第173話 明日
放課後。
爽太は、終礼が終わるとすぐに学校を出て、亜梨明に渡すプレゼントを選びに木の葉へと訪れた。
カランカラン――と、ベルのついた木製の扉を開けると、ケーキやお菓子の甘くていい香りが店全体に漂っていて、その空気を無意識に深く吸い込みながら、テイクアウトコーナーへと足を進める。
「(ホワイトデー……か。どういうのを選べばいいんだろう?)」
本当なら、三月十四日に渡さなければならないとされているが、今はもう四月中旬。
右側を見れば、旬のフルーツやふわふわの生クリームが乗ったケーキなどが、ショーケースの中で綺麗に並べられているが、亜梨明の体調の良い時にいつでも食べられるよう、今回は日持ちする焼き菓子を選ぶことにした。
とりあえずと、爽太は亜梨明の大好きな紅茶のドーナツを手に取る。
「他のお菓子は、どれにしようか……」
白くてコロンと丸い形をした、ブールドネージュのクッキー。
小鳥のたまごのように可愛らしい、ホワイトチョコレートでコーティングされた、アーモンドチョコ。
桜の花のように薄いピンクと白の、二色のメレンゲクッキーが詰められたものを一袋。
爽太がこれらをレジに持っていくと、緑依風の父、北斗が「やあ、日下くん」と声を掛けた。
「こんにちは」
「こんにちは。緑依風から何も聞いていないけど、今日は勉強会じゃないよね?」
「はい……あ、すみません、これ……プレゼント用にラッピングしてもらえませんか?リボンとかつけれるなら、可愛いのを……」
北斗は、いつもなら大人びた雰囲気の爽太が、年相応の少年らしく、ちょっぴり照れるような仕草で頼む姿を微笑ましそうにしながら、「かしこまりました」と言って、透明な袋に菓子を詰め、リボンや小さな花飾りをつけて、とても可愛い仕上がりにしてくれた。
*
「ありがとうございました~!」
北斗と女性店員の声と、カランカランと鳴るベルの音を背に聞いた爽太は、数メートル程ゆっくり歩いたところで、急に胸の奥が高揚し、走り出したくなった。
思い立つまま走って、走って――。
横断歩道の赤信号に足止めされれば、その時間がとてももったいなくて、「早く変われ」と信号を睨む。
青信号になればまた走り出し、時折早歩きに速度を落としながらも、爽太は自分の足に「もっと速く」と言い聞かせる気持ちで、相楽家へと続く道をひたすら進む。
手に持ったプレゼントが台無しにならぬよう、気を付けながら。
肩から掛けてるスポーツバッグが、背中の方に周って少し不格好になってしまっても、“亜梨明に早く会いたい”――その気持ちが、全身から溢れてしまいそうなくらい大きすぎて、直してなんかいられない。
ふわりふわりと、葉桜に残っていた花びらが、枝を離れ、風に乗って空を舞う。
その柔らかな花の動きが、初めて出会った時の亜梨明の笑顔を思い出させた。
家族に対するものとは違う、誰かを愛おしいと思う気持ちを、去年までの爽太は全く知らなかった。
だが今は、熱くて、苦くも甘い、くすぐったいような感情に、「これが恋か」とはっきり理解できる。
「(何から話そう。まず、謝らなきゃ、それから……それから……)」
亜梨明のいる家がもう目の前に見えてきた爽太は、高鳴る鼓動を抑えるように、胸元の衣服をクシャリと握り締めた。
*
相楽家の前に到着した爽太。
緊張に震える指でインターホンのベルを鳴らすと、マイクから明日香の驚きの混ざった「日下くん……!?」という声が聞こえてきた。
爽太は一瞬、亜梨明にしたことを明日香も恨んでいるのではと不安に思ったが、出迎えてくれた明日香の表情はとても嬉しそうで、優しく家の中に入れてくれた。
「亜梨明に会いに来てくれてありがとう。ちょうどさっき、朝より楽になったって言ってたの。明日には学校に行けるかもしれないわ」
「そうですか、よかったです」
明日香に案内されるまま、爽太は亜梨明の部屋がある二階へ続く階段を上り、明日香が部屋のドアをノックする後ろで静かに深呼吸をした。
「亜梨明、今部屋に入っても平気?」
「うん、いいよ~!」
何も知らない亜梨明の明るい声が返ってくると、明日香はそっとドアから離れ、にっこりと微笑みながら爽太に軽い会釈をして、一階へと下りて行った。
カチャリ――と、爽太が静かにドアを開けると、ベッドの上で上体を起こして座っていた亜梨明は、大きな目を見開き、息を呑んで固まった。
「うそ……爽ちゃん……?」
ベッドの上には五線譜の書かれた数枚の紙とペンが置いてあり、彼女は手元にあった楽譜で顔を半分程隠しながら、「夢……?本物……??」と、信じられない様子で爽太を見つめる。
「……こんにちは」
爽太がドアを閉めながら挨拶すると、亜梨明の目元は赤く潤み始め、涙が滲んでいた。
「亜梨明と、仲直りがしたくて……。あの時は、ごめんなさい……」
爽太は床に膝を立てるようにして座ると、亜梨明に頭を下げて謝罪した。
「そんな……謝らないで。爽ちゃんは悪くないのに……私も、避けちゃってたから……」
「避けられるようなことをしたのは僕だ……。そうなって、当然だよ……」
