第172話 さらば、俺の初恋


 一時間目の授業終了と同時に、養護教諭の柿原先生が三組にやって来て、亜梨明を早退させると奏音に告げた。


 奏音は、亜梨明の鞄を柿原先生に預けると、緑依風、風麻と集まり、爽太との仲直りについて相談し始めた。


「私、日下にも謝らなきゃ……。でも……なんて言って謝ろうかな……」

 謝罪方法に悩む奏音は、難しい顔をして腕を組みながら「うーん」と唸った。


「そんなに複雑に考えなくても、シンプルに『ごめんなさい』でいいんじゃないの?」

 緑依風がアドバイスすると、奏音は「あ~っ……それが、かなり感情的になっちゃってさ……」と、思い出すのも嫌そうな、渋い顔つきになった。


「道理で、最近爽太が相楽を見ると逃げるわけだ……」

「え、そんなに怖がられてたの私!?」

「だってあいつ、相楽の話し声が近付いてきた途端、何かと理由つけてそこから離れるし、すれ違う時なんか顔ガッチガチに固まって、息止まってるんだぜ」

「そんなぁ……!!」

 申し訳無さそうに「どーしよー!」と頭を抱える奏音。


「しゃあねぇな!後で俺から爽太に相楽がもう怒ってないって、伝えておくよ」

 風麻が両手を腰に当てながらため息交じりに言うと、緑依風も「うん、それからの方がどっちも顔合わせしやすそうだし」と、賛同した。


「悪いね坂下……」

「気にすんな。……俺からも爽太にきちんと話さなきゃならねぇことがあるから、そのついでだ」

「?」

 風麻の話の内容が気になり、緑依風と奏音は顔を見合わせるが、風麻ははぐらかすように「まっ、俺様に任せとけ!」と、胸板を叩き、ニッと歯を見せた。


 *


 部活動が終了し、風麻は爽太と共に体育館横の水道に来ていた。


 今日の練習は基礎体力作りで、気温が上がり始めた春の暖かい空気は、激しく動くと肌にまとわりついて汗も流れ出てくる。


「あ~あ、やっぱ外周するなら秋冬がいいや」

「風麻は暑いの苦手だもんね」

 二人で蛇口を捻って、顔についた汗を水で洗い流す。


 バシャバシャと豪快に顔を洗う風麻は、奏音の話をする前に言い出さなければならないことがあった。


 勢いづけるためにバシッと両頬を叩いて、ゴシゴシと顔を拭く。


 隣を見ると、爽太は今も顔を洗っており、風麻は爽太が蛇口を締め直すタイミングで、「ほい」と、彼の肩にスポーツタオルを掛けた。


「ありがとう」

 礼を言った爽太は、濡れた顔にタオルを押し当てるようにして水分を吸収させ、ふぅ……と、短い息を吐いた。


「――なぁ、正直に答えてくれ……」

「何を?」

 突然真面目な話を始める風麻に、爽太は不思議そうに問い返す。


「相楽姉のこと……今も友達として、妹みたいな存在として好きなのか?」

「…………」

「それとも、女子として……――あいつが求めてんのと同じ意味で好きか?」

「……前と変わらないよ」

 爽太はタオルで顔を半分ほど隠したまま、横に逸らして言った。


「俺の目を見て言えよ。……そんな答え方じゃ、嘘だってバレバレだぞ」

 風麻が鋭く、真剣な眼差しで凝視するが、爽太は風麻の顔をチラっと目玉のみ動かして見るだけで、彼に対し横向きになったままだった。


「……後者だと風麻にとって良くないでしょ。でも安心して、僕は邪魔するつもり無いから……」

 爽太は、「じゃ……」と、素っ気ない挨拶をして、タオルを畳みながら更衣室に戻ろうとする――が、風麻はそんな彼の手首を鷲掴むと、グイッと力強く自分に引き寄せ、「馬鹿にすんなっ!!」と、大声を上げた。


「俺に遠慮して身を引くとかふざけんなよ⁉︎相楽姉の気持ちだって、あいつがどうして欲しいのかも、全部、全部知ってるくせにっ‼︎」

 風麻は、爽太の両肩を押さえつけるように指を食い込ませると、彼の心を殴る気持ちで思いの丈をぶつけていく。


「俺が相楽姉を好きだとか、相楽に近付くなって言われたからなんて関係ねぇ!俺達を言い訳にして、自分の気持ちからも相楽姉の気持ちからも逃げてるお前は、マジもんの大馬鹿野郎だっ!!」

「――――っ!!」

 風麻が叫ぶように言い放つと、爽太の表情が、まるで本当に殴られたかのようにグシャリと歪み、彼は痛みに耐えるように、ギッと奥の歯を食いしばる。


「ずるいよ……お前っ……!」

 風麻はそう言って、手の力を抜き、肩から滑り落ちたそれで今度は爽太のシャツの袖にしがみ付いた。


「相楽姉は……お前にフラれてからも、お前のことしか見てねぇよ……。体調だって、最近ずっと良くないのに……お前に会いたいから、無理して学校に来てる。俺が……どんなに頑張ったって……相楽姉の気持ちはきっと変わらないっ……!」

