第176話 爽太の決心(後編)
「爽太っ、爽太っ!!」
風麻が爽太の名を叫ぶように呼びながら教室のドアを勢いよく開けると、驚いた一組の生徒達の全視線が、彼に集中する。
「……日下なら、いないよ」
星華が風麻の元までやって来て教えた。
「え……?あいつどこ行ったんだ?」
「わかんないけど……。亜梨明ちゃんの話を聞いてから、休み時間になる度に、教室からいなくなって……」
*
その頃――。
爽太は三年生の校舎の最上階――第二音楽室の前にいた。
硬い床に膝を抱えるようにして座り、顔を膝元に埋めて思い出すのは、一年前の四月――亜梨明とここを訪れた日のことだ。
窓から入り込む春陽に照らされ、柔らかで優しいメロディーを奏でる亜梨明を見て、彼女がそう告げなくても、ピアノを弾くのが大好きなんだということが伝わった。
そんな彼女にとってピアノや音楽は、ただの趣味ではなく心の支えで、『生きた証を遺すためのもの』であると知り、出会ってまだ二日目だというのに、深く感情移入した。
「――生きたいって思わないの?」
「思うよ。でも、無理だよ……」
大人になれる日を想像できないと語り、『無理』と最初から生きることを諦めている彼女に、いつか「生きたい」と言わせたいと思った。
それから数か月後の夏。
爽太の夢を聞いた亜梨明は、いつの日か病魔を乗り越え、大人になって、医者になった爽太が見たいと、大きな瞳をキラキラと輝かせながら宣言した。
『生きたい』気持ちがいっぱいだと言う亜梨明の言葉を聞いて、「やった」と思うと同時に、彼女のためにも絶対に夢を叶えようと誓った。
亜梨明の『生きたい』気持ちが続くように、彼女の力になり続けようと思っていた――のに……。
「――いたっ、爽太っ!!」
バタバタとした足音が近付いてすぐ、風麻の声が聞こえたが、爽太は顔を上げることができない。
「お……おい、大丈夫か?」
ピクリとも動かず、返事もしない爽太を心配し、風麻はしゃがみ込んで彼の体を揺する。
「……僕は……ほんとうに、自分が……なさけないっ……」
爽太は体勢を変えないまま、涙交じりの声で言った。
「偉そうに……亜梨明を助けたい……役に立ちたいって言ったくせに、僕がしたのは……ただ、亜梨明を傷付けて……悲しませただけ……」
「爽太……っ」
「結局……僕はなんにもっ!……亜梨明のために何もっ、できなかった……!!」
爽太は膝を抱えていた手を振り上げると、「くそ……くそ……っ!!」と、何度も拳で床を叩きつけ、悔恨の涙を流す。
「爽太、やめろ……」
「何が医者になりたいだ……何が僕を頼ってだ……何も出来ない癖にっ!……何も……っ!」
「――相楽姉は、まだ死んでない!!」
「…………!!」
風麻が床を殴り続ける爽太の腕を掴んで叫ぶと、爽太はハッとした顔で風麻を見上げた。
「相楽姉はまだ生きてる……」
「…………」
爽太は、悲観しすぎて忘れていたことを風麻に指摘されて思い出すと、鈍く痛む右手から力を抜き、ゆっくりと下ろした。
「……確かに俺らは、お医者さんみたいに、薬を使ったり、手術したり、すごいことはできねぇよ……。――でも、相楽姉の力になるのはそういうことばかりじゃない。違うか?」
「…………」
「それに……今のお前にしか出来ないことがある!」
「今の僕にしか出来ないこと……」
「お前の手術をした先生に、相楽姉を助けて欲しいって連絡するんだ」
風麻は爽太の両肩を掴み、しっかりと彼の目を捉えて言った。
「む、無理だよっ……!先生は、世界中の患者を診てるんだ……。そんな個人的なお願い、断られるに決まってる……!」
「――無理でもっ!!」
風麻が再び声を張り上げ、爽太の弱気を払拭する勢いで迫る。
「ダメ元でやるしか無いだろ!どの道このまま相楽姉が死んじゃうなら、無茶苦茶なことでも、やってから後悔する方が絶対マシだ!!」
「――――!!」
風麻の力強い眼差しを見つめているうちに、爽太の瞳も光が宿り始め、彼の心に勇気が湧いてくる。
「やってみる……!」
爽太は覚悟を決め、真っすぐ立ち上がると、風麻の手を引っ張り上げて深く頷いた。
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