第167話 宣戦布告


 翌日の三時間目。

 この日は、一回目の選択IIの授業が開始される。


 緑依風と風麻が美術室に移動すると、すでに入室していた爽太が、椅子に座って鉛筆や消しゴムの準備をしていた。


「爽太ー!」

「あ、風麻。……あれ、松山さんも美術だったの?」

「うん。そういえば、日下は美術得意って前に言ってたっけ?」

 緑依風が以前聞いた話を思い出していると、「爽太んち、確か父ちゃん建築デザイナーで、母ちゃんイラストレーターだったよな?」と、風麻も彼から聞いた情報を振り返った。


「へぇ~!日下んち、芸術の家系なんだ~!」

「でも別に、二人に絵を教わったわけじゃないよ。絵は小さい頃、外で遊べないから暇つぶしにたくさん描いてたってだけ。それに元々は音楽希望だったんだけど、うちのクラス音楽が人気で、僕は抽選で落ちたからここになったんだ」

 爽太が美術を選択した理由を語り終えたところで、三時間目開始のチャイムが校内に鳴り響き、先生もその音と同時に美術室に入ってきた。


 *


 今日の美術クラスの授業内容は、先生が用意したリンゴを、三人一組のグループで画用紙にデッサンするというものだった。


「……お前、そのリンゴ本物と違くね?」

 緑依風の隣に座る風麻が、彼女が画用紙にえがくリンゴと、目の前にあるどっしりしたリンゴを見比べながら言う。


 風麻の言う通り、緑依風のリンゴは目の前のものより小ぶりで、造り物のような綺麗すぎる形をしていて、モチーフ本来の姿は無視されていた。


「……そっちこそ本物と全然違うじゃない。下手くそすぎて、子供のラクガキみたい」

「なんだとー!」

 緑依風に言い返され、風麻がプンスコと腹を立てていると、風麻の隣で本物に忠実なリンゴを描く爽太が、チラリと彼に視線を移す。


「……風麻さ……最近、亜梨明と仲良いね」

 ――ボキッと、乾いた音が三人の間に響く。


 何の前触れもなく投げられた爽太の話題に、驚いた風麻の手に力が込められ、彼の鉛筆の芯が根元から折れたのだった。


「な、なんだよ急に!?」

 狼狽する風麻は、違う鉛筆に持ち替えながら爽太に問う。


 同じく動揺していた緑依風も、落とした練りゴムを拾って、爽太の返答に耳を傾けた。


「だって……前は、そんなにたくさん話したりしてなかったし、二人で一緒にいるのを見かける日が……増えた、気がして……」

「…………」

「…………」

 三人の表情が、それぞれ違う思いで固くなる。


「……俺は、今年も相楽姉と同じクラスだからな。それに……――」

 風麻は体ごと爽太に向き直ると、しっかりと彼の目を見据えて口を開いた。


「もっと、相楽姉と仲良くなりたいって思ってるから」

 まるで、宣戦布告するような風麻の口ぶりに、爽太も緑依風も息を呑む――。


「残り三十分ですよ。なるべく完成に近い状態で提出してくださいね」

 三人はその後、授業が終わるまで一言も言葉を交わさず、黙々と絵を描き続けた。

 

 *


 授業が終わってからも、三人の間に流れる空気は、どこか張り詰めてピリピリしている。


 緑依風は、そんな空気を緩和しようと、「一組は次の授業何?」「リンゴって、意外といびつで丸じゃないんだなぁ~って、描いてみて初めて気付いたよ~」と、風麻と爽太の間で一生懸命に話を振っていた。


「――……ん?奏音と星華……?」

 二年生の校舎に続く階段を半分程上ったところに、星華と奏音が背を丸めて何か困った様子でいる姿が見えた。


 二人に隠れて見えなかった場所には亜梨明がいて、彼女は踊り場の床にぺたりと座り込み、身を縮こまらせながら荒い呼吸を繰り返していた。


「――亜梨明ちゃん、どうしたの?苦しいの?」

「あ、緑依風……ちょうどよかった」

 奏音は振り返り、少し安堵したように緑依風に助けを求めた。


「さっきまで何ともなかったのに、階段を上り始めてから急にしんどいって、動けなくなっちゃって……。でも私と星華じゃ、亜梨明を保健室に運ぶこともできなくて……」

 亜梨明よりも小柄な星華、体格に殆ど差がない奏音では、亜梨明を支えることはできても、抱えて保健室に連れていくことはできず、困り果てていたようだ。


「だ、だいじょ、うぶ……。ここで休んだら、すぐ落ち着くと思うし……みん、な……先に、もどっ、て……」

「そんなことできないよ。大丈夫、私が亜梨明ちゃんを――」

「俺がやる!」

 緑依風と奏音の間に割り込んできた風麻が、彼女を運ぶ役目を名乗り出る。


「緑依風、俺の荷物持って教室に先に帰ってくれないか?」

「う、うん……」

 風麻は緑依風に荷物を押し付けると、腕のシャツをめくりあげて亜梨明の上体を支えようとする。


「い、いいよ坂下っ!それは緑依風に――……!!」

 緑依風に気を使った奏音が断ろうとしたところで、緑依風がポンっと奏音の肩に触れ、静かに首を横に振った。


「………っ」

 緑依風が今、どんな気持ちで風麻にその役目を託したか悟った奏音は、悲痛な面持ちで彼女の目を見る。


「よっと……」

「亜梨明ちゃんを落とさないよう気を付けて、先生には私が説明するから……」

「おう。じゃ、保健室行ってくる!」

 亜梨明を横抱きにした風麻は、緑依風に後のことを任せて、保健室へと向かいだす。


 体を持ち上げられた亜梨明は、ここで初めて、爽太がすぐそばにいたことに気付いた。


「……爽ちゃん」

 消え入りそうなその声は、風麻にだけ僅かに聞こえるのみで、爽太には届かない。


 爽太は、亜梨明と目が合いそうになった途端、ふいっと視線を逸らし、もどかしさが渦巻く胃のあたりの服を、ギュッと握り締めていた。


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