色だった高城先生の声が、いつも通りの穏やかなものへと戻ると、「それから……」と、先生はまた話を始める。
「……今、日本で数件治療の相談が来ていて、そのうちの一件は夏城総合病院からだったよ」
「え……?」
「僕が昔、指導したドクターがその病院で勤務していてね。ちょうどさっき、その先生からの依頼を引き受けるって、真っ先に返信させてもらったところだ。詳細は言えないけど、僕はその子に一度だけ会ったことがある。――髪が長くて、目の大きな女の子だ」
「先生……それじゃあ……!」
爽太は大きく息を吸って、顔を上げた。
「今はまだ、診察してみないとわからない。でも、引き受けたからには、助けられるよう精一杯努力させてもらうよ!……爽太くんの大切な人なんだろう?」
「――――!!」
漆黒の闇に染まったような爽太の心が、また光に照らされ、明るさを取り戻す。
「先生、先生……っ、ありがとうございますっ……!!」
爽太は電話の向こうの高城先生に何度も「ありがとうございます」を繰り返し、高城先生は息遣いだけで笑いながら、簡単な挨拶をして通話を切った。
「よかった……!これで……――?」
希望に満ちた気持ちで、早速風麻に報告しようとした爽太だったが、ホーム画面の緑色のアイコンに、数十件の通知が表示されていることに気付く。
内容を確認しようとアイコンをタップした瞬間、パネルはトーク画面ではなく、奏音からの着信を知らせるものに切り替わった。
「はい、日下です……」
「……っひ、っく……っ……ぅ」
爽太が通話ボタンを押すと、耳に当てた
「相楽さん……?どうしたの?」
「……う……っく、っうぅ……!」
「ねぇ、相楽さん……!?何かあったの!?」
爽太は、泣くばかりで返事が無い奏音に、焦る気持ちでもう一度問いかけた。
「い……いないの……」
「いない?」
「亜梨明が……いなくなっちゃった……」
「えっ……?」
「自分で点滴外して……遺言残して……。病院の中も、探したけど……見つから……なく、てっ……!」
「そんなっ……!」
全身から、血の気が引いていく……――。
いない、いなくなった……?
ガツン――と、まるで鈍器で殴られたかのような衝撃の報せに、爽太はカタカタと手足を震わせ、言葉を失う。
「……おっ、お願い……っ!亜梨明を探して日下っ……!!あの子、本当は出歩ける状態じゃないのにっ……!もし……また大きな発作が起きたら……今度こそ、しっ……死んじゃうかもしれないのっ――!!」
「――わかった!探しに行く!!」
爽太は、嗚咽に言葉を詰まらせて懇願する奏音に返事をすると、すぐさま通話を切って家を飛び出した。
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