第151話 バレンタイン(前編)


 二月十四日――バレンタイン。


 当日の朝、夏城中学校は、ワクワク、そわそわ、ドキドキと、様々な表情を湛えた生徒達で賑わっていた。


 女子から男子へとチョコレートが贈られることが多いこの日。


 まだ恋人のいない男子生徒は、登校してきてすぐに自分の下駄箱やロッカーを必死にチェックしているし、日頃、ブラッシングすら疎かな者は、今日に限って髪型をワックスで整えたつもりらしいが、慣れないことをしたせいで、余計に残念なことになっていた。


 女子生徒も、いつもより丁寧に結わえられた髪型で、可愛くラッピングされた袋を持って登校してくる者が多い。


 朝から想い人を呼び出す者もいれば、「放課後に会いたい」とだけ意中の男子生徒に伝えて、一旦保留にする者など、告白の仕方も人それぞれで、その後の結末もそれぞれだ。


 女子生徒のうち半分は、恋愛よりもまだ友情を楽しみたいという者も多く、女友達同士でチョコを交換し合う『友チョコ』を用意して、仲の良い友人に配り歩くなんて子もいた。


 亜梨明達は美紅から、彼女の好きなアニメのキャラクターが描かれた袋に入った飴やチョコを二、三個ずつもらった。


「ホワイトデーにお返しするね」

 亜梨明が言うと、美紅はまた他の女子生徒にお菓子を配り始めた。


「美紅ちゃん、なんかサンタさんみたいだね」

「サンタぁ~?」

 亜梨明の表現に、奏音は首を傾げるが、白い紙袋に入ったお菓子をプレゼントのように配る美紅の姿が、亜梨明にはサンタクロースを彷彿とさせたようだ。


「これ、多分友チョコっていうよりも、美紅の推しカプを布教する目的だよ~。この二人、今美紅が一番好きなBLジャンルだもん~――って、おうおう……小泉さんも気合十分だね~」

 騒がしい声と共に教室に入ってきた小泉久美。

 普段とは違うヘアアクセサリーを着け、可愛い紙袋から更にこだわったラッピングの袋がチラリと見えて、今日亜梨明が校舎内で見た、どの女の子よりも本気が伝わる。


「ヤバ―っ、ついにこの日が来ちゃったよ~!!しかも今日、昼くらいから雪降るんだって~!」

「ホワイトクリスマスならぬ、ホワイトバレンタインじゃん!」

「久美頑張れ!!うちら、上手くいくようめっちゃお祈りしとくから~!」

 窓際に立つ小泉とその友人二人が、キャッキャと盛り上がりながら、鉛色の空にロマンチックなシチュエーションを求めている。


 亜梨明はそんな小泉の横顔を見つめると、キュッと唇を引き締め、彼女に負けない気持ちで闘志を燃やした。


「緊張してる?」

 奏音が聞かれると、「当たり前だよ」と亜梨明は言った。


「でも、昨日は早く寝たし、今日は体調バッチリだし、寒くても大丈夫なように、カイロいっぱい体に貼ったし、絶好調です!」

 亜梨明がグッと握り拳を胸の前にかざして言うと、奏音と星華は「おぉーっ!」と声を上げ、小さく拍手をした。


「――で、いつ告るの?」

 星華が聞くと、亜梨明は「今日、爽ちゃんと帰る日だから、その時に言えたらなって……」と、人差し指同士をチョンチョンと、合わせながら言った。


 前日に作ったチョコレートは、周りからわかりにくいよう鞄にしまったままにしており、それを渡す時まで爽太にも悟られぬよう、やり過ごすつもりだ。


「うん、いいんじゃない?でもさぁ……」

 星華は爽太の座席に視線を移した。


「肝心の日下が、まだ来てないよね」

 予鈴が鳴るまであと十分も無いというのに、爽太はまだ登校してこない。


「もしかして休み?」

 奏音が言うと、亜梨明は「ええっ⁉︎」っとショックな顔をした。


 亜梨明がそわそわしながらドアを見ていると、ようやくマフラーをぐるぐるに巻いた爽太が教室に入って来た。


「おはよう」

「爽ちゃん、おはよう!今日は遅かったね?」

 亜梨明が駆け寄ると「ごめんごめん」と爽太が困り顔で笑いながら謝った。


 ふと、亜梨明が爽太のカバンを見ると、いつもスッキリしている爽太の鞄が、少しいびつな形に変形している。


「日下くんいますか?」

 爽太が上着をロッカーに入れて間も無く、廊下から二年生の証である、青いスカーフの女子生徒の声が聞こえた。


「あ、まただ」

 爽太は小さな声で呟くと、「ごめん、ちょっと行ってくるね」と亜梨明に告げ、そのまま女子生徒と共に、何処かへ去ってしまった。


「上級生にまで好かれてるとは……」

 星華が少し顔を引きつらせると、「あれ、図書委員の人じゃない?」と奏音が言った。


「こりゃあ、帰りも呼び出される可能性大だね……。亜梨明ちゃん、早めに予約しておいた方がいいよ」

 星華に忠告されると、亜梨明は手に小さな箱を持ったまま戻って来た、爽太の元へ近付いた。


「そっ、爽ちゃんっ……!!」

 ちょっぴり大きめの声で亜梨明に呼ばれ、爽太が目を丸くする。


「爽ちゃん、今日は私と一緒に帰ろうね!」

「え……?だって、今日は一緒に帰る日だろ?」

 亜梨明が焦る理由のわからない爽太は、キョトンとした様子でそう答えた。


「あ、うん、そうだよね……!えへへっ……!」

 爽太が最初から自分と帰るつもりでいてくれたことに亜梨明は喜び、爽太は、そんな亜梨明を不思議に思いながら自分の座席へと戻ると、もらった小箱を鞄にしまった。


「――そういえば、緑依風ちゃんなんか今日、元気無いね?」

 亜梨明が緑依風の顔を覗き込むようにして聞いた。


 普段よりも顔色が優れず、目がどこか腫れぼったい。


「緑依風ちゃんもやっぱり緊張してる?」

「あ……うん。そうかも……!」

 緑依風はぎこちない笑みを浮かべると、斜め後ろにいる風麻を見た。


「緑依風ちゃんは、いつ坂下くんに渡すの?」

「え……と、中身の形が崩れると嫌だから、私は家に帰ってから渡しに行こうかと思って……」

「まっ、お隣さんだもんね。緑依風も告白頑張ってね!!」

 奏音が激励する気持ちでバシッと緑依風の背中を叩いた。

 緑依風は「痛いって〜!」と困ったように笑いながら、背中をさすった。


「亜梨明ちゃん……」

「なぁに、緑依風ちゃん」

「……!」

 緑依風は、握り拳を胸元で作って亜梨明にそう言った。


「……うん!」

「頑張ろう」ではなく「頑張って」と言う緑依風の表現を、ちょっとおかしく感じた亜梨明だが、きっと深い意味は無いと思うことにし、お互いの成功を祈った。


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