第161話 子供達の晩御飯(前編)
三月も残りあと僅か――。
町に植えられた桜の木々は徐々に花を咲かせて、春らしい景色と匂いで住人達の心を満たしてくれる。
風麻も、隣の松山家の庭にある、細い桜の木にちょんちょんと薄紅色の花が咲いてるのを見て、「春だなぁ」と、ぼんやり眺めながらそれを実感していた。
風麻の春休みは、部活と宿題――あとは、昨日緑依風から亜梨明が今日退院するという情報を得ていたので、「退院おめでとう」のメッセージを送りながら、彼女のことを考えるという、平凡なものであった。
――が、そんな平和な春休みに事件が起きた。
夕方、父方の祖父が大怪我をしたと、祖母から電話がかかってきた。
父、和麻の実家は宮城県にあり、夏城から行くには車で何時間もかかる場所だ。
和麻は急遽、有給休暇を使って仕事を休み、次の日の朝、妻の伊織を連れて共に宮城に発つことになったが、問題は子供達である。
風麻は明日も部活、秋麻は友達と遊びたいから家に残ると言い、冬麻は「おじいちゃんちのトイレはこわいからやだ!」と泣いた。
和麻と伊織も、年老いた両親の様子を見ながら、手のかかる子供達まで連れて行くのは骨が折れると判断し、夫婦だけで宮城に向かおうという話になった。
とりあえず三日間の予定で、両親のいない家を守ることになった長男の風麻だが、両親揃って泊り掛けで不在になることは初めてで、母親の家事手伝いも面倒だからと逃げていたため、炊事も洗濯も一度もまともにやったことがなかった。
初日は、伊織がカレーを作り置きしてくれるのでなんとかなるが、次の日以降の食事に悩んだ。
*
翌日――。
「どうするかなぁ、明日のメシ……」
部活の練習が終わり、風麻が爽太とポールを運びながらボソリと呟いた。
「お金くれたんなら、デリバリーとかコンビニとかで買えばいいじゃない?」
憂鬱そうに項垂れる風麻に、爽太が言った。
伊織は前日の夜に、無理に調理はせず、好きな物を買って食べなさいと、お金をいくらか置いてくれた――しかし。
「デリバリーのピザは、誰が好きな物を頼むかで毎回ケンカになるんだよ……。コンビニの弁当も、冬麻が食べれる物が少ないからさ……」
まだ小さい冬麻は、野菜や辛いもの、固いものが殆ど食べられない。
次男の秋麻もこだわりが強く、一定期間、同じ物しか食べたがらない周期がある。
ちなみに最近は、ホワイトソースが掛かったオムライスにハマっている。
「じゃあ、松山さんに相談したらいいじゃない」
「結局緑依風か……」
確かに、隣に住む緑依風に頼めば簡単な話だ。
多忙な両親の負担を減らしてあげたいからと、小学生の頃から家事を手伝っていた緑依風は、お菓子作りだけでなく、おかず系も上手に作れる。
学校に持って行く弁当も、彼女は毎朝自分で手作りしていて、風麻は自分の弁当だけで食べ足りない時におかずを分けてもらっていたし、それはどれも美味しかった。
「(でもなぁ~……)」
風麻の頭の中に浮かび上がるのは、「えっ、こんなこともできないの!?」「日頃おばさんの手伝いなんにもしないから、こういう時に困るんじゃない……」「私なんか、このくらい小四でできたよ」と、嫌味を言う緑依風の姿。
実際、家庭科の授業の時、風麻が調理過程を面倒に思って、味噌汁に使うわかめを適当に水の入ったボウルに手づかみで入れようとした際には、「先生の話聞いてたっ!?」と、違うグループなのに斜め向かい側の流し台から、緑依風の声が飛んできた。
「……いやいや、それは最終手段だ!!」
風麻は首をブンブンと横に振り、緑依風に頼らない方を選んだ。
「……ま、火事にはならないようにね。あっ……ごめん風麻。僕、佐野達のモップ掛け手伝ってくる」
「えっ?」
体育倉庫を出ようとした途端、爽太の表情が急に曇りだし、モップを持って足早に去っていく――。
「あ、坂下じゃん!お疲れ!」
「おぉ……」
同じく部活を終えた女子バレー部の立花が、奏音と一緒に道具を片付けにこちら側に向かって歩いてきた。
「……?」
奏音と爽太の間に何があったか知らない風麻は、春休み前よりもピリピリした彼らの関係を不思議に思い、眉をひそめた。
*
夕方五時には片付けが全て終わり、風麻は爽太と別れてスーパーへと足を運んで、翌日の朝食のために食パンとたまごを購入した。
「――まっ、たまごを焼くくらいなら、さすがの俺でもできるだろ」
なんて独り言を呟きながら家の門扉に手を掛けた時だった。
ゴンガラガシャーン!!という、金物のようなものが落ちる音、そのあとすぐ「あーっ!!」という秋麻の声と「わぁぁぁぁ~っ!!」という冬麻の泣き声が家の中から聞こえたため、風麻は慌ててドアを開ける。
「どうした⁉︎」
風麻が家の中に駆け込むと、汚れた服で泣いている冬麻と、「だから、余計なことすんなって言っただろ!」と、怒鳴る秋麻がいた。
辺りを見回すと、冬麻のすぐそばの床には大量に零れたカレーと、残り少ないカレーが入った鍋が転がっており、何があったのか大体理解した。
「兄ちゃんっ!!チビが……!!」
「秋麻、とりあえず落ち着け。……冬麻、火傷はして無いか?」
安堵と怒られるかもしれないという恐怖で、更に大声で泣く冬麻の顔を、風麻はティッシュで拭きながら、服についたカレーに触れた。
熱くはないので火傷は無さそうだ。
