第13章 春、再び~それぞれの勇気~
第163話 クラス替え
――四月。
満開となった桜の花の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、隣の家のドアが開くのを待つ少女、
悩み多き思春期真っ最中の彼女は、去年まで跳ねやすくて思い通りにならなかった髪を背中まで伸ばし、その毛先に触れながら、空から聞こえる小鳥のさえずりに耳を傾けている。
「いってきまーす!」
元気のある声と同時に扉から出てきた少年の名は、
緑依風と同い年で、十年以上も家族ぐるみで付き合いのある、幼馴染の男の子だ。
「おはよ」
緑依風が短く挨拶をすると、「はよっ!」と片手をヒョイと挙げて、風麻も挨拶を返す。
「今日から二年生だな!」
「うん」
新学年の新学期。
緑依風と風麻は、中学二年生となった。
甘酸っぱい桜の香りと、少し暖かい日差しとひんやりした空気は、新しい生活が始まるサインのようにも感じ、そのせいなのか、中学生になって二度目の春だというのに、なんだかちょっぴり緊張が入り交ざった気持ちになる。
*
学校が近付くと、「おはよう!」「久しぶり~!」という生徒達の声が賑やかになってくる。
緑依風と風麻が登校してまず最初に向かうのは、二年生の教室――ではなく、一年一組の教室だ。
「おはよう」
「あ、日下おはよう」
「はよーっす!」
教室に入ってきた二人に挨拶をしたのは、緑依風と一年間共に学級委員長を務めてきた
風麻にとっては部活仲間でもあり、この一年特に仲良く過ごした親友でもある。
「クラス替えやだな~!」
少し離れた場所で、名残惜しそうにする女子生徒三人組。
三学期の修了式の際、一旦一年生の時の教室に移動し、そこで配られたプリントを見て、それぞれ新しいクラスへと向かうと
「緑依風~っ!おっはよ~!」
朝からとびっきり元気な声で教室に入ってきたのは、このクラスのムードメーカー的存在の
彼女のすぐ後ろには、学年唯一の双子姉妹、姉の
「あ……」
緑依風のすぐ横で風麻と会話していた爽太の表情が、急に暗くなる。
同時に、奏音の表情は険しくなり、半歩後ろにいた亜梨明も悲し気に瞳を伏せた。
「…………」
去年の春、この教室で出会い、友情を育んだ緑依風の友人達の関係は、今とても複雑で、心地の悪いものとなっている――。
*
「じゃあ、後ろの人に回してー!名前の横に書いてある数字が、今日から君らの新しいクラスだからねー!」
波多野先生が前列の生徒達にプリントを配りながら説明をする。
緑依風が自分の名前を探し、表記されている番号を見ると、そこには【3】と記されていた。
「三組……」
どうやら緑依風は、二年三組の所属になるようだ。
緑依風が次にチェックした名前は、当然風麻の名前だ。
「(さかした……さか、し……――!!)」
風麻の名前を探し当てた緑依風は、カッと目を見開き、息を呑む。
なんと、風麻の名前の横にも【3】と書いており、二年連続で同じクラスになれたのだった。
しかし、その後順に友達の名前を見て、緑依風の心は少し曇る。
彼が想いを寄せる、亜梨明も三組になったからだ。
亜梨明とは親友として、また同じクラスになれたのは嬉しい。
しかし、風麻のことに関しては手放しで喜べない。
こんな事を思ってはいけないと、緑依風は首を振り、他のメンバーを確認した。
どうやら奏音も同じ二年三組になったが、星華と爽太は一組で、離れ離れになってしまったようだ。
緑依風が亜梨明の様子を伺うと、彼女は何度もプリントを確認して、自分と爽太のクラスが別れたことを認めると、残念そうな顔でため息をついていた。
爽太の方は無表情のままプリントを折りたたみ、それを鞄の中へしまった。
「え~~っ!?私、緑依風達と別れちゃったー!……しかも、担任はまたぴょんなの〜〜……?」
「よかったね〜空上。先生がまた一年、しっかりあんたを監視してあげる」
星華は「しょうがない、監視されてやるか」と、波多野先生に言うと、亜梨明の元へ駆け寄った。
星華が亜梨明の耳元で何かを囁くと、亜梨明はクスッと笑って、お礼を言っていた。
「緑依風、また同じクラスだな!」
「うん、よろしくね」
緑依風と風麻は、入学式の日と同じ様にお互いの拳を合わせた。
「緑依風、また一年よろしくね!」
奏音が声を掛けてきた。
「星華ちゃんも一緒だったらよかったね……」
「そうだ、さっき星華なんて言ってたの?」
緑依風が、先程コソコソ話をしていた星華のことを聞くと、亜梨明は「あ……えっとね……秘密」と、へらっと笑った。
「じゃ、教室移動するよー!荷物持って二年の教室に行ってねー!」
波多野先生の合図で、元一年一組の生徒達は移動を始めた。
「終わったら久しぶりにみんな一緒に帰ろうね~!!」
星華はそう言って、チラリと爽太に目配せして手を振り、二年一組の教室へ向かう。
「はいはい、みんなもさっさと移動する。新しい教室が待ってるよ」
波多野先生は、教室の中でまだ友との別れを名残惜しむ者達に声を掛け、生徒が全員出て行くまで待機していた。
