第165話 嫉妬


 新学期が始まって三日目――。

 一時間目は、自己紹介と委員決めが行われていた。


 まずは学級委員長。

 去年と同じく、各クラスから男女一名ずつを決めなければならない。


 二年三組の委員長は、女子は緑依風。

 男子は、緑依風達と同じクラスになった、三橋直希みつはしなおきが務めることになった。


 副委員長には奏音と風麻が立候補し、書記は亜梨明が名乗り出てくれたおかげで、まだ担任を持つことに緊張している梅原先生は、ホッとした様子で黒板にそれぞれの名前を書いた。


「よかった。なかなか決まらなかったらどうしようと思ってたのよ……」

 梅原先生はそう言って不安を吐露し、このまま他の委員も順調に決まるかもと、すっかり安心しきっている。


 ところが、去年他の経験者から聞いて、大変だったという噂の文化祭、体育祭実行委員の枠だけ決まらず、梅原先生はオロオロし始めた。


 結局、決めかねている者達でジャンケンをしてもらい、委員決めは無事終了したものの、生徒達は頼りない梅原先生にちょっぴり不安を感じているようだった。


 *


「聞いて聞いてーーっ!!」

 一時間目が終わってすぐ、三組のドアを勢いよく開けて入ってきたのは、一組所属となった星華だった。


「聞いてよー!!私、ぴょんに「うるさいから」って強制的に委員長にされた〜……」

「あんた……よく他のクラスに遠慮無く入って来られるね」

 緑依風は「信じらんなーい!」と叫ぶ星華を「信じられない」という顔で見た。


「――んで、三組の委員長は?」

「緑依風と三橋だよ」

 奏音が説明した。


「おっ!じゃあ、放課後の委員長会議の日は一緒に帰れるね!私、部活も辞めちゃったし」

「えっ?いつの間に……?」

 亜梨明が聞くと、「春休み中に」と星華は言った。


「だ~って、桜がいなくなってつまんないし、所属する男子は化学マニアすぎて恋に発展する予感も無いし、んじゃもう行かなくていいか~って!」

 ケロリとした様子で手のひらを上に向けて両腕を上げる星華に、緑依風、風麻、亜梨明、奏音は苦笑いしていた。


「男子は誰が委員長だ?」

「日下だよ。坂下は?」

 星華に聞かれると、「俺は副委員長!」と、風麻は腰に手を当てながら、ドヤ顔で答える。


「副委員長って、肩書は立派だけど、結局去年そんなに仕事無かったじゃん」

「だから立候補したんだよ」

「動機が不純……」

 風麻がこういうものに張り切って立候補することが妙だと感じていた緑依風は、呆れた顔つきで彼に言った。


 *


 次の時間は、二年生から数学の授業を少人数に分けるためのテストが行われた。


 一年生の頃に授業で習ったことが全て詰められた問題を解き、七十点以上の者はAクラスで、それ以下の者はBクラス。


 Aクラスの授業は、応用問題の多い内容となり、Bクラスは基礎をしっかり学ぶ授業となる。


 三時間目は、選択授業の希望用紙にどの授業を受けるか記入し、その後は、明日の入学式の説明を受けた。