「ガスは使ってないな?兄ちゃん帰ってくるまで、火は使わない約束だったよな?」
風麻に問われると、冬麻はヒックヒックとしゃくりを上げながら頷く。
「……っく、おなかがすいてね……おかしたべようとしたのっ……。でもおかしがなくて、カレーたべたかったのっ……!」
「それで、コイツチビだから届かないのに、余計なことすんなって……兄ちゃん帰ってくるまで我慢しろって言ったのに言う事聞かなくて、鍋ひっくり返して……!どうするんだよ!母さん達、しばらく帰ってこないんだぞ!!」
空腹と、母不在による不安からますます苛立ちが治まらない秋麻は、座り込んで泣いている弟に向かって、振り上げた手を下ろそうとする。
「――――っ!!」
叩かれると思った冬麻はとっさに頭を両手で守り、小さく悲鳴を上げる。
「秋麻、やめろ」
風麻が秋麻の手を押さえ、冬麻との間に入ってそれを阻止した。
「冬麻叩いたって、カレーはどうにもなんないだろ。冬麻、秋麻にごめんなさいだけ言っておこうか。それでおしまいな?」
冬麻は頭を押さえたまま、「ごめんなさい……っ!ごめんなさいおにいちゃんっ……!」と謝ると、再び「うわぁぁ~ん!」と声を上げて泣いた。
「はいはい、もういいから。冬麻、兄ちゃんこそごめんな。買い物して帰り遅かったからな……」
風麻は、冬麻の汚れた服を脱がせて抱き上げると、よしよしと頭を撫でて落ち着かせた。
三人で手分けして、床に零れたカレーを拭くと、風麻は僅かに鍋に残ったカレーをガスコンロで温め、それを三等分にしてご飯の上に盛り付けた。
幸い、米は母が多めに炊いてくれたので、大盛りにして腹を満たすことは出来る。
だが、ご飯の量とカレーの量が普段と真逆で、味がちょっと物足りなかった。
*
次の日の朝。
「さて、朝飯作るか……。えっと、フライパンに油を入れた後、たまごの殻を割って入れるんだよな……」
前日に買っておいたたまごを使って目玉焼きを作ろうとする風麻だったが、最後に作ったのは小学校の調理実習で、その時はたまごを上手く割れず、失敗したのを思い出した。
「あんときゃ力入れ過ぎたから、ぐちゃってなったんだよな……。そーっと……あ、れ……?」
コンコンと、慎重にたまごを台の上に当てて割ろうと試みるも、殻は意外と丈夫でなかなか割れてくれない。
そうこうしてるうちに、火にかけたフライパンの中にある油の温度は上昇し、パチパチと音を立て始めた。
「あ、ヤベ!」
急いで殻を割り、中身をフライパンに落とした風麻だったが、結局たまごはぐちゃりと潰れ、たくさんの殻の破片も一緒に落ちていった。
出来上がった三つの目玉焼きは、全て潰れて平たくなって焦げまくり、なんとも言えない姿となった。
「……兄ちゃん、目玉焼き作ったんじゃなかったっけ?」
秋麻が冷ややかな目でお皿に乗ったものを見つめた。
「あははは……目玉焼きって意外と難しいんだな」
食パンはなんとか綺麗に焼くことができたので、バターとジャムを塗ってそちらをメインに、たまごはコゲと殻を避けて食べた。
次は洗濯だ。
前日に使った部活の練習着や、タオル、弟達の服などの衣類を洗わなければならない。
母は一応、洗濯機の使い方を教えてくれたものの、四角い箱の中にある粉洗剤を見て、風麻は「?」と頭の上に疑問符を浮かべる。
「これ、どんくらい入れるんだ??」
しばらく説明書を読んでみたものの、水三十リットルに対してとか、一、五キロに対してなどと記されており、わかりにくい。
「……適当にしすぎて洗濯機壊したら、母さんにめちゃ怒られるよな」
風麻はパタンと箱の蓋を閉じると、汚れた衣類を浴室に運び、ボディーソープを使って手洗いした。
冬麻の服に付いたカレーの色は落ちなかったが、そのままハンガーにかけて干した。
*
洗濯を終えると、時刻は午前十一時前になっていた。
不慣れなことをしたせいか、部活でランニングをした後よりも疲れると、風麻はソファーの上でぐったりしていた。
「(これを……あと二日も……?)」
しかも次の日は朝から部活もあり、両立させることを考えると、もう今から気が滅入りそうだった……。
秋麻は友達の家へ遊びに行き、昼食は向こうで食べてくると言った。
家に残る冬麻は、アニメのビデオを見ている。
「おにいちゃん、おなかすいた」
「えっ、もう――……って、嘘だろ!十二時五分!?」
ほんの少しの休憩のつもりが、いつの間にか最後に時計を見た時間から一時間も経過していた。
炊飯器の中にはまだ昨日のご飯が残っていたので、昼食は火を使わないおにぎりを作ることにした。
さすがに握って塩と海苔をつけるだけなので簡単だが、冬麻はやはり母の味が恋しいのか、「おなかいっぱい」と言いながらも、満足した顔では無かった。
「(母さんなら、おにぎりだけじゃなくて、おかずもあったよな……)」
空腹は満たされても、具無しのおにぎりのみという食事は、日頃の食卓と比べると何とも味気ないもので、食べ盛りの男の子にとっては少々辛いものだ。
「母さ~ん……早く帰って来てくれよ~っ……!」
風麻は使い終わった食器を洗いながら、リビングで遊ぶ冬麻に聞こえぬ声量で弱音を吐いた。
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