第158話 優しき友よ


 体育館では卒業式の練習が始まっていた。


 風麻はまだ亜梨明を保健室に連れて行ったまま戻ってこず、一年一組の座席が二人分ぽっかりと空いている。


 緑依風は、自分の見えない場所で風麻がどんなことを話をしているのか、どんな気持ちで亜梨明と一緒にいるのかを想像して、胸の辺りが落ち着かない。


 校歌の練習を終えたところで、遅れてきた風麻がそっと体育館に入ってくる。


「ご苦労だったね坂下。早く自分のとこ座りな」

 奏音から事情を聞いていた波多野先生に労われると、風麻は「はい!」と返事をして、自分の椅子に座った。


「坂下、ありがとね」

 風麻から二つ隣に座る奏音が、小声でお礼を伝える。


「気にすんな」と返す風麻の横顔が、どことなく高揚しているように見えた緑依風は、まるで苦い水を飲まされているような気分になった。


「(諦めなきゃいけないのに……応援するって決めたのに、往生際が悪いよね……)」

 叶わぬならせめて、彼の一番の味方になろう。

 そう決めた割に、彼が亜梨明と距離を縮めることがこんなにも苦しい。


「――もし、好きな人がいたとして、その好きなやつにも好きな人がいるけど、そいつも片想いだとしたら、お前は……どうする?」

 ふと、緑依風の頭の中に、夏休みにした風麻との会話が蘇る。


「う〜ん……もし、好きな人が他の人と両思いになったら諦めるけど……。でも、チャンスがあるなら努力を続けたいな」

 風麻の問いに、あの時緑依風はそう答えた。


 だが、本人の口から別の人が好きだと言われてしまった以上、努力を続ける気になれない――でも、諦めきることもできない。


「(中途半端だなぁ……)」

 緑依風は、自然に消えることも自ら消すこともできず、ぶらんと中央に垂れ残る恋心に対し、そう悪態をついた。


 *


 卒業式の練習が終わって体育館を出ると、雪は止んでいて、空も明るくなりつつある。


 練習の途中からトイレに行きたかった緑依風は、奏音と星華に待っててもらい、体育館横のトイレに向かった。


「緑依風ちゃん!」

 自分の名を呼ぶ声に振り返ると、そこにいたのは晶子だった。


「お疲れ〜、体育館寒かったね~」

「本当に……。寒すぎて、今日はずっとトイレが近いです……」

 緑依風が用を済ませて手を洗ってると、「そういえば」と、後から出てきた晶子が話を切り出した。


「利久くんから聞きましたけど、緑依風ちゃん、今年は風麻くんにバレンタイン当日にチョコを渡さなかったらしいですね?」

「えっ……?」

 晶子には、今年も渡したけど言えなかったとだけしか伝えていなかった緑依風は、例年とは違う渡し方を疑問視する晶子の問いかけに、ギクリと身を固める。


「あ〜……そのことなんだけど……――」

 どうやってごまかそうかとしていたところに「緑依風〜トイレ終わった〜?」と、悪いタイミングで星華と奏音が入り口前まで迎えに来た。


「いつも、バレンタイン当日にならないと絶対渡さないのに、珍しいと思って――」

「あ、しょ晶子っ!それ後で話すから!」

 慌てふためく緑依風と晶子の会話の内容に、聞こえていた奏音と星華は「あれ?」と互いの目を合わせる。


「そういえば……緑依風の結果、タイミング逃して聞けてなかったね」

 星華が、疑問符を頭の上に浮かべるような表情で、小首を傾げた。


「……結局、坂下に告白したの?」

「どういうことです?」

 緑依風が今年のバレンタインには告白する予定だったことを知らない晶子は、奏音の言葉の意味を聞き出そうと、じっと緑依風の目を見つめる。


 言い逃れはもう不可能だと悟った緑依風は、こめかみ部分を軽く押さえながら「んーとね……終礼終わったら話すから、後でいいかな?」と、三人に説明することを約束した。


 *


 放課後――。

 人が少ない校舎の階段の踊り場に集まった、緑依風、奏音、星華、晶子。


 亜梨明はまだ保健室で休んでおり、この話が終わった後、奏音が迎えに行くことになった。


 雲の間から覗く、オレンジ色の光が四人の影を作り、緑依風はその光が入り込む窓辺を背にして、恐々と口を開く。


「……――えっと、結論から話すと……私、バレンタイン前日に失恋したんだ」

 緑依風は、苦い結果を取り繕うような笑みを浮かべて、三人にカミングアウトした。


