第150話 遅すぎた決断
「片付けまだ終わってないの。それしながらの話になるけどいい?」
後ろを歩く風麻に緑依風が振り向きながら聞く。
「おう……」
風麻の返事は、いつに無く静かだった。
調理室に風麻を案内した緑依風は、先程まで使っていた椅子に風麻を座らせ、甘いキャラメルラテを淹れてあげた。
寒空の中、庭先で松山家の調理室の様子を伺っていた風麻は、キャラメルラテの入ったマグカップを手に取り、「あったけぇ~」と、まずは飲まずに、冷えた手を温めることに使った。
「調理室ん中、すげーチョコの匂いする!」
「そりゃ、チョコレートのケーキ作ってたからね」
ふんふんと、部屋の中に未だ立ち込めるフォンダンショコラの香りを嗅いで、うっとりする風麻。
緑依風は、洗い終わってそのままにしていた器具を綺麗なふきんで拭きながら、彼の話が始まるのを待っていた。
カチャン、カチャ……と、緑依風が拭き終えたステンレス製のボウルや粉ふるいを台の上に置く音と、風麻がズズっとキャラメルラテをすする音だけの世界がしばらく続いた後、「ふーっ……」と、彼の深いため息が、再びこの空間の時を動かした。
「……相楽姉は、爽太にあげるチョコを作ったのか?」
風麻の思わぬ発言に、泡だて器を拭いていた緑依風の手がピタッと止まる。
「誰に聞いたの?」
「聞かなくてもわかるよ。相楽姉が爽太を好きなことも……な」
風麻はマグカップを台の上にコトンと置くと、頬杖をつき、物思いに耽るような表情でそう言った。
「あんた……それ、日下とか他の人に言わないでよ」
「んなことぁ、わかってるよ……」
親友の計画が台無しになってしまうことを危惧した緑依風に注意されると、風麻は少しふてぶてしい口調で答えたが、そこからの彼の様子は、苦しそうで、泣きたそうな……また、緑依風が今まで見たことのない顔になる。
「はぁっ……」
風麻は、ずるり……と、頬杖をついていた手をずらし、その手でクシャッと自分の髪を
「なぁ……相楽姉は明日、爽太に告白するのか?」
「……うん」
緑依風が頷くと、風麻は「そっか……」と言いながら俯いて、しばらく黙り込んだ。
「そうだよなぁ……」
「…………」
風麻はそのまま顔を腕の中に伏せて隠すような体勢になり、吐息だけで呻くような音を出している。
緑依風は、あえてそれを見ないように、拭き終えた器材を元の場所へと戻すため、風麻に背を向けた。
「――……緑依風」
彼の呼びかけに、緑依風は「なぁに?」と振り向かずに返事をする。
「俺さ……友達多い方だと思うけど、やっぱ一番落ち着くっつーか……なんでも話したいってやつは、お前だけなんだよ」
「うん……」
「長い付き合いだし……会わねぇ日の方が少ないってくらい、俺らはずっと一緒だったし……」
「そうだね……」
「だからこそ、お前には知ってて欲しいことがあって――……」
ここまで語ったところで、風麻が躊躇うように言葉を止める。
しかし緑依風には、その先の内容がもうわかっていた。
やめて!言わないで――!!
緑依風がどんなに強く思っても、もうそれは不可能だった。
「緑依風……俺さ、相楽姉が好きだ……」
聞きたくなかった事実――。
その瞬間、緑依風は自分の呼吸が、思考が、何もかもが止まったような感覚になる。
「きっと、フラれる前に失恋するかもしれないけどさ……。それでも俺っ、あいつのことがめちゃくちゃ好きなんだ……!」
「…………」
「こんなの知ったら、相楽姉と仲の良いお前を困らせるってわかってたけど……でもっ、俺一人で考えたって何もわかんねーし……他のやつに聞いてもらっても、やっぱりお前に頼りたいって思っちゃうし……。――なぁ、緑依風……俺は、どうしたらいい……?」
救いを求め、そっと彼女の背を見つめて問いかける風麻。
緑依風は、少し高い所に手を伸ばして、大きめのボウルをしまうと、ゆっくりと風麻に振り向いた。
「――……頑張りなよ」
固い笑顔を作って、緑依風は言った。
「だってさ、まだフラれてないじゃん!それに、告白しても付き合うかどうかわからないし、もしかしたら、意外と付き合っても長続きしない可能性だってあるでしょ……」
緑依風は詰まりそうな言葉を早口で紡ぎ、涙腺が緩みそうになるのを、強く握った手の爪の痛みで必死に堪えると、自分の感情をグッと押し殺し、風麻にそう告げる。
「風麻が誰かを好きになるって、初めてだね!長いこと一緒にいてても、知らないことって、やっぱりたくさんあるんだなぁ……」
「そうだな……。俺だって多分……お前の知らないとこ、実は結構あるのかもな……」
風麻がしみじみした口調で言うと、緑依風は大きな銀色の冷蔵庫の前に移動し、そこから綺麗にラッピングされたある物を取り出した。
「はい、これあげる」
「これって……!」
風麻の目の前に差し出されたのは、明日もらう予定だったフォンダンショコラだ。
「……いいのか?前日にもらって」
「うん!」
風麻は緑依風からフォンダンショコラを受け取ると、嬉しそうに目を輝かせる。
「……その代わり、私からのバレンタインはこれで最後ね」
「えっ?」
「風麻が頑張れるように応援してあげるから、来年からは、好きな人にもらって」
“最後”という言葉にやや寂しそうな顔になる風麻だが、最も信頼を寄せる幼馴染の激励に「おう」と力強く頷いた。
「そうなるように頑張る。あーっ……でも、普通の日にくれるお菓子は、これからももらえるよな?」
風麻がチラリと上目遣いで様子を伺うと、「はぁ~もう、あんたはそればっかり……」と、緑依風は腰に手を当てて、呆れ顔になる。
「……たまに、ね」
「おうっ、よかった!!」
*
風麻を玄関先まで見送った緑依風。
別れ際の彼は、とてもすっきりとした様子で、緑依風にもらったフォンダンショコラを掲げ「話聞いてくれてサンキューな!」と、元気よく帰っていった。
「…………」
玄関ドアが静かに閉められ、風麻の背中が見えなくなると、緑依風はすぐに自分の部屋へと駆けて行き、壁に掛けられたカレンダーを見た。
二月十四日の日付の欄には、赤いマジックで丸印が付けられている。
「……っ、うっ……うぅぅぅっ……!!」
その印の意味を思い出した途端、これまで我慢し続けていたものが、堰を切ったように緑依風の目からボロボロと溢れ出した。
遅かった、遅すぎたのだ。
気持ちを伝えることを何年も怖がっているうちに、風麻は別の人を好きになっていた。
床にぺたりと座り込んだ緑依風は、漏れる声が響かぬように歯を食いしばり、ベッドに顔を伏せるようにして泣いた。
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