第154話 今までで一番(前編)


 亜梨明を送り届け、自分の家に帰ってきた爽太。

 家族の「おかえり」の呼びかけにも返事をせず、そのまま部屋へと向かう。


 ――パタンと、静かにドアを閉めてマフラーを取り外すと、そばにあった鏡に、とても酷い顔をしている自分が映る。


「(いや、違う……酷いのは僕だ……)」

 爽太は、瞼の裏に焼き付いて離れない、先刻の亜梨明の姿を思い出し、そう思った。


 爽太にとって亜梨明は、風麻や直希とは違う意味で大事な友達だった。


 他の人にはわからない苦しみを共感し合える、身近な友達。

 力になりたいと思えた、守りたい存在。

 何気ないやり取りですら、特別なことのように喜ぶ亜梨明の顔を見ていると、爽太自身もとても嬉しくなり、優しいもので心が満たされた。


 初めて知った、亜梨明の想い――。


 亜梨明が他の女の子同様、自分に好意があるなんて、これまで全く考えたことすら無かった。


 彼女が自分の行いで、光のような笑顔を見せるのは、きっとあの日、直希に親切にしてもらって嬉しかった自分の気持ち同様だと、爽太は思い込んでいたのだ。


 でもそれは違った。

 もっと早く気付くことができれば、行動を改めることができたかもしれない。

 そうすれば、こんなに大きく傷付けることもなかったかもしれない。


「(それとも――“僕もだよ”って、言えばよかったのかな……)」

 一生懸命想いを告げてくれた亜梨明の姿を思い出すと、胸が重苦しい。


 好きと告げられた時も、どちらの返事をすればいいのか、一瞬迷った。


 それでも爽太は選んだ。

 正直に気持ちを打ち明けてくれたからこそ、その場しのぎの嘘は付きたくなかった。


「爽太、それ……程々にしとけよ」

「優しくされすぎて、傷付くこともあるんだよ……!」

 親友の言葉の意味を、今になってようやく理解し、深く後悔した。


 鞄を開けると、教科書と共に詰められた、たくさんのチョコレート。

 その一番上にあるのは、ミントグリーンの箱に白いリボンの飾りが施された、亜梨明からの贈り物――。


 爽太はその箱を手に取ると、ベッドに腰掛け、蓋を開ける。

 色とりどりのハートのアルミカップに、可愛く飾られたチョコレートが六つ。


「…………」

 部屋の中にアルミを捲る音、チョコを食べる音――。

 一つ食べるごとに、甘い味と苦い気持ちが胸の中で混ざり合った。


 亜梨明からのチョコ全て食べ終えると、爽太は箱を片付け、鞄の中に入ったままの他の子からのチョコレートを、いらない紙袋の中に詰め替える。


 そして、空箱になったミントグリーンの箱もその紙袋の一番上に乗せると、クローゼットの中にしまい、部屋着に着替え始めた。


 *


 翌週の十七日、月曜日。


 朝会えば、いつも声を掛け合っていた亜梨明と爽太の空気がきごちない。

 会話がないだけではなく、視線すら合わせない二人を見て、緑依風だけでなく、風麻や星華、クラスメイト達も、二人の間に良くないことが起こったのを理解した。


 緑依風はそのおかげで、風麻とのことを星華や奏音に聞かれずに済み、不謹慎だとは思いつつ、内心ホッとしている。


 亜梨明は、爽太以外にはいつも通りに接しており、お弁当を食べる時間も、休み時間も、テレビや授業の話をして笑っていた。


 それでもやはり話が途切れると、とても悲しそうな顔になり、お弁当も半分以上残して片付けてしまった。


「緑依風、ちょっといい――?」

「うん……」

 奏音は緑依風を廊下に呼び出し、先日の夕方の出来事を話した。


 奏音が帰宅すると、亜梨明は部屋から飛び出して奏音に抱き付き、声を上げて泣いていたこと。


 晩御飯は今日の昼食同様、殆ど食べれなかったこと。

 それでも朝はいつも通りに起きて、元気なフリをしていたことを――。


「――あの子、昔から我慢強いから……すごく痛い治療の時でさえ、あんな風に泣くなんて滅多に無かったのに……。フラれたこと、よっぽど辛かったんだと思う。でもそれはたった一晩だけで……。あとは私達の前では笑って、部屋で一人になったら……静かにしながら、泣いてるみたい……」

 緑依風と奏音が小窓から教室を覗くと、元気印の星華が困惑する程、おどけている亜梨明が見えた。


「こんな時に、無理して笑わなくてもいいのに……」

 亜梨明の姿に緑依風が胸を痛めると、「もう、癖なんだよ……きっと」と、奏音が言った。


「自分の心配で周りが暗い顔になるのを、嫌がる子だから……。でも、そんなの見せられた方が、余計心配になるってのにさ……」

 辛そうな面持ちで、双子の姉を見つめる奏音。

 教室の外にまで響く亜梨明の空元気からげんきな声に、二人はますます沈痛な表情になる。


 *


 授業が全て終わり、掃除の時間となった。


「さっ、早くゴミ集めて掃除終わらせちゃおっか!」

 箒でほこりを集める亜梨明が、緑依風に明るい声色で言った。


「うん……」

「あ、ちりとりが無い!」

 先程までそばにあったはずのちりとりが見当たらないと、亜梨明がキョロキョロと辺りを見回すと、彼女の斜め後ろで使っていた爽太と目が合った。


「あ……」

 亜梨明から笑顔が消える。


「…………」

 爽太は、亜梨明の目の前にやってくると、そのまましゃがみ込み、ゴミの付近でちりとりを構えた。


「……ありがとう」

「いや……」

 ザッザッと、箒で砂や綿ぼこりを爽太が持つちりとりに入れる亜梨明。


 ゴミを集め終わっても、二人はしばらく会話も無いままその場から動かなかった。


「――あのさ……っ!」

「――――っ!!」

 爽太が話しかけると、亜梨明はくるりと背を向け、箒を片付けに教室へと戻った。


「…………っ」

 爽太はショックを受けたように目を見開くと、力無い足取りで、ちりとりの中に入ったものをゴミ箱に捨てに行った。


「なんか……見てる側も辛いね」

 緑依風は箒を握りながら言った。


「あんなに仲良かったのに……。……日下も日下だよ、絶対両想いだと思ってたのに、なんでダメなんだろう!?」

 星華が箒の穂先をガシガシと床に叩きつけながら怒る。


「日下が亜梨明ちゃんを手助けしていたのは、ただの仲間意識……同情……?」

「でもさ!本当に同情だけで、あそこまでする!?わけわかんない~っ!!」

 星華は下唇を噛みながら、もどかしそうに爽太の横顔を睨みつけていた。


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