第14章 ありがとう さよなら
第174話 その日は突然やってくる
午前八時二十五分――。
緑依風は、クラスメイトの話し声や、廊下から届く他クラスの生徒の声を耳にしながら、黒板の上にある時計をじっと見つめていた。
そして、そこから視線をまだ通学鞄の掛けられていない机に移し、再び時計を見て時刻を確認すると、「遅いなぁ……」と独り言を呟き、開け放たれたドアの向こうを覗く。
「双子、まだ来ないのか?」
緑依風の席までやって来た風麻も、相楽姉妹が登校してこないことに気付き、声を掛ける。
「うん……。亜梨明ちゃんだけならよくあることだけど、奏音まで来ないなんて、今までなかったよね……」
「だな……」
「寝坊じゃね?家族全員で。俺んちはたまーにやらかすぜ!」
風麻の後ろからやって来た直希が、立てた親指を自分に向けながらドヤ顔で言うと、風麻は「それ自慢になんねーよ!」と、直希の腕をツンっと肘で小突いた。
「うーん……」
直希の言うように、姉妹揃って寝坊で遅刻ならまだいい。
だが、緑依風は妙な胸騒ぎがして、亜梨明と奏音の座席を何度も交互に見てしまう。
*
――キーンコーンカーンコーン……。
結局、予鈴が鳴っても相楽姉妹は教室に姿を現さなかった。
チャイムが鳴り終わると同時に、担任の梅原先生が教室に入って来る――が、いつもはにこやかな表情を携えている先生の顔が、今日はとても暗くて硬い。
梅原先生は、朝の挨拶を生徒達と済ませると、神妙な顔のまま「今日は皆さんに、大切なお話があります……」と話を切り出した。
「――相楽さん達のお父さんから、今朝電話があって……亜梨明さんが昨日の夜、自宅で倒れて……意識が戻らないそうです」
梅原先生が説明した途端、教室内は一気にざわつき騒然となる。
「静かにして!……奏音さんも、今日は付き添いでお休みです。みんな、亜梨明さんがまた元気に学校に来られるように、無事をお祈りしてください……」
緑依風も風麻も、二年三組の生徒全員が、突然クラスメイトに起こった出来事に頭の中が真っ白になった。
*
朝礼が終わると、廊下から「緑依風、緑依風っ!!」と、爽太と共に三組の前にやって来た星華の呼ぶ声が聞こえた。
「緑依風っ、ぴょんから聞いたよ!亜梨明ちゃんが……」
「うん……意識不明って……」
「昨日メッセージ送った時は、元気になったって言ってたのに!?なんでっ……!?」
星華は泣きべそをかきながら、スマホのメッセージ欄を開いた。
彼女のトーク欄には、「元気になったよ!明日また学校でね!」といった亜梨明のメッセージと、彼女が愛用している可愛いスタンプが表示されている。
「爽太、昨日相楽の家に行った時はどうだったんだよ?」
「元気だった……。明日は学校に行くって……約束も、した……のに……」
爽太が茫然とした顔で答えると、風麻は「じゃあ、なんでだよ!?」と言いたげに地面を踏みしめ、歯痒い気持ちを表した。
「とりあえず……今は奏音からの連絡を待ちながら、亜梨明ちゃんの無事を祈ろう。……もどかしいけど、原因もなんにもわからない上に、わかったところで私達には、他にできることも無いし……」
緑依風が言うと、風麻は舌打ちしながら「だよな……」と同意し、星華もグズッと鼻を鳴らしてと頷いた。
「…………」
「爽太……」
「日下、大丈夫……?」
緑依風と風麻が、魂が抜けたように虚ろな目で右手を見つめる爽太を心配し、そっと声を掛けると、爽太はハッと正気を取り戻して、「う、うん……」とぎこちない返事をした。
「大丈夫、だいじょう、ぶ……」
まるで自分自身に言い聞かせるように、爽太は『大丈夫』という言葉を繰り返し、震えが止まらない手を、もう片方の手で強く握り締める……――。
*
その後も四人は、休み時間になればスマホを取り出し、奏音から何か連絡が来ていないかと画面表示を見るが、彼女からの通知は一切来ないままだった。
真面目な緑依風も、校則では下校時間まで携帯電話類の使用は禁止とされているため、普段ならこんなことはしない性格だが、この時ばかりはそうも言っていられず、確認するごとにスマホを両手で包み込みながら、亜梨明の回復を願っていた。
本日の学校行事が全て終わった放課後。
ようやく、六人で設定しているグループトーク欄に、『会える人、今から病院に来て欲しい』という奏音からの連絡が入った。
緑依風、風麻、爽太、星華はすぐに集まり、学校から夏城総合病院に駆けつける。
