第138話 ダウンジャケット


 木の葉を出て、駅の向こう側にある高層マンションに向かって歩く星華と緑依風。


「あ、風麻がおばさんにおかず持たせてもらうって!……ん?日下からもメッセージ来た!日下も来る途中で何か買ってきてくれるって!」

 風麻と爽太からのメッセージの内容を伝えながら、緑依風が隣を歩く星華の手を繋ぐ。


「ねっ、長嶋さんが用意したもの教えて?もし買い足すものがあるなら、亜梨明ちゃん達がこれからスーパー行くって言ってたから、おつかい頼んじゃおうか!」

 緑依風は、珍しくまだ遠慮がちな星華に元気付けるような気持ちで、キュッと握った手に力を入れた。


 星華は、そんな緑依風の心遣いが伝わったのか、ふいっと背の高い彼女の顔を見上げると、安心したように「にひっ」と笑い、「確かね~」と、長嶋が用意してくれた食べ物を教えた。


 *


 長嶋が下ごしらえして、すみれが仕上げる予定だったものは、香草がまぶしてあるフライドチキンだった。


 油で揚げるだけになっていたので、料理が苦手なすみれでもすぐできるようになっている。


 緑依風は星華のマンションに到着すると、早速台所に立ち、油を熱して味付けされた鶏肉を揚げていく。


 しばらくすると、数種類のジュースを買ってきた相楽姉妹と、トースターで焼くだけでできるピザを二種類持って来た爽太が到着し、そこからまた十分程経つと、大きなボウルが入った袋を持った、風麻もやって来た。


 フライドチキン以外は、全てデリバリーで頼む予定だったようで、男の子二人が買ってきた惣菜や、緑依風が急ぎで作った二品も併せて並べると、六人が食べても充分お腹がいっぱいになるくらい、テーブルの上は豪華になった。


 六人はそれぞれ役割を分担しながら、箸を並べたり、コップを取り出したりして、パーティーの準備を進めていく。


「ねぇ、星華ちゃん。取り皿これ使っていい?」

「うん、お願い~!」

 星華から許可をもらうと、亜梨明は食器棚から小皿を人数分取り出し、テーブルに運ぼうとした。


 ――が、数歩歩いたところで、亜梨明のつま先が僅かな段差に引っかかってしまい、彼女の体がぐらりと揺れる。


「きゃっ――!」

「おわっ、と……!」

 お皿が割れる――と、亜梨明は一瞬覚悟したが、真っ先に気付いた風麻が、彼女の両肩を支えて転倒を防いだため、大事には至らなかった。


「あ、ありがとう……」

 亜梨明は、小皿を落とすまいと込めていた手の力を緩めると、ホッとした表情で風麻にお礼を言った。


「おう、コケなくてよかったな……」

 風麻も同じように表情を和らげ、亜梨明から手を離した。


「もぉ〜ヒヤッとしたよ!気を付けて!」

 離れたところで見ていた奏音が胸を撫で下ろしながら注意すると、「ごめ~ん」と、亜梨明は取り繕うようにヘラリとした様子で言った。


「じゃ、乾杯しようか!」

 爽太の一言で、全員がテーブルに集まり、ジュースの入ったグラスを手に持った。


「では、星華お誕生日おめでとう〜!!カンパーイ!!」

「カンパーイ!!」

 緑依風の音頭で、全員が一斉にコップを持ち上げ、交互にフチを当てていく。


 テーブルの上に並ぶご馳走は、カラリとしたハーブ風味のフライドチキン、緑依風が冷凍庫から発見して揚げたフライドポテトと、野菜を洗って綺麗に盛り付けた、シャキシャキレタスとトマトの色鮮やかなサラダ、爽太が持って来た、とろけるチーズが魅力のテリヤキチキンとマルゲリータのピザ、風麻の母、伊織が作った、ひき肉たっぷりのソースがかかったミートスパゲティだ。


 各々食べたいものを好きに取ると、今日あったことや、まだ話したことのない話題もいっぱい喋った。


 ご飯を終えると、星華の家にも電子ピアノがあることに気付いた爽太の提案で、亜梨明が誕生日の曲を弾くことになり、バースデーケーキに立てたロウソクの火を灯して、全員で歌った。


 *


「はぁ~っ、食った食った!」

 カーペットの上に寝転がって、膨れたお腹をさする星華に、「おっさんか」と、奏音がテーブルの上を片付けながら言った。


「散らかしすぎたし、先に綺麗にしてから遊ぼうか」

「そうだね」

 爽太と緑依風が洗ったお皿を拭きながら顔を見合わせると、ガチャッと玄関からドアが開く音が聞こえた。


「あら?靴がたくさん……」

 ドアの向こうから聞こえた声に、「この声……ママだっ!!」と、星華は慌てて飛び起き、まだ散らかっている状態のテーブルの上のゴミを拾っていた奏音、今からゲームでもしようかとテレビに繋げていた亜梨明や風麻は、「ヤバい」と体を硬直させた。


 カチャンと、廊下とリビングダイニングの間の扉を開いて入ってきたすみれは、「星華!……と、お友達?」と目を丸くして、ごちゃりとした部屋と娘の友人達を見回した。


 怒られる!――と、緑依風や亜梨明達が思った瞬間、星華がすみれの前に飛び出し、「ママ、勝手に友達呼んでゴメン!」と謝った。


「でもっ――!!」

「……よかった」

 家主の居ぬ間に、好き放題したことを叱られると思っていた一同だったが、すみれはとても安心したような笑顔になり、その場に座り込んだ。


「みんなが、祝ってくれたのね……」

「うん!」

 星華もしゃがみ込み、首を縦に振って頷いた。


 すみれの片手には、黒いパックに入った弁当のようなものが入った袋があり、それがクシャっと音を立てて床に落ちる。


「みんな来てくれてありがとう。もう〜……ママ、パパから電話を聞いて本当にどうしようかと思ったのよ……。お腹を空かせているだろうからと思って、売店でお弁当買ったけど……でも、誕生日に出来合いの弁当を食べさせるなんてって、星華にすごく申し訳なくて……」

 すみれは顔を覆い隠すように抑えると、安堵のため息をついた。


 きっと、卓から帰れない連絡を聞いて、慌てて病院を飛び出したのだろう。

 すみれの荷物は、弁当が入った袋と、上着の中にスマホとキーケースのみだった。


「ううん、帰って来てくれて嬉しいよ。ありがとうママ」

 星華