第156話 近付く者、離れる距離
三月になった。
三年生の卒業式を一週間後に控えたため、最近は歌や式典の練習が多い。
この日のロングホームルームの時間は、卒業式で三年生が通るアーチに飾る花を作っていた。
「これいつになったら終わるのー⁉︎」
星華が作った花をカゴに投げながら言った。
「まだ半分しかやってないじゃん。手を早く動かしたら終わるから頑張って」
緑依風が、机に突っ伏した星華の頭をぐりぐりしながら言った。
「亜梨明。これ、もうちょい上に引っ張らないとふわふわのお花にならないよ」
「え~っ……。こんなに柔らかい紙、これ以上引っ張ったら破れちゃうよ~」
時が流れ、亜梨明は少しずつ普段通りの元気を取り戻してきた。
しかし、爽太とはまだぎこちなく、目が合っても挨拶程度の言葉しか交わさない。
最近は、男子バレー部が休みでも、亜梨明は一人で帰るか、同じく部活に入っていない緑依風が、彼女の家に学校からそのまま遊びに行ったりしている。
「日下は送りたそうにしてるけど、坂下が気を利かせて誘えないようにしてるみたい。亜梨明がどっちがいいのかわからないけど、私はしばらく二人きりにさせたくないかな」
――と、奏音は風麻の心遣いに感謝してるようだが、緑依風は不安になる。
きっと、このまま爽太と亜梨明の距離が広くなればなるほど、風麻は亜梨明との距離を縮めようとするだろう。
あれから半月程経過した今も、緑依風はバレンタイン前日の出来事を友達に言えなかった。
誰にも聞かれなかったというのもあるが、口にすれば『失恋した』という苦い結果に、再び泣いてしまいそうだったから。
*
「うわ、雪降ってる!」
「マジで!?もう春じゃないの~っ?」
窓の外を見た者が、羽のように舞い散る雪を目にして、そう叫んだ。
もう三月だというのに、この日は早朝からとても寒かった。
運の悪いことに、三時間目の授業中に教室のエアコンが壊れてしまい、一年一組の生徒達は、今日はこのまま寒い教室で我慢をしなければならなくなった。
寒さに弱い亜梨明は、授業中も休み時間も手を擦ったり、カーディガンの袖を伸ばしたりして、冷える体を温めようとしていたし、緑依風や星華、他の女子生徒達は、自分達が使うひざ掛けやカイロを貸し与え、彼女の体が冷えすぎぬよう気遣った。
*
五時間目の授業が終わり、六時間目は卒業式の練習だった。
クラスメイトたちが体育館シューズを持って移動を始めると、亜梨明はキュッと胸元を押さえて、既に集まっている緑依風達三人の元に近付いた。
「奏音……っ。保健室、行きたい……」
弱々しい声で、体の不調を訴える亜梨明の唇は紫色になっていて、顔も青白い。
「……歩ける?」
「うん……なんとか……」
奏音に問われると、亜梨明はコクンと頷いて答えた。
すると、亜梨明の異変に気付いた風麻が、緑依風の後ろから「どうした?」と聞いた。
「……具合悪いのか?保健室行くなら、俺が運ぶよ」
風麻はサッと膝を立ててしゃがみ、亜梨明に背中に乗るよう促した。
チクリ――と、緑依風の心が痛む。
風麻は亜梨明ちゃんが好き――。
諦めなきゃとわかっていても、ガラスのように砕けた恋心の破片が、チクチクと緑依風の柔らかい部分に突き刺さる。
「え、いいよ、歩けるから……!」
亜梨明は首を振って断ろうとするが、風麻は「無理すんなよ」と、まだしゃがみ込んだままのポーズだ。
「でも……」
亜梨明は緑依風の顔を見て、迷うように目を泳がせる。
亜梨明ちゃんは知らない。
風麻が亜梨明ちゃんのことが好きだって。
でも私は知ってるから……だから――!
「早く乗れって」
緑依風は、遠慮するなという顔で急かす風麻と、迷っている亜梨明の顔を交互に見ると、そっと亜梨明の背に手を添え、後ろを振り向いたままの風麻にこう言った。
「亜梨明ちゃんのこと、お願いね風麻」
緑依風が「大丈夫だよ」と、安心させるように笑顔を向けると、亜梨明は「じゃあ……」と申し訳なさそうに風麻の背に乗り、肩に掴まる。
風麻はしっかりと亜梨明を抱えると、「ぴょん先生に遅れること言っといてくれ」と緑依風に言伝を頼み、保健室へと向かっていった。
「…………」
二人の後ろ姿が、だんだん他の生徒の中に紛れて、見えなくなる――。
「……私達も、早く体育館に行こう」
緑依風が奏音達に振り返きながら言うと、奏音と星華の後ろでは、爽太が風麻達の歩いていった道を見つめたまま、立ち尽くしている。
「日下、早く行かないと遅れちゃうよ」
緑依風が呆然とした爽太に声を掛けると、爽太は掠れた声で返事をした。
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