第148話 チョコレート大作戦


 三学期開始から一か月が経過した。

 一年で最も寒いとされる二月だ。


 中庭の小さな池では、早朝になると薄い氷の膜が張られ、日当たりの悪い場所の蛇口は、時折凍り付いて水が流れないなんてこともある。


 そんな日々が続く、ある朝のことだった。


「はぁ……」

 緑依風と星華が談話していると、妹の奏音と共に登校してきた亜梨明が、挨拶より先にため息をついて教室に足を踏み入れた。


「おはよー……」

 声もいつもより暗い亜梨明に、二人は一瞬、具合が悪いのかと心配したが、隣にいる奏音はそんな姉を気遣う様子もなく「おはよ」と普段通りの挨拶をした。


「おはよ~。どうしたの亜梨明ちゃん?」

 星華が、亜梨明のほっぺをふにふにと指先でつつきながら聞いた。


「もうすぐバレンタインでしょ?でも……お菓子作りの本見たら、どれも難しそうで……」

「そっか、亜梨明ちゃんが日下に告白するって宣言した日まで、あとちょっとだね~」

 星華が、黒板に書かれている日付を確認すると、今日は二月六日。

 約一週間後の十四日は、クリスマスと並んで恋する人々にとって特別な、バレンタインデーだ。


「そうなの……。でも、どれを読んでもチンプンカンプン。お母さんに聞いてみたけど、うちのお母さん、お菓子作りは殆どしたことないって言うし……」

「緑依風に聞いて、一緒にやればいいじゃん!」

 星華が提案すると、緑依風も「うん、教えるよ?」と、快く手伝いを引き受けようとする――が、亜梨明は「あー……でもぉ~……」と言って、ますます悩むように腕を組んだ。


「緑依風ちゃんに教えてもらえるのは嬉しいんだけど、そうなると緑依風ちゃんに手伝わしちゃいそうだし、バレンタインは一人で作ってみようかなって思ってて……」

「この間ホットケーキ焦がして作った人が、いっちょ前に一人で作れるの?フライパンの中にもう一枚小さなフライパンの底みたいなものが出来上がったじゃない……。まぁ、日下が炭をバリバリ喜んで食べるやつなら、止めはしないけど……」

 奏音に先日の失敗について指摘されると、「フラれるかな……」と亜梨明は遠い目をして天井を見上げた。


「買えばいいのに」

 星華が別の作戦を提案する。


「だって、思いを伝えるには手作りの方が効果的って聞いたよ?」

 亜梨明がチラリと斜め後ろに視線を移すと、亜梨明がライバル心を燃やしている小泉が、お菓子作りの本を開き、いつも一緒にいる友人二人と「どれ作ろう~?」と相談し合っている。


「型抜きのチョコは?」

「溶かして固めるだけじゃ、手抜きって思われるかなと思って……」

 緑依風の提案にも、亜梨明は難色を示した。


 四人はしばらく悩んでいたが、緑依風がハッと何かを思いついた。


「じゃあ、型入れチョコにデコレーションしたやつにしようよ!それなら手抜きに見えないよ!」

「デコレーション……?」

「小さいアルミの型にチョコを流し込んで、その上に砂糖菓子とか、ナッツとかドライフルーツとかマシュマロを乗せて飾ったり、味もたくさん用意して、バリエーションを豊富にするの!何個か違う見た目の物を作れば、箱を開けた時もおしゃれだし、可愛いよ!」

「……それならできそうかも!」

 緑依風の説明を聞き、亜梨明は両手をパチンと合わせて賛成した。


「作るのはうちでやろう!わからないところがあれば教えるけど、手は絶対出さないから!」

「緑依風ちゃんありがとう〜!」

 まるで女神に感謝するかのように、亜梨明は手を組み合わせ、目をキラキラさせてお礼を伝える。


「そういえば、緑依風も確かバレンタインに坂下に告白するんでしょ?」

「えっ?あ、あぁ~っと……。うん……そうだ、ね……」

 奏音に聞かれて、緑依風はぎこちない声で返事をした。


「あぁ~、応援し続けて七年……。こうやって緑依風が決心するまでほんっとうに長かったぁ~!」

 腕組みした星華は、感慨深そうにしみじみとした口調になって言った。


「緑依風ちゃんも一緒なら心強いよ!お互い、頑張ろうね!!」

 亜梨明は緑依風に抱きつき、一緒に頑張れる仲間がいることに喜びを感じている。


 緑依風は、「うん……」と小さく返事をしながら、クリスマスパーティーの出来事を思い出して、チクリと胸を痛めた。


 *


 放課後――。

 六人揃って帰りながら話をしていると、風麻がバレンタインの話を持ち出した。


「女子はいいよなぁ〜、友チョコとかで交換しあって、たくさんもらうんだろ?」

「私達は、今の所する予定無いけどね」

 緑依風が言うと「えっ、くれないの⁉」と星華がショックを受けるように声を上げる。


「星華はくれるの?」

「私はもらう専門だから」

「じゃあ、あげない」

「けちんぼ」

 星華はぶぅっと頬を膨らまし、悪態を付いた。


「でも松山さん、風麻にはあげるんでしょ?」

 爽太から思わぬ言葉が出てきたため、緑依風は「へぇっっ!?」と、甲高い声を出して激しく動揺する。


 一瞬、爽太にバレていたのかと思った女性陣だったが、「風麻が毎年もらうって言ってたよ」と話を続けたので、そういうことかと納得した。


「まぁ……お隣さんのよしみで、ずっと続けてるからね」

 去年までの風麻にとって、バレンタインとは、必ず隣人の幼馴染から手作りのチョコレート菓子がもらえる日という、ただそれだけのものだった。


 緑依風自身も、風麻に気持ちがバレたくない一心で、『友チョコ』という言葉を強調して渡していたので、緑依風が毎年どんな想いを込めてチョコを用意していたかなんて、彼は知ったこっちゃなかった。


「今年はあれ食いたい!チョコケーキの中にチョコ入ってるやつ!」

「フォンダンショコラのこと?」

「そうそう、それそれ」

 大の甘党――とりわけ、チョコレートのスイーツが大好きな風麻は、毎年緑依風に食べたい物をリクエストしていた。


 ちなみに去年は、口に入れた瞬間にとろりと溶ける、生チョコレートだった。


「わかった。じゃあ、今年のチョコはそれね!」

「やったー!!楽しみにしてるからな!」

「任せて!」

 緑依風がリクエストを承ると、風麻は「にひひ」と歯を見せて笑い、ワクワクし始める。


「……そ、爽ちゃんは……チョコレート好き?あと、ナッツとかフルーツとか……」

「ん?好きだけど?」

 相変わらず鈍感の爽太は、亜梨明の質問に何の疑いも持たずに答える。


 そして、そのやり取りを見た瞬間、先程まで無邪気な笑顔を湛えていた風麻の表情は曇り、それに気付いた緑依風の心にも緊張が走る――。


「(気のせい、気のせい……)」

 緑依風は自分自身にそう言い聞かせたが、一度疑った気持ちはなかなか消えなかった。


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