第157話 乙女心と男の子
三階の校舎の中央にある階段を、生徒達が楽しそうに雑談を繰り広げながら通過する一方で、亜梨明を背中に担いでいる風麻は、右奥の階段を利用し、踏み外さないよう慎重に下りていく――。
「(想像してたより、ずっと軽いなぁ……)」
これまでは、亜梨明の体調が思わしくない時に彼女の手助けをするのは、亜梨明の双子の妹の奏音や、女友達の緑依風や星華ではなく、爽太の役目だった。
爽太は常時彼女に気を配っていたし、緑依風達も爽太がすぐそばにいるのなら、自分達ではなく、彼に任せるようにしていたため、風麻には全くそういう出番は無い。
「俺がやる」と名乗ってみても、「いいからここは日下に」と、邪魔をされ、悔しい気持ちでそれを一歩後ろで見ているだけだった分、今こうして、堂々と亜梨明の役に立てることは、風麻にとって喜ばしいことだった。
爽太には悪いが、風麻だってずっと我慢し続けてきたのだ。
亜梨明に対してその気が無いなら、一人占めしてきた活躍の場を譲って欲しいってものである。
そんな風麻の気持ちなんて全く知らない亜梨明は、まだ緑依風に対して申し訳ない気持ちが残っており、落ち着かない様子だ。
「吐き気とかは無いか?」
二階の階段を三つ程下りたところで、風麻が聞いた。
「うん。少し楽になったし、歩けるから降ろしてくれて大丈夫なんだけど……」
亜梨明は身じろぎながら、なんとか彼に降ろしてもらえないかと試みるが、風麻は腕に力を込めて、「いいから無理すんな」と言った。
「――ったく。相楽姉は、前も大丈夫って言って倒れたことがあるだろ?」
「あ、あれは、あの時だけで……」
「まぁ、あん時みたいなぶっ倒れ方はもう無いけど、その後も教室で空上とふざけ過ぎてぐったりしたり、光月と色々あった時とかも結構無茶したって聞いたし、「亜梨明の大丈夫は信用できない」って、爽太がよく言って――……」
「…………」
後悔した時にはもう遅かった。
今、一番口に出してはいけない名前をうっかり言ってしまった風麻の口と足が、ピタリと止まる。
「……――爽ちゃん、いつも心配してくれてたんだよね」
風麻に掴まる亜梨明の手に、キュッと力が込められた。
「……ねぇ。坂下くんも、私が爽ちゃんのことが好きなの知ってた?」
少し明るく作られた亜梨明の声が、風麻の耳元に響く。
「バレバレなぐらい大好きオーラが出てたからなぁ……。残念だけど、クラスの殆どの奴が気付いてたぞ」
「え~っ?ホントにぃ~?」
「ははっ!お前爽太に話しかけられた時、顔赤くなったり、目がキラキラしたりするからな!」
ふざけるような口調になる亜梨明に合わせ、風麻も笑いながら返す。
「そっか〜……。上手く隠せてると思ったのに~!」
「あれでなのか?」
「うん、だって――……好きな人は……全く、気付いてくれなかったんだもん……」
「…………」
亜梨明と風麻の間に、沈黙が流れる――。
ずるり……と、少し下に落ちかける亜梨明を、風麻はしっかり支え直した。
「……坂下くんは、ちゃんと乙女心がわかる男の子じゃ無いとダメだよ!」
再び明るい声を作った亜梨明が、ちょっぴり偉そうな口調で話しかける。
「乙女心がわかる男子ってなんだよ?」
風麻は眉を曲げながら、亜梨明に振り向いた。
「――もし、坂下くんに……もしもだよ?恋してる女の子がいたら、その子の気持ちをしっかり考えて、大事にしてあげてね。私みたいな目に合わせちゃ、絶対ダメだからね!」
「…………」
その“恋してる女の子”の中に、お前はいないんだな――。
目を閉じ、喉元まで這いあがってきた虚しい気持ちをグッと飲み込むと、風麻は「……おう」と、静かな声で返事をした。
「ふふ〜っ!」
風麻の頭の後ろから、亜梨明の笑い声が聞こえる。
「なんだ、本当に元気そうだな?」
「なんか、話したら心も体も、少し楽になったかもしれない」
「ふ……そりゃよかった」
風麻も鼻から息を漏らすように笑うと、もう一度亜梨明を抱え直し、残りの階段を下って行った。
*
保健室に着きドアを開けた風麻は、「せんせーい!相楽が体調悪いって」と言って、亜梨明をベッドに降ろした。
「あら、今日は日下くんじゃ無いのね、珍しい」
何かの書類に目を通していた養護教諭の柿原先生は、椅子から立ち上がって、不思議そうな顔をした。
「えっと、俺の方がたまたま近くにいたんで……」
詳細を説明するわけにもいかないので、風麻はそう言って誤魔化した。
「坂下くんありがとう」
亜梨明がベッドに潜りながら、風麻にお礼を言った。
「どーいたしまして!」
「なんか、緑依風ちゃんの気持ちわかる気がするなぁ……」
先程よりも少し赤みの戻った顔で、亜梨明が小さく呟く。
「ん?何か言った?」
「ううん。緑依風ちゃん達にもお礼言っておいて!」
「わかった。じゃ、お大事にな!」
亜梨明の言葉の意味が少し気になる風麻だが、今は少しでも、彼女の気持ちを軽くできたことへの嬉しさが勝り、浮かれた足取りで体育館へと向かった。
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