 羨望、嫉妬――。

 風麻は、それらの感情を全てシャツを握る拳に込めると、自分の恋心ごと手放すように爽太を解放して、くるりと背を向ける。


「……好きになったんだったら、ちゃんとあいつに想い伝えろよ」

「……風麻は、本当にいいの……?」

 ちょっぴり涙交じりな声の親友に遠慮する爽太だが、風麻は「いいんだよっ!!」と、軽く鼻をすすりながら、荒々しく言った。


「ずっとギスギスした空気なのももう嫌だし、それに、無理に笑って泣き続ける相楽姉より、腹の底からめいっぱい笑って、楽しそうにしてる相楽姉がたくさん見たい。でもそれは、お前じゃないと出来ないから……――」

 風麻はそう言いかけたところで、もう一度爽太と向き合い、今度は彼の手のひらを両手で包み込む――そして……。


「……だから、頼んだぞ!」

 自分の想いを全て託すように、深く頭を下げながら爽太の手を握り締めた。


 爽太は、少し痛いくらいに込められた彼の力強さに、やっと覚悟を決めたように頷くと、「……ありがとう」と、風麻の友情と勇気に感謝した。


「でも僕、相楽さんに警戒されてるから、いつ伝えようか……」

「あ、それなら心配無い。相楽もお前と仲直りしたがってるから」

「え、そうなの?」

「ちなみに、どんな怒られ方したんだ?」

 風麻に尋ねられると、爽太は若干顔を引きつらせながら、「えと……胸ぐら掴まれて、揺すられて、すごく怒鳴られた……」と、奏音の手が掛けられた部分に触れながら言った。


「怖っ……!あいつら、双子だけど顔以外ほんっとうに似てねぇよな!!」

 風麻は、自分が奏音にそうされた時のことを想像し、思わず恐怖に身震いする腕をさすった。


 *


 次の日。

 爽太が星華と共に三組のクラスを訪れると、星華に廊下から呼ばれて振り返った緑依風が、そばにいる奏音に声掛けし、二人がいるドアの方を指差した。


「………っ」

 ごく、と奏音が喉を鳴らすと、緑依風が「大丈夫」と優しく背中を押して、それに気付いた風麻も、直希との会話を中断し、緑依風と奏音の後ろについていった。


 廊下に出揃うと、緊張した面持ちの爽太と奏音が、一歩ずつ前に出て向き合い、最初の言葉を選ぶように何度も視線をずらし合っている。


「……あのっ、相楽さん……僕っ――!」

「ごめんなさいっっ!!!!」

 爽太が話を切り出すと、奏音は大きな声で謝りながら頭を勢いよく下げた。


「日下もずっと悩んでたのに、私勝手に悪者扱いして、酷いこと言った……」

「そんな……僕こそ、みんなの気持ちを振り回したから……。でも、もし許してくれるなら……相楽さんと、もう一度友達になれるかな……?」

 爽太が恐々こわごわと右手を差し出すと、奏音は強く首を縦に振り「もちろん……!また、私とも仲良くして欲しい!」と、爽太の手のひらを両手で握って目を潤ませた。


 爽太は安心したように、「はぁ~っ」と息を吐くと、「改めて、よろしくね!」と笑顔を咲かせた。


「いや〜、よかったよかった。まず一個解決したね~!」

 星華が伸びやかな声でそう言って、握手をしたままの二人に近付いた。


「……ところで、亜梨明は?」

 爽太はキョロキョロと辺りと三組の窓から教室の中を見渡すが、亜梨明の姿だけがここに無かった。


「それが……昨日から具合悪いまま良くならなくて……。本人は学校行くって、なかなかきかなかったけど、なんとか説得して休ませた……」

「そう……なんだ……」

 奏音が説明すると、爽太は残念そうに肩を落とした。


「……あの、もし良ければ……うちにお見舞いに来て、会ってあげて欲しいの」

「……いいの?」

 奏音はこくんと頷いた。


「本当は、亜梨明も今日日下と仲直りするつもりだったの。だから、絶対休まないって駄々こねてて……。日下が会いに行ってくれたら、あの子もすごく喜ぶと思う!」

「…………」

 亜梨明の喜ぶ姿を想像した爽太の顔が、ほんのりと赤く染まる。


「見舞いに行くなら、ちゃぁんと手土産も持っていけよ!」

 風麻が爽太の背をポンっと軽く叩いて、提案する。


「お前、バレンタインのお返し渡してないだろ?」

「う、うん……」

「だったら、是非うちの店に来て!ホワイトデー用のはもう無いけど、春にちなんだ可愛いお菓子、いっぱいあるから!」

 緑依風も後ろに手を組みながら爽太に近寄り、土産品に木の葉のお菓子を勧めた。


「今日は学校終わったらソッコーでお菓子買って、相楽姉に会いに行けよ!」

「……うん!」

 五人の間に、久しぶりに穏やかな空気が流れた。


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