「でも、爽ちゃんはあれからも変わらないままでいようとしてくれて――!!」
と、言いかけたところで、亜梨明はピタッと口を閉ざし、ふるふると首を横に振ると、「……ううん、やめよ」と言って、爽太に笑いかけた。
「お互い様ってことにしよう!うん、これが一番!」
「でもっ……いや、そうだね。これじゃあキリがないか」
「うん!」
亜梨明がにっこりと頷くと、爽太も安心したように表情を和らげた。
「そうだ……遅くなったけど、バレンタインのお礼。チョコレートありがとう。ごちそうさま」
爽太は木の葉のロゴがプリントされた紙袋から、ラッピングされたプレゼントを亜梨明に差し出した。
「チョコ……食べてくれたの?」
「大事に食べるって言っただろ?美味しかったよ」
「ホント?よかったぁ~……」
亜梨明はホッと息を吐くと、爽太からのプレゼントを受け取った。
「僕、ホワイトデーとかこういったお返し初めてで……。どんなのがいいのかわからなかったから、なんとなくホワイトチョコレートのとか、白いクッキーとか、白っぽいお菓子ばかり選んだんだけど、大丈夫かな?」
「うん、ホワイトチョコ好きだよ。……って言うか爽ちゃん、人気者なのにホワイトデーにお返ししたこと無いの?」
「えっと、いつももらってそのまま……」
「え~っ!ひっどーい!!」
参った顔をする爽太の横で「あははっ」と、無邪気な声を上げる亜梨明。
――だが、ひとしきり笑い尽くすと、きゅっと、爽太にもらったプレゼントを優しく抱きしめ「嬉しい……」と、柔らかな微笑みを浮かべた。
「お返しが?」
亜梨明の反応を見て、プレゼントを気に入ってもらえたと思った爽太だったが、どうやらそれは違ったようで、彼女は「も~っ、そうじゃなくて……」と、不満そうに言いながら片頬を膨らませる。
「もちろん、お返しもだけど……。爽ちゃんと、また“笑ってお話ができたこと”が、だよ!ずっと、また前みたいに戻れたらいいなって思ってたから……」
「僕も……亜梨明とずっと話がしたくてたまらなかったよ……」
「ふふっ、おんなじだね!」
窓辺から差し込む陽光に照らされる亜梨明は、爽太が自分と同じように思っていたことを知って、また嬉しそうに目を細め、口元に弧を描く。
爽太はそんな彼女の姿を見て、愛しい気持ちに心が満たされると「そ、それからっ……!」と、声を詰まらせ、膝上に添えた手をグッと握り締めた。
「学校に来られるようになったら、もう一つ話したいことがあるんだ……」
「今じゃダメなの?」
「うん、今はこれでいっぱいいっぱいだから、日を改めてきちんと話したい」
「そっか……。――じゃあ、明日お話聞かせてくれる?今すごく元気だし、この調子なら、明日には学校に行けると思う!」
「ああ、明日話すよ。今日はもう帰るね」
爽太が鞄を手にして立ち上がると、「えっ、もう帰っちゃうの?」と亜梨明は残念そうに彼を見上げた。
「ずっと話してたらまた疲れちゃうだろ?だから、今日は早めに休んで、明日絶対学校来てね!」
「わかった……。約束ね!」
亜梨明がそう言って小指を差し出すと、爽太も自分の右手を伸ばし、彼女の細い指にしっかりと自分の小指を結んだ。
「約束だよ、亜梨明。また明日……」
しばらく結び続けたその指をどちらともなく離して、爽太は亜梨明の部屋の扉を開けて、亜梨明はその背を見送る。
交わした約束の温度が残る指に幸せを感じながら――。
その指切りが、意味の無いものになってしまうことも知らずに――。
*
夕方。
部活から帰宅した奏音は、亜梨明の部屋を訪れると、自分と爽太も仲直りしたことを告げ、亜梨明もそれを嬉しそうに頷いて聞いた後、爽太が会いに来てくれたことや、ホワイトデーのプレゼントをもらえたことを語った。
「――それにしてもよかった。奏音も爽ちゃんと仲直りできて」
「うん。許してくれた日下に感謝はもちろんだけど、緑依風や星華、坂下にもめちゃくちゃ世話になっちゃった……!私達、本当にいい友達に恵まれたよ」
「そうだね~」
二人で寄り添うように横に並びながらお喋りしていると、「ねぇ、奏音……」と、亜梨明がそわそわした様子で、奏音の顔を覗き込む。
「あのね、爽ちゃんがね……明日、話したいことがあるんだって。……何だと思う?」
亜梨明が青白かった顔をほんのり赤く染めながら、彼の話の内容について聞いてみるが、奏音はにんまりと口を曲げると、「さぁ~?何だろう~?」と、予測がついても答えずにもったいぶってみせた。
「……明日、日下の口から直接聞きなよ。そんで、いいことだったら真っ先に教えて!一番に祝ってあげるから!」
奏音にそう言われると、亜梨明は熱く火照ってきた頬を両手で包み込み、「うん……!」と頷いた。
「明日が楽しみっ……!学校、早く行きたいな!」
*
それから約二時間後――。
亜梨明は、家族の前で突然意識を失い、救急車で病院へと搬送された。
車内で奏音と両親が手を握り締め、懸命に呼びかけても、亜梨明がその声に目を覚まし、応じることはなかった……。
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