第164話 引き分け


 次の日。

 今日は二、三年生合同で身体測定と体力測定、健康診断が行われる。


 新二年生で運動部所属の奏音は、立花と共に女子の身長の測定係をしなければならず、風麻も爽太と一緒に男子の握力測定に行かねばならないと、役割を与えられた者達は、他の人より少し急いで体操着に着替えた。


 身長測定は、緑依風にとって体重測定以上に嫌いな項目だ。

 幼稚園に入った頃から、同い年の友達より一人だけ背丈が伸びていき、かといって、気弱な部分はそのままで、自分より小さい者にいじめられていた時期もある。


 そんな自分が情けなくて恥ずかしかったし、風麻のことを好きになってからは、余計に高さばかり成長することが憂鬱で仕方なかった。


 しかし、今年は何故かあまり嫌な気持ちではない。

 むしろ、若干楽しみな気持ちもある。


「今年こそ、お前の背抜いてるぜ?」

「どうかなぁ~?まだ私の方が少し高いかもよ?」

 今朝登校する時に交わした、風麻とのやり取り。


 去年も、緑依風が六年生の三学期の測定から2センチ伸びたのに対し、風麻は4センチも伸びていた。


 今日の測定結果ではまだどちらが高いかわからずとも、彼が自分を追い越す日が近いことに、ワクワクした思いが生まれる。


 *


「はぁ~っ……。朝ご飯抜いてきたからお腹ペコペコだよ〜……」

 測定は誰と一緒に周っても良いため、星華は一組の子ではなく、三組の緑依風と亜梨明と共に巡回したいと言って、二人のそばへやって来た。


 彼女は今年も朝食を食べずに登校してきたらしく、お腹を押さえてげっそり顔になっている。


「相変わらず懲りないなぁ……」

「緑依風は増えても、付く場所に脂肪があるからいいよね~……っと!」

「ひあっ――!?」

 星華に背後から胸元を鷲掴まれた緑依風は叫び、そのままグーにした拳を彼女の頭の上に落とす。


「いったぁ~っ!!」

「あんたが悪いっ!!」

 赤面して星華に怒る緑依風の横では、彼女とは逆に青白い顔と、腫れぼったい瞼の亜梨明が、思い詰めた表情でぼんやりしている。


「亜梨明ちゃん、具合悪そうだけど大丈夫……?しんどかったらすぐ言ってね」

 緑依風が心配すると「うん……大丈夫」と、亜梨明は弱々しく微笑んだ。


 *


 各測定が開始され、緑依風達が空いている場所から巡っている中、男子握力測定の場所では、パイプ椅子に座った風麻が爽太の横顔をチラチラと見ながら、会話のタイミングを伺っていた。


「……なぁ、相楽姉に構い過ぎるなとは言ったけどさ、話ぐらいしてやれよ」

「…………」

 爽太は暗く俯くだけで、何も返さない。


「昨日のあんな言い方じゃ、ますますあいつらと仲直りでき――」

「――相楽さんに……もう近付くなって言われた」

「え……?」

「それに、僕自身も何を話したらいいのかわからないし……」

 爽太は、測定に来た者の握力数値を用紙に記録すると、まただんまりと俯いてしまった。


「そ……そんなの簡単だ。おはよう、こんにちは、昨日のご飯美味しかったとか話せば、そのうち会話が弾むだろ。どっちかが話さねぇと、一生会話しないまま後悔しちゃうぞ!」

 風麻が思いついた言葉を並べると、「ぷっ……」と、爽太の口から息を吹きだす音が聞こえた。


「おい、なんで笑った?」

「いや……そこは「いい天気ですね」じゃないんだって思ってさ!」

「天気よりご飯の方がたくさん話せるだろ!」

「あはははっ!」

 爽太はツボにハマったのか、お腹を押さえて笑っている。


「なんだよ、人がせっかくアドバイスしてやったのに……まっ、いっか」

 ここ最近、こんなに笑う爽太の顔を見ていなかった風麻は、ちょっぴり安心した様に息を吐いた。


 *


 全ての測定を終えて、緑依風達が教室に戻ってくると、遅れて教室に戻ってきた風麻が、自分の測定結果が書かれた紙を手に、自信たっぷりの顔つきで緑依風の元へとやってきた。


「ふっふっふ、今年こそ……今年こそお前を抜いた!」

「厚めの靴下とかで誤魔化してないでしょうね~?」

「俺はそんな卑怯なことはしない!」

「じゃあ、結果を見せ合おうじゃないの」

「望むところだ!」

『せーのっ!』

 互いに合図を声にした緑依風と風麻は、バンっと机の上に紙を叩きつけるようにして、測定結果を公開する。


「ひゃくろくじゅう……」

「よん、てん、ぜろ……――!!」

 最後まで数字を読んだ緑依風は、思わず目を丸くする。


 なんと、二人揃って164センチぴったりの数字が、項目の欄に記されていた。


「…………!」

「だぁ~~っ!!くそっ、同じか!」

 髪を掻きむしりながら悔しがる風麻の隣で、緑依風は嬉しそうに目元を細める。


「チクショーっ!絶対勝ったと思ってたのに……!!」

「……私の負け」

「……は?何言ってんだ?引き分けだろ」

 風麻はそう言って、ボサボサになった髪を整え直す。


「だって、あんたはきっとすぐ追い抜くもん。毎日見てたらなかなか気付かなかったけど、風麻……去年より13センチも伸びてる。すごいよ!」

「まぁ、確かに……。ここ一年、成長痛が酷くて大変だったし、背が伸びるように牛乳もたくさん飲んでたし……って、なんでお前そんなに嬉しそうなんだ?抜かされて悔しくないのかよ?」

 ニコニコしっぱなしの緑依風に、風麻は怪訝そうに尋ねる。


「悔しくないよ。むしろ私は、風麻に早く追い抜いて欲しいんだよ」

「…………?」

 緑依風の言葉の意味がわからない風麻は首を傾げるが、緑依風の心は、嬉しい気持ちが泉の水のようにこんこんと溢れ続けていた。


「……それよりお前、今年はしっかり体重のとこに付箋貼りやがって……。そっちも見せろよ!」

 風麻が手を伸ばすと、緑依風は彼に奪われまいと、サッと紙を上に持ち上げる。


「そう来ると思ったから貼ったんだよ!体重だけは絶対イヤっ!!」

「ってことは、お前まだ俺より重いな?何キロだ?見せろ!!」

「ヤダヤダ、こっち来るな~っ!!」

 ドタバタと、教室の中を駆け回る緑依風と風麻。


 そんな二人のやりとりを見て、奏音は「去年と全く変わらない……」と呆れ、亜梨明はその隣で、今も好きな人と仲の良い関係でいられる緑依風を羨ましく思っていた。


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