第155話 今までで一番(後編)


 帰宅後。

 制服から着替えた緑依風は、期末テスト対策のため机に向かい、筆記用具を取り出した。


 ペンを握ってノートを開くが、頭の中を支配するのは、勉強のことよりも亜梨明や爽太、風麻のことだった。


 掃除の後も、爽太を避けるように、彼のいる場所は通らないようにする亜梨明と、亜梨明の姿を見ると伏し目がちになる爽太。


 そんな二人の様子を伺うよう、静観する風麻に、緑依風は悶々とした想い抱える。


 自分の恋が失敗に終わった今、緑依風が選んだのは、風麻の恋路を応援することだった。


 彼自身の口から「亜梨明のことが好きだ」と言われて散々泣いた後、緑依風は『風麻の恋人になれないのなら、彼の一番の味方でいよう』と決めたのだ。


 しかし、まだ完全に諦められたわけではない。

 五歳の夏から募らせてきた風麻への気持ちは、『彼に好きな人がいたから』という理由で簡単に捨てられるものではない。


 一緒に励まし合ってきた亜梨明の心の傷も、同じような結末に終わった者として、とても心配だったし、様々な想いが交錯していて、緑依風自身もどこから思考を整頓すればいいのかわからない……。


 そう考え続けて約一時間後――。

 ピンポーンと、家のインターホンのベルが鳴り、母の葉子から「風麻くんよ~!」と、声が聞こえた。

 

「はーい」と返事をしてドアを開けると、彼は既に緑依風の部屋のすぐそばまでやって来ていた。


「よぉ……」

 何かに悩むような顔の風麻を、緑依風は部屋に招き入れた。


 *


 緑依風がベッドに座ると、風麻もその隣に座る。

 今日は一緒に帰宅し、その時も普段より口数が少なかったが、今は更に難しい顔をしており、下唇を吊り上げて、眉間にもシワが出来ている。


「なぁ、相楽姉から何か聞いてるか?」

 あらかた、緑依風の予想通りの質問をする風麻。


「聞けるわけないじゃん……。でも、奏音から……聞いた」

「ダメ……だったんだよな」

「うん……」

 緑依風が静かに頷くと、風麻は「はぁ~っ……」と深く息を吐いた。


「なんかなぁ~……そうだろうなって、思ってたけど……」

「どういうこと?」

 彼の言葉の意味がわからず、緑依風が首を傾げる。


「……俺さ、バレンタインの日……爽太に聞いたんだ。相楽姉を、どう思ってるか?って……」

 風麻は自分の膝に肘を付き、右手で顔を支えるような格好で語り続ける。


「――バレンタインの日だけじゃない。何回か探りを入れようと思って、爽太に聞いてみた。でもあいつは、相楽姉を友達だとか、妹みたいに構いたくなるって、そんな風にしか言わなくて……。最初は、恥ずかしくて知られたくないだけの嘘で、根っこでは好きなんだろ?って、信じられなかった」

「誰が見ても、あの二人は上手くいくって思ってたよ」

「だよな……。俺も、負ける気持ちの方が強かったよ。でもさ、何度聞いても、爽太っていつも同じなんだ。まるで空っぽみたいな目と答え方。それを見て確信したよ。あぁ、こいつは本当に、ただ友人としての善意でしか、相楽姉に接してないんだって。……そう思ったら、チャンスなはずなのに……すげー腹立った」

「えっ……?」

 意外な返答に、緑依風が目を丸くする。


「不思議なんだ。言い方悪いけど、相楽姉がフラれることは、俺にとってラッキーかもしれなかったのに、ちっとも嬉しくないんだ」

「…………!」

「あいつの想いが爽太に届いていなかったことがムカつくし、あいつと爽太があんな風になっちゃったことが……あんな無理矢理な笑い方してる相楽姉を見てるのが、なんていうか……辛い」