「――あ、それから委員長と副委員長、書記の人は、放課後新一年生の教室の掃除と、体育館での椅子並べがあるから残ってくださいね」

 梅原先生からそう説明されると、風麻は「えぇ~っ……」と嫌そうに声を上げ、斜め後ろにいた緑依風は「ラクばかりしようとするから」と、心の中で呟いて、ひっそり笑った。


 *


 放課後になり、緑依風、風麻、亜梨明と奏音、直希の五人は、一年三組の教室に赴き、新一年生のために清掃を始めた。


「はぁ~っ……。まさか、副委員長になって早速仕事があるとは思わなかったぜ……」

 風麻が机を教室の後ろの方に持ち運びながら、深くため息をついた。


「まぁまぁ、去年私らだってそうやって先輩にしてもらったんだから、このくらいはやってあげようじゃないの」

 奏音も机をせっせと運びながら風麻に言った。


「松山ーっ、そっちの雑巾貸してくれ。多分俺の方が届く!」

「オッケー!助かる!」

 緑依風と五人の中で一番背丈のある直希は、窓拭きを担当する。

 緑依風では届きづらい高い場所は、直希が率先してガラスを磨いてくれた。


「よし、これで綺麗かな?」

 黒板磨きを終えた亜梨明は、床拭き掃除用バケツに水を汲みに向かう。


 少し入れ過ぎてしまったバケツの水をちゃぷちゃぷと揺らして、亜梨明が取っ手部分を両手で持って運んでいると、「貸して」と言う声と同時に、風麻の手が目の前に伸びてきた。


「重いだろ、俺が運ぶよ」

「ありがとう。ちょっと水多かったな~って思ってたの」

 亜梨明は風麻の厚意に甘えて、バケツを彼に託した。


「床の拭き掃除は俺と直希でやるから、相楽姉達は、掃き掃除と机とかロッカーの拭き掃除をやってくれるか?」

「……ん?いいけど、みんなで床拭きしちゃダメなの?」

「お前らスカートじゃん……。床拭きで中見えたら嫌だろ」

「あははっ!ありがとう」

 亜梨明は笑ってお礼を言った後、「でも……」と何かに気付いた様子で口元に手を添えた。


「床掃除してる時に、机拭いてる私達が近くにいたら、顔を上げた時にパンツ見えちゃうんじゃ……あ、もしかして坂下くん、最初っからそういう目的じゃ……?」

 亜梨明が疑うような目線で風麻に言うと、「ち、ちげぇし!見ねぇよ!!」と、風麻は顔を赤くして否定した。


「あははっ!」

 風麻が自分のからかいに対して、必死に誤解を解こうとする姿を面白く感じた亜梨明は、また明るい声を上げて笑った。


「相楽姉がそうやって笑うの、久しぶりだな」

「あ……」

 亜梨明は軽く口を横に結ぶと、そのまま下を向いた。


「……なぁ、今もいろいろ悩んでるみたいだけど、俺でよければいつでも話聞くからさ、もっと俺のことも頼ってよ」

「え……?」

 亜梨明の大きな瞳に見つめられ、風麻は照れ臭そうに頭を掻きながら話を続ける。


「あ~……ホラ、たまには男子の意見っつーか、女子には話しにくいこともあるだろ?あと、男子目線じゃないとわからない相楽姉が聞きたいこととか……。いい返事ができるとは断言できないけど、相楽姉がまた元気になればいいなって、ずっと思ってるからさ……」