緑依風は、波多野先生が大好きだったため、担任が変わることを寂しく思った。
若くて快活な性格の波多野先生は、担任でありながら、クラス全員のお姉さんの様な存在だった。
プライベートでは、養護教諭の柿原先生と共によくお店に来てくれた。
「(波多野先生……。一年間ありがとうございました)」
緑依風は廊下から、まだ教室に残る波多野先生に頭を下げ、心の中で感謝の気持ちを述べた後、風麻達と共に二年生の教室へ移動した。
*
風麻、相楽姉妹と共に辿り着いた、二年三組の教室。
担任は、去年一年一組の副担任だった、家庭科の
梅原先生は教師生活まだ二年目の先生で、波多野先生と比べると大人しく、温厚な性格の女性だ。
「えっと……担任を持つのは今年が初めてです……。頼りない先生かもしれませんが、一年間よろしくお願いします」
肩よりやや下まで伸ばした、緩やかなウェーブヘアの梅原先生は、教卓の前に並ぶ生徒達に、緊張した面持ちで挨拶をした。
顔合わせを済ませると、すぐに始業式のために体育館へと移動した。
始業式が終われば今度は大掃除。
そして最後に、梅原先生から明日の予定を説明される。
「明日は身体測定と体力測定、それから健康診断を行います。体操着やジャージを忘れずにもってきてくださいね」
「(身体測定か……)」
緑依風は、斜め左前の方に座る風麻へと視線を移す。
去年までは10センチ近くも身長差があったのに、今朝並んで歩いていた時には、もうどっちが高いのか全く分からないくらい、彼は大きく成長した。
「(一年って、いろんなことがいっぱい変わるんだなぁ……)」
緑依風はそう感じながら、梅原先生の説明に耳を傾けていた。
*
三組の終礼が一足先に終わり、緑依風、風麻、亜梨明、奏音は、まだ中で波多野先生から説明を受けている一組の教室付近の廊下で、星華と爽太を待っていた。
バレンタイン以降、亜梨明と奏音は爽太との関係が悪くなってしまったが、緑依風と風麻にとっては、彼は今も大事な友達であり、星華が先程「みんなで」と言ったのは、きっと爽太も中に含まれていると思っていた。
ようやく一組も終礼が終わり、ガラッという音と共に開かれたドアから、ぞろぞろと一組の生徒達が廊下に溢れてくる。
「星華と日下……もうすぐ出てくるかな?」
緑依風がおずおずとしながら亜梨明と奏音に言うと、人ごみの中で星華が何やら爽太と揉めているような姿が見えた。
「ちょっと日下、待ってってばー!!」
爽太は、星華の言葉を無視して、鞄を肩に掛けながら緑依風達の前を通過しようとする。
「爽太!」
風麻が黙って去ろうとする爽太の腕を掴んだ。
「…………」
「どうしたんだよ……?」
風麻に問われても、爽太は暗い顔で黙ったまま何も言わない。
「一緒に帰ろうよ」
緑依風が言うと、「僕は……一人で帰るよ」と爽太は言った。
「僕がいると、迷惑みたいだから……」
「そんなことないよ、みんなで帰ろう?」
緑依風は説得するが、爽太は首を横に振る。
「クラスももう違うし、僕のことは気に掛けなくていいよ。帰りも、僕は誘わなくていいから。……それじゃ」
「――あ、ちょっと待てって!!」
爽太は逃げるように走り去り、風麻がそれを追いかける。
その場に残ったのは、緑依風と亜梨明、奏音、星華の女子メンバーだけとなってしまった。
*
結局、風麻と爽太と合流することはできず、女の子四人だけで帰ることになった。
重い空気を変えようと、星華が色々話題を繰り広げてくれるが、奏音からは薄い反応しか帰ってこず、亜梨明に至っては言葉一つすら出てこない……。
桜並木の下に差し掛かった時、亜梨明の足がピタリと止まった。
「――私、爽ちゃんに嫌われたのかな……」
亜梨明の靴先に、ひらりと一枚の桜の花が舞い落ちる。
「嫌だったよね……。好きでもない人間に好きなんて言われて……きっと、気持ち悪かったよね……」
「そ、そんなことないよ!……多分今は気まずいだけで、また落ち着いたら一緒に帰ってくれるよ!」
緑依風が駆け寄り、亜梨明の肩に触れながら励ますが、亜梨明の体は小さく震えている。
「そうそう、緑依風の言う通りだよ!……それに、さっき約束したでしょ?クラスが別れちゃっても、私が日下を他の子に取られないように見張ってるから!だから大丈夫!元気出して……!!」
「でもっ……っ、……ぅ」
星華は励まし続けたが、亜梨明は瞬きと同時に大粒の涙を零し、顔を覆って泣き始めた。
「ああ〜……泣かないでってば〜!……もう~っ!日下のバカ~~っ!」
星華は亜梨明を抱き締めたまま、その場にいない爽太に向かって叫んだ。
緑依風も亜梨明の背中をさすりながら、彼女の気持ちを落ち着かせようとするが、亜梨明はひっくひっくと喉を鳴らしながら、目を押さえ続ける。
「――爽ちゃんとお話したいっ……!また、前みたいに戻りたいよっ……!」
奏音は、亜梨明の願いを耳にしながら、複雑な思いで立ち尽くしていた。
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