第178話 死期を悟った〇〇は
月が変わって五月になった。
高城先生からの返事は、まだ来ない――。
南條先生は、心臓に補助装置つけることを提案したが、亜梨明はもう何もしたくないと拒んだ。
緑依風達の面会も、奏音は何度も亜梨明に聞いてみたが、「会いたくない」と断り続け、家族以外の誰にも会わなかった。
これまで、光り輝くように明るい笑顔を放ち続けていた彼女の表情は、今やすっかり色を失い、虚ろで空っぽだ。
亜梨明はもう、全てを諦めていた。
*
五月三日――。
緑依風は晶子に誘われて、教会で亜梨明の回復を祈った。
その帰り、晶子の家に招かれた緑依風は、彼女の部屋に案内され、お高そうなグラスに注がれたオレンジジュースを飲みながら話をした。
「亜梨明ちゃん、面会はまだ無理そうですか……?」
「うん、奏音が頑張って説得してくれてるけど……会えないままは、一生後悔しちゃうよ……」
「そうですね。……亜梨明ちゃんもきっと、そのことをわかっているでしょうが、自分のこれからのことを思うと、みんなに会うのが怖いのでしょう……」
晶子はストローでジュースを吸った後、「あ、お菓子も食べてくださいね」と緑依風に勧めた。
晶子が出してくれたマカロンを手にしながら、緑依風は「はぁ~っ……」と、無力な自分に嫌気がさすような気持ちで息を吐く。
「大事な友達がピンチなのに……。元気付けに行くこともできない私には、祈るしかできないんだなぁ〜……」
「――違いますよ」
ため息交じりに言う緑依風に、晶子が優しく否定した。
「“祈ることはできる”……ですよ。何もしないよりも、大事なことです」
晶子はそう言って、「ねっ?」と緑依風に笑いかけた。
「……うん、そうだね!」
「はい!」
「私、たくさんたくさん神様にお祈りするよ。『亜梨明ちゃんの病気が良くなりますように』って!」
「そうです!その意気です!!」
晶子はグッと両手で拳を作り、緑依風も元気を取り戻した。
*
夕方。
亜梨明は、オレンジ色の光いっぱいに染められた病室の天井を、ぼんやりとした顔で見上げていた。
自宅で倒れてから今日まで、ただ寝て、食事をして、また寝るだけの日々。
家族が持ってきてくれた、病院でもピアノが弾けるようにと幼い頃から愛用している白いキーボードは、壁に立てるように置かれたまま、ホコリを被っている。
今までは、どんなに辛くても悲しくても、その気持ちを音色に乗せて心を穏やかにできた――しかし、家族に聞かされた、自分の残り時間があと僅かかもしれないという話を耳にしてからは、もうメロディーは何も浮かばず、鍵盤に触れる気力すら起きない……。
「(死ぬ時ってどんな感じなんだろう……)」
亜梨明は目を閉じ、誰も知らない――知らせることのできない未知の現象について、思いを巡らせる。
「(苦しいのかな……?急に世界が暗くなるのかな?それとも、眠くなるのかな?……最後に見るのが、みんなの悲しむ顔なんて……嫌だな……)」
瞼の裏に浮かぶのは、死の間際、息も絶え絶えになった自分に、両親や奏音が泣き腫らした顔で必死に呼び掛けている姿を見上げる光景だ。
「………っ!!」
パチッと目を開き、想像してしまったものを消し去ると、ゆっくりと上体を起こし、窓の外を眺める。
猫のように大きな瞳に映ったのは、小高い丘と銀色のアーチ。
「…………」
亜梨明はベッドから降りると、ガラス窓に手を添えて、その場所で起こった出来事を思い出した。
夏の強い日差し、芝の青い匂いと心地よい風の中で夢を語る爽太の表情が蘇ると、亜梨明は胸元に添えた手をキュッと握り締め、丘の上を見つめる――。
「どうせ、もうすぐ死ぬなら……最期を迎えるなら……――」
*
日が暮れて、夕食の配膳の時間――。
看護師が亜梨明の食事を持って病室を訪れると、そこに亜梨明の姿はなかった。
ベッドには数滴の血痕と、誰にも刺さっていない点滴の針が、透明な薬を一滴ずつ一定の間隔で白いシーツに落としている。
そして、テーブルの上には、開いたままのノートが置いてあり、看護師はそこに亜梨明の筆跡で書かれた文章を見た途端、ガシャンッ!と、食事の乗ったトレーを床に落とし、慌ててナースステーションへと駆け戻った。
◇◇◇
―大好きなみんなへ―
こんな事してごめんなさい。
でも私は、ここで死ぬのがどうしてもイヤでした。
だから、別の場所で最期を迎えたいと思いました。
家族のみんなへ
私は生まれてからずっと、病気の事で家族に迷惑ばかりかけてきましたね。
こうして、最後も迷惑かけてしまっているけど……。ごめんなさい。
こんな私だったけど、家族に私がいてよかったって思ってもらえること、一つでもあったらいいな。
私は、みんなからたくさん幸せにしてもらいました。
お父さんへ
いつも優しかったお父さん。
私にピアノを教えてくれてありがとう。
お父さんがピアノを教えてくれなかったら、私はもっと退屈な人生を送っていたと思います。
私の楽譜、きっと汚くて読みにくいかもしれないけど、いつかお父さんにも私の作った音楽を弾いて欲しいです。
私はピアノを弾くのが大好きだったけど、お父さんが弾くピアノをきくのも大好きでした。
お父さんのピアノ、もっときいておけばよかったな。
お母さんへ
私が生まれてから、お母さんの方が、私以上に辛かったと思います。
私が元気な時も、お母さんはよく泣きそうな顔で私を見ていましたね。
何回も言ったけど、私が病気を持って生まれたのは、お母さんのせいじゃないよ。
むしろ、病気を持って生まれたおかげで、お母さんにたくさん甘える事ができたのは、ある意味ラッキーだったかなって思ってます。
でもこれからは、奏音の事ももっとたくさん甘やかしてあげてね。ありがとう!