 てっきり告白をせずに終えたのかと思っていた奏音達は、気まずい表情になる。


「……それって、前日に緑依風が告白したの?」

 奏音がゆっくりとした口調で聞くと、緑依風はふるっと首を横に振った。


「風麻ね……亜梨明ちゃんが好きなんだって。チョコ作った後、うちに来て亜梨明ちゃんのこと相談されたの……」

 風麻の気持ちに気付いていなかった三人は、またも驚くように息を呑む。


「でも、亜梨明は……」

 奏音が小さな声で呟く。


「風麻も亜梨明ちゃんが日下のことが好きなのは知ってた。知ってた上で頑張るって言ってた……」

「……それで、緑依風はこれからどうすんの?」

 後ろ手を組んだ星華が、遠慮がちに聞いた。


「私は……風麻の恋を、応援することにしたんだ……」

 決意を声にした途端、ジワっと緑依風の目元が熱くなる――。


 緑依風は、緩み始める涙腺をなんとかしようと、スッと鼻から冷えた空気を吸い、天井を向く。


 そんな親友の姿に、晶子の口から「緑依風ちゃん……」と心配する声が漏れるが、緑依風は「仕方ないよ!」と、明るく言い放ち、平気なフリをしようとした。


「――そりゃあね、そりゃショックだったけどさ!亜梨明ちゃんが良い子なのはよく知ってるし、私だって、男だったら自分なんかより亜梨明ちゃんの方が好きになるよ……!」

 饒舌な口調で語りながら緑依風の頭に浮かぶのは、風麻を好きでいながら、幼馴染の関係を壊したくないと願い、嘘を付き続けた自分の姿と、それに傷付いたり、怒ったりして言い返して来る風麻の姿だ。


「私……いつも恥ずかしくて、風麻に偉そうな口しか聞けなかったからさ!」

 バレたら終わってしまうから――。

 風麻が自分を好きになってくれる日まで、天邪鬼という仮面を被って、なんとか恋が終わらぬようにやり過ごそうとしていた。


 そうしていれば、いつまでも大丈夫だと甘い考えを持っていたから――。


「だから――……」

 ここまで続けられた言葉が、途端に詰まって出なくなる。

 視界に映る友達の姿も、ゆらゆらと波打つ何かのせいでぼやけてしまっている。


「……だから、風麻に選んでもらえなかったんだよっ……!」

 絞り出した言葉と同時に、緑依風の目から大粒の涙が零れ落ちる――。


 笑って、込み上げる感情を抑えようとしても、意思に反して涙はどんどん溢れていき、緑依風は顔を隠しながら、まだ強がりを演じ続けようとした。


「バカだよね……っ、風麻の前で可愛くしていればよかったっ……嘘なんて付かないでもっと素直になっていればよかったなんて……今更、気付いたって……遅いのにねっ……!」

 後悔の念を吐き出しながら、だんだん小さく崩れていきそうになる緑依風。


 そんな彼女をしっかりと抱き締めたのは、一番長い付き合いのある晶子だった。


「緑依風ちゃん、そんなに自分のことを責めないで……」

 晶子が緑依風の背中をさすりながら言った。


「私は、幼稚園の頃からずっと、緑依風ちゃんと風麻くんのことを見てきました……。口では厳しい言葉しか出なくても、緑依風ちゃんが優しい人だってことは、風麻くんだって知ってます!それに……――」

 晶子は一度緑依風から体を離すと、涙に濡れた友の顔に柔らかい微笑みを向ける。


「こんなに自分が辛い時にも、好きな人の幸せを願うことのできる緑依風ちゃんはとっても素敵です。私は、そんな緑依風ちゃんが大好きです!」

「晶子……っ」

 慈愛に満ちた笑みを湛える晶子。

 そんな彼女の眼差しに、緑依風の心がふわりと癒される。


「……まぁったく!緑依風もうちの姉に負けないくらい超強がりなんだから!!」

 奏音がハンカチで緑依風の顔を拭きながら言った。


「そうそう、泣いていいんだよ!悲しい時はたくさん泣こうよ!」

 星華も飛び付くように後ろから抱き付いて、緑依風を励ます。


「……っ、うぅ〜〜っ……」

 三人に包み込まれるように抱擁されると、緑依風は一人抱え込んでいた苦しみを、涙に乗せて体の外へと流して行く。


 後悔の気持ちは完全には消えないが、それでも悲しみを分かち合ってくれる友たちの優しさに、昨日よりもすっきりとした表情になれた。


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