 風麻は悲痛な顔つきのまま、両腕に頭を挟むような姿勢になり、深くため息をつく。


 緑依風は、自分のチャンスよりも、亜梨明の悲しみに心を痛める風麻に感心すると同時に、彼の優しさを嬉しく――そして、誇らしく思った。


「……あんたはいい子だね」

 そう言って、腕の中に埋もれている風麻の頭に手を伸ばした緑依風は、小さい子を褒めるように、ワシワシと強めに撫でる。


「ガキ扱いすんなよ!」と、むくれた顔を上げた風麻も、やり返そうと緑依風の頭に両手を添えて、彼女の髪を乱す。


「えっ、ちょっと!絡まっちゃ――痛っ!」

「あっ!わりっ――……?」

 指に緑依風の髪が引っかかってしまい、痛がる彼女に慌ててふざけるのを止めた風麻だったが、自分の手から垂れる幼馴染の髪を見つめると、小さく口を開いたまま固まる。


「……お前ってさ、こんなに髪長かったっけ?」

 風麻の顔がぶつかりそうになる距離まで近付いて、緑依風は思わず後ろに顔を引いた。


「前はいつも、この辺までにしてたのに」

 髪を解いた手で、自分の肩より少し上の位置を示す風麻に問われ、緑依風は小さく赤面し、斜め下に顔を逸らす。


「……今は、伸ばしたい気分なの」

「好きな奴が長い髪が好きなのか?」

「……悪い?」

 鎖骨の下まで伸びた毛先に触れながら、緑依風が上目遣いになって聞くと、「いや……別に……」と、風麻はどこか拗ねるような口調で、彼女の視線から目を逸らした。


「そういえば、お前はどうだったんだよ、バレンタイン」

「…………!」

「ちゃんと、渡せたのか?」

 再び胸が詰まるような質問をされた緑依風は、今度は風麻がいる隣から反対の斜め方向に体を回し、「うん……渡した」と答えた。


「――でも、ダメだったよ……」

 そばにあるクッションを抱きかかえ、切ない声で結果を伝えると、風麻は「そっか……」と、緑依風の頭に優しく手を乗せた。


「……元気出せよ」

「うん……」

 今度は風麻が彼女を慰めているつもりなのか、顔を見ないまま、ポンポンとリズムを取るように手を動かして、緑依風を励まそうとする。


「恋って、難しいな……」

「そうだね……」

 部屋の中に、静かな時間が流れる――。

 二人は、それぞれ違う方向を見つめながら、いろんな思いを胸の中に巡らせていた。


 *


 その頃、亜梨明は部屋に篭って塞ぎ込んでいた。


 奏音から事情を聞いた明日香は、娘の心中をとても心配をしていたが、親に触れられたくない傷もあると察し、問い質さないことにした。


 奏音も初めのうちは見守るだけにしようとしていた。

 しかし、あれから三日経っても、一人部屋で泣き続ける片割れの姿に耐えられず、意を決して亜梨明の部屋のドアをノックした。


「……入るよ」

 返事ができない程、憔悴しきっている亜梨明の部屋の扉を開くと、室内の照明は灯されておらず、真っ暗だった。


「あ……」

 亜梨明は奏音を見上げると、ぐずっと鼻の音を鳴らし、服の袖で濡れた目を拭いた。


 目は真っ赤に腫れており、顔周りにも長い髪が張り付いていて、見ていられない。


「ご飯……何なら食べれるって、お母さんが」

「なんでもいいよ……食べられるから」

「食べれてないじゃん……。二口三口だけなんて、食べたうちに入らない」

「………」

 亜梨明は下唇をキュッと噛みしめると、鈍い動きで俯き、黙ってしまった。


「そんなにしんどいなら、少しの間学校休んでもいいんじゃない?」

 奏音が提案すると、亜梨明はふるっと首を横に振った。


「学校には行きたい……。爽ちゃんに……会いたいから……」

「……会っても辛いんでしょ?それなら――……」

「――会わないなんて、もっと辛いよっ!!」

 突然の、叫ぶような亜梨明の声。


 奏音は少し驚くが、亜梨明はそんな妹に構わず、スカートをぎゅっと強く握り締めると、肩を震わせ、やるせない想いを語り始めた。


「フラれたのに……まだ諦められないの……まだ、好きなの……っ!でも、どうやって前みたいに話せばいいのか……わからなくてっ……!爽ちゃんが話しかけようとしてくれても、顔も見れない……。今まで……病気で痛かったり、苦しかったり、辛いって思うこと……たくさんあったのに、いまが――……生きてきて、今が一番……痛くて、苦しくて……辛いよっ……!!」

 ぼたぼたと、亜梨明の大きな瞳から大粒の涙が溢れる。


 そんな姿に、見ている奏音の胸の中心部が、まるで亜梨明の悲しさが伝染うつったかのように痛み出し、目の奥がぐらぐらと熱くなっていく――。


「亜梨明……っ、ねぇ、そんなに泣かないでよ……っ!」

 奏音が慰めようとして亜梨明のそばに膝をつくと、亜梨明は強く奏音に抱き付き、声を上げ始めた。


「――……っう、わぁぁぁぁ~っ……!」

 亜梨明の泣き声が耳に響いた瞬間、奏音も押し殺そうとしていた声が溢れ出し、鏡のように同じ泣き方をしていた。


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