奏音へ
私の分身で、大切な妹。
子供のころは、ケンカばっかりしてたけど、私が苦しくてしんどい時は、ケンカしてる時からは想像できないくらい、すっごく心配してくれたよね。
私が小学校を変えて以来、奏音はいつも自分の事は後回しで、私にすごく気を使ってくれたね。
本当は、私が妹の面倒を見なきゃいけないはずなのに……(あ、双子だから関係ないって言わないでね。お姉ちゃんは私だから!これ重要!!)
これからは、自分の事をもっと大事にしてね。
いつかの世界でも、また奏音と双子に生まれたいな。
その時は、二人とも健康だといいよね。
お友達へ
まず最初に、せっかく会いたいって言ってくれたのに、会わなくてごめんなさい。
みんなに会うと、余計に寂しくなっちゃうし、泣いちゃいそうで会えませんでした。
嫌いになったわけじゃありません。
大好きで、大好きで……友達や、親友なんて言葉じゃ表せないくらい、私にとって大切な存在でした。
みんなに出会ってから、私は人生で一番笑って、はしゃいで、ドキドキして……。
毎日が、魔法の世界みたいにキラキラしてた。
本当に、楽しかった……。
緑依風ちゃんへ
いつもしっかり者で、背が高くてかっこいい緑依風ちゃんの事を、私はお姉さんというより、お母さんのようだなと思ってました。
でも、恋する乙女の緑依風ちゃんは、とても可愛くて可愛くて、ぎゅってしたくなります。
緑依風ちゃんのお店のお菓子も、緑依風ちゃんが作るお菓子も美味しくて、また食べたかったな。
緑依風ちゃんも奏音と同じで、気づかいさんなところがあるから、たまにはお姉さんじゃなくて、もっとワガママになってもいいと思うよ。
子供っぽい私がえらそうに言える事じゃないけど(笑)
星華ちゃんへ
いつも明るくて面白い星華ちゃんは、その名の通り、お星様みたいだと思います。
星華ちゃんといると、ただでさえ笑い上戸の私は、更に笑っちゃって、一回それで発作が起きて心配かけちゃった事もあったけど、あのまま死んだら、すごく楽しい気分で死ねたかななんて思ってました。ふきんしん(漢字わかんない)でごめんね(笑)
星華ちゃんは、私の恋バナをよく聞きたがってくれたけど、星華ちゃんの恋バナも聞きたかったな!好きな人ができたらお空に向かって聞かせてね。
坂下くんへ
緑依風ちゃんがお母さんなら、坂下くんはお父さんだなと、思ってます。
初めて会った時は、やんちゃそうな男の子だなって思ったけど、本当は意外としっかり者だったね。(失礼かな(笑))
坂下くんがつけてくれた『相楽姉』ってあだ名は、実は私にとって、初めて友達につけてもらったあだ名で、とても気に入ってます。
ケンカもしたけど、私が元気がない時は、いつも助けてくれたね。
あの時は本当にありがとう。
爽ちゃんへ
爽ちゃんには、どんなに感謝してもしきれないくらい、たくさん助けてもらった思い出があります。
出会ってたった一年しか経っていないのに、まるでずっと昔から一緒にいたかのような気持ちです。
それはやっぱり、私と爽ちゃんが『同じ病気』という共通点で、つながってたからなのかなと思います。
あの時、薬を落としていなかったら、爽ちゃんが拾ってくれていなかったら、私は爽ちゃんと仲良くなれなかったのかな?
爽ちゃんの優しくてあたたかい笑顔が、私は大好きでした。
爽ちゃんの手とか、体調が悪くて運んでくれる時の背中の温かさも、ホッとした気持ちになって、安心しました。
私にとって、爽ちゃんはお日様みたいな存在でした。
最後に会った日の約束、守れなくてごめんね。
爽ちゃん、日下爽太くん。
私は今でも、あなたが大好きです。
あなたの夢が叶う様に、空の上から祈ってます。
最後に、みんなありがとう さよなら。
―相楽亜梨明 ―
◇◇◇
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