 風麻がそっと亜梨明の顔を見ると、亜梨明はパチパチと瞬きを繰り返し、ちょっと意外そうな反応をしたが、クスっと息を漏らして嬉しそうに微笑んだ。


「うん……ありがとう坂下くん!もし、その時が来たら頼らせてもらうね!」

「……おう!任せとけよ!」

 風麻は空いている方の手でドンと胸板を叩く。


 それを教室の窓から見ていた緑依風は、スッと視線を逸らし、すでにちりゴミなど残っていない床を箒で掃いていた。


 *


 入学式の準備を終え、風麻と並んで下校する緑依風。

 風麻は、鼻歌でも歌いだしそうなくらい上機嫌で隣を歩いており、前後に揺れる腕の動きもいつもより大振りだ。


「今日の風麻、亜梨明ちゃんといい雰囲気になってたね」

 緑依風が言うと、「そう、思うか?」と、風麻はニヤ~っと口元を横に伸ばし、喜びを隠そうとしない。


「なんかさ、今日一日でグーっと相楽姉との距離を縮められたような気がしてさ!好きな子に頼られるのって、すげーいいもんだな!」

「……そうだね」

「緑依風はまだ、次の好きな人見つからないのか?」

「……うーん。まだ、当分無理かな……」

 彼に悪気が無いとわかっていても、チクリと痛む心の傷に、緑依風は表情を曇らせた。


「――あ、そうだ!」

 両手を頭にかざしながら歩いていた風麻が、何かを思い出したように足を止める。


「結局、お前の好きなやつって誰だったんだ?俺は教えたんだからお前も教えろよ」

「ダーメ!まだ好きだから教えない!」

「ちぇ、フェアじゃねぇな~」

 風麻は口を尖らせながら再び歩き始め、緑依風もそれに続いて彼の隣を歩き出す。


「……見てたらわかるよ」

「そうなのか?」

 相変わらず、自分が緑依風の好きな人だと気付かない風麻に、緑依風はがっかりした気持ちで重い息を吐いた。


 *


 翌日。

 真新しい制服に身を包んだ新一年生が、期待と緊張に胸を高鳴らせながら、夏城中学校の門を通り抜ける。


 入学式は滞りなく終了し、放課後にはまた、二、三年生の委員長や副委員長達が、先生の指示の下で、式が行われた体育館の後片付けをしていた。


「日下ー!椅子まだそっち入りそう?」

 椅子を二つ持った星華が、最初に運んだ場所に椅子が入らなかったため、別の収納場所付近にいる爽太に声を掛ける――が、彼はどこか一点を見つめたまま、ぼんやりとしている。


「…………」

「日下、くーさーかー!!」

 星華がベシベシと爽太の背中を叩くと、彼はようやく我に返り、「あ、空上さん……」と、星華に向き直った。


「どうしたのー?」

 星華が爽太の見ていた方向に目を向けると、風麻と亜梨明がお互い和やかな雰囲気で会話をしている。


「――あ、もしかして羨ましい?坂下と亜梨明ちゃんが仲良さそうにしてるの」

 冗談交じりな気持ちで聞いた星華だったが、爽太はもう一度二人の方に視線を移して「うん……羨ましい……」と、静かな声で答えた。


「え?」

 違う返事を予想していた星華は、虚を突かれたように間の抜けた声を上げる。


「――ねぇ、空上さん。……人を好きになるって、どんな感じなんだろう?」

「え……えぇっ〜??うぅ……私に聞くか……」

 恋バナ大好きの星華だが、実は自身の恋愛経験はほぼ無いに等しい。


「んと……キラキラしたり、どうぁーって気持ちが盛り上がったり、好きな人のことを思うだけでハッピーになったり!!……とか、かにゃ……?」

「……?」

 星華は思いついたまま、自分なりの恋のイメージを体を使って表現したものの、どうやらそれは上手く伝わらなかったようで、爽太は頭の上に疑問符を浮かべたような様子で首を傾ける。


「……うん、そうなんだ?」

「だ~っ!やめてよ、その反応!!私に聞いたのが悪い!……坂下に聞いてみたら?」

「風麻に?」

「……あ、コレって言っちゃいけないんだっけ?……でも、日下に言うなって言われてないからいいのか?好きな人を教えなければいいんだよね?」

 星華が一人で自問自答をしていると、「風麻は、好きな人がいるの?」と爽太は聞いた。


「さ、さぁて?私、椅子を入れられるとこ探しに行こう〜っと……」

 星華は手に持ったままの椅子を引きずりながら、そそくさと爽太の元を離れた。


「キラキラしたり……ハッピーに……か」

 爽太は、風麻に何か語り掛けられるたびにクスクスと笑う亜梨明を見ながら、星華の表現と今の自分の心の色を比較してみる。


 ――が、それは“キラキラ”なんて輝かしいものとは正反対の、鉛のように黒くて醜い、不快な気持ちだった。


「――……やっぱり、違うよね」

 不快な感情の正体に気付けぬ爽太は、二人を目で追うことをやめ、後片付けの続きを行った。


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