ガーッと、正面入り口の自動ドアが開くと、ロビーの中央の椅子に座っている奏音の姿が見えた。
「奏音……っ!」
緑依風が、俯いて小さくなっている奏音に呼び掛けると、彼女の顔はすっかり憔悴しきっていて、昨日までとは別人のようになっていた。
目の白い部分と周りのフチは赤く腫れ、その下には黒いクマが浮かび、顔色も真っ青だ。
「ごめんね……なんか、みんなの顔見たくなって……」
立ち上がった奏音は、緑依風の両腕を掴むと、そのまま頭を彼女の肩にもたれるように預けた。
「奏音、大丈夫?……寝てないの?」
「うん……。親達は帰って寝ていいって言ってくれるけど……亜梨明のそばにいたいし……――寝てる間に何かあったらと思うと、眠れなくて……」
「奏音、亜梨明ちゃんの意識は……」
星華が恐る恐る聞くと、奏音は「まだ、戻らない……」と、答えた。
「なぁ、面会は?俺達……会えないのか?」
「ごめん、坂下。来てもらって申し訳ないけど、亜梨明が今いるとこ……家族以外は入れなくて……」
「そっか……」
「奏音……ご飯は食べれてる?」
緑依風が聞くと、奏音は黙ったまま首を横に振る。
「食欲無いと思うけど、少しでも何か食べないと。今度は奏音が倒れちゃうよ」
「そうだね……。――でも、ごめん……なんか、みんなの顔を見たら、安心したのかな……眠気の……ほう、が……」
「あ……!」
「相楽っ――!!」
急に電池が切れたかのように目を閉じ、ふらりとよろめく奏音を、緑依風と風麻が慌てて彼女の体を支え、崩れるのを防ぐ――。
「ちょっとだけ寝れそう……だから、少しの間、体貸してくれる?」
緑依風は奏音と並んで座ると、そのまま彼女を自分の側面に寄り添わせた。
奏音は少し安心するようにため息をつくと、緑依風に「ありがとう」とお礼を言って、そのまま気絶するように眠ってしまった。
「ずっと気を張り続けてたんだね……」
緑依風が奏音の心身を労わるように、彼女の肩や腕を優しく
「そりゃそうだ……家族の命が危ないんだもんな……」
風麻も奏音の体が冷えてしまわぬよう、自分の着ていたブレザーを彼女の上に掛けてあげた。
「私、何か食べやすそうな物買ってくるよ。目が覚めたらお腹空いてるかもしれないし」
星華は前日から何も食べていないであろう親友のために、食料を調達するため売店に向かう。
「……あれ、日下は?」
つい先程までそばにいたはずの爽太の姿が見えず、緑依風と風麻が辺りを見回すと、彼は数メートル離れた場所で、星華が向かった売店と逆方向に向かおうとしている。
「――あ、爽太……!どこ行くんだ!?」
風麻は緑依風と奏音を残し、フラフラと一人でどこかへ歩いていく爽太の後を追った。
「…………」
風麻が爽太を追いかけていくと、彼は救命病棟の入り口の前に立っていた。
銀色の頑丈で大きな入り口には、『病院関係者及び、ご家族の方以外の立ち入りを禁止しております』と、看板が立てられていた。
「…………」
「入れないってよ。……行きたいのはわかるけど、戻ろうぜ」
「……うん」
風麻に言われると、爽太は力無い足取りでロビーへと戻った。
*
一時間後。
目を覚ました奏音は、星華が買ってきた甘いミルクティーだけ飲んだ。
まだ固形物を口にできる元気は無いものの、それでもさっきよりは顔色がよく見える。
星華は、「少しずつでいいから食べてね」と、栄養価の高いゼリー飲料や、菓子パンの入った袋を奏音に渡した。
「……みんなありがとう。私、また亜梨明のとこに戻るから、みんなももう、おうちに帰って……」
「何か困ったことがあったら、すぐに相談してね」
緑依風の心遣いに、奏音が「うん」と、微かな笑みを浮かべると、星華も「私にも、メッセージも電話もいつでもしてくれて大丈夫だからね!」と言って、元気付ける。
「うん、星華もありがと」
「相楽姉も……相楽もお大事にな……」
「坂下も、上着貸してくれてありがとね」
「…………」
緑依風達が入り口に向かおうとする中、爽太だけは口を結んだまま、奏音の前から動かなかった。
「日下……」
「……目が覚めるって、信じてるから……」
爽太が張り付いた喉を動かして、奏音の瞳を強く見つめると、奏音はハッと呑んだ息を漏らしながら破顔し、ゆっくりと頷いた。
「うん……。目が覚めたら、“あの話”聞かせてあげてね……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます