第175話 爽太の決心(前編)


 亜梨明の危機を知らされた二日後。


 緑依風が、この日も未だ教室にいない奏音の机を眺めていると、各々友人と会話を繰り広げていた者達の話し声が、急にピタリと消えた。


 振り向くと、そこには三日ぶりに登校してきた奏音の姿があった。


「おはよ……」

 短く、そして素っ気ない挨拶だけした奏音は、ガタンと椅子を引き鳴らして静かに座る。


 浮かない表情。


 何かあったのかと聞きたいが、そうさせない雰囲気を漂わせる奏音に、緑依風はますます亜梨明のことが気掛かりになる。


 それは、クラスメイト達も同じのようで、先程までおどけた発言や笑い声が飛び交っていた教室内は、ひそひそとした内緒話のようなものに包まれ、四方八方から集まる視線に、奏音はますます居心地が悪そうに下を向いて、沈黙を保ち続けた。


 *


 朝礼の時間。

 梅原先生は、亜梨明の意識が無事に戻ったことを生徒達に告げた。


 重々しかった教室内の空気は一気に明るくなり、「よかった~」「もう、めっちゃ気になってたんだよね~」と、亜梨明の回復を喜ぶ者達の笑顔が溢れかえる。


 緑依風と風麻もひとまず安心したが、奏音の表情は晴れないまま、俯いた状態を続けている――。


「話さなきゃいけないことがあるの――」

 朝礼が終わってすぐ、奏音が緑依風と風麻を教室の外に誘い出すと、廊下には亜梨明の回復を波多野先生から聞いて安堵した様子の、爽太と星華がやって来ていた。


 奏音は、そんな二人を見てますます顔を険しくしたが、四人を人気ひとけの無い場所に移動させるまで、亜梨明のことに関する話は何もしなかった。


「亜梨明ちゃんの目、覚めてよかったね」

 まずは一命を取り留めたことについて緑依風が話を持ち出すと、奏音は「うん……」と、沈んだ表情のまま返事をする。


「とりあえずは、ね……。昨日のお昼過ぎに目を覚まして……。人工呼吸器も外せたし、会話も……少しずつできてるよ。でも――……」

「どうしたの……なんで元気ないの?」

「…………っ」

 星華が奏音の顔を覗き込むと、奏音は言い出すのを恐れているような様子だった。


「……あのね。……亜梨明、もうダメかもしれない」

「えっ――?」

 奏音の言葉の意味が分からず、聞き返す星華。

 緑依風も風麻も、聞き間違いだと思いながら、奏音の口元に注目し、耳を澄ませる。


「だから、もう長くないかもしれない……。そう言ったの……」

「ど、どういうこと……?何が長くないの……?」

 星華はもうその言葉の意味をわかっていたが、信じたくない一心で、あえてわからない振りをしてもう一度奏音に問う。


「……親が、先生に言われたんだって……。投薬治療では、もう限界……。検討していた根治手術も……心臓が一気に弱りすぎたせいで、このままじゃリスクが高くて挑めないし、どこに行ったって断られる……。でも、心機能が回復する可能性も低い……。だから……もう、なにも……できないって……っ……う……うぅっ……!」

 全てを言い終えた途端、奏音は床に崩れる様に座り込み、声を漏らして泣き始めた。


「うそ……でしょ……?そんなことって……」

 緑依風は愕然としながら目に涙を溜めて、肩を震わせる。


「なんでぇっ、なんでなのっ……!?ついこの前まで、元気だったのに……!!」

 星華も溢れる涙を何度も拭くが、それは止まらない。


 風麻も「何か他の方法は無いのかよっ!?」と、目を赤くして叫ぶ。


 爽太は一言も喋らず――嘆くこともせず、表情を無くしたまま、すすり泣く四人の姿を静観していた。


 *


 昼休み。

 奏音は、母親が亜梨明に付きっきりで弁当を作れないため、自分で買ってきたパンを昼食に持ってきていた。


 食欲が湧かないのか、彼女は小さくちぎったパンを口に入れず、指で摘んだまま虚ろな目をしている。


「双子って……なんなんだろう……」

「えっ?」

 緑依風が箸でおかずを一つ持ち上げたところで、奏音がぼそりと呟く。


「私達、一卵性はよく『コピー』だとか『分身』だって言われるけど――それなら、命の時間だってきっちり同じ分だけあればいいのに……。私の寿命……亜梨明に分けてあげられればいいのに……」

「奏音……」

 奏音の瞳から大粒の涙が、ぱたたっと机の上に零れ落ちていく。


「わたしっ……亜梨明が死んじゃったら二度と立ち直れない……っ。あの子は、だいじな……っ、わたしの……たった一人の、お姉ちゃんなのっ……!亜梨明がいなくなるなんて……いやだよっ……!!」

 堪えきれず、嗚咽を漏らして泣き出す奏音を、緑依風は慰めるようにそっと頭を撫でる。


 風麻と直希は、そんな二人を少し離れた席から心配した様子で見つめていた。


「そっか……亜梨明も奏音も可哀想だな……」

 事情を聞いた直希が、箸を止めて言った。


「爽太のことも心配だ……。昔のこと思い出して、余計に落ち込まなきゃいいけど……」

「そうだ……直希、爽太の昔の話聞かせてくれないか?」

「爽太の……?」

「同じ病気で治った例があるなら、何か治るいい方法があるかもしれないだろ?」

 風麻は最後の希望を探るように、直希に問い詰めた。


「ん〜……伝え聞いた話ばっかになるけど……。爽太が死にそうなくらい病気が悪化したのは、小三の頃。二人で図書室から戻る途中に突然倒れて、しばらく学校に来なくなった。その時爽太は、医者にもう助からないって言われてたらしい」

「…………」

 爽太の両親は、まだ小さい息子に現状を告げることはできず、できる限り爽太が残りの人生を楽しく過ごせるように、爽太のそばで過ごし、爽太の希望を叶えた。


 しかし、両親が時折見せる悲しそうな表情や態度で、爽太は幼いながらに自分がこのままでは、もうすぐ死んでしまうことを理解していた。


 そんな時、小さな子供が難治性の心疾患で余命宣告されている噂を聞いた高城医師が、診察を名乗り出た。


 当時、心臓外科医の間でもあまり知られていない最新の手術方法の権威だった高城先生は、成功率やリスクなどを全て爽太の両親に説明した後、手術をさせて欲しいと懇願した。


 成功率は、五十パーセントにも満たない、とても危険な手術だったが、藁にもすがる思いだった両親はそれを承諾し、爽太は長時間に及ぶ大手術を受けた。


「……で、爽太はそれを乗り越えて、今はああして健常者とほぼ変わらない生活を送れているんだ」

「そのすごい先生に、頼めねぇかな?」

 風麻は提案してみたが「無理だろ」と直希は言った。


「その先生は世界中を飛び回って、いろんな患者の治療をしてるらしい。……爽太は、たまにメールで連絡してるらしいけど……」

「それだっ……!!」

 直希の言葉を聞いて、風麻は突然立ち上がり、教室を出て行った。


「えっ!?ちょっと、風麻っ!?」

 直希は、机の振動で床に落ちた風麻の箸を拾った。


「(希望はある、まだある……!!爽太になら、相楽姉を助けられる!!)」

 風麻は爽太のいる一組の教室まで猛ダッシュし、勢いよく引き戸を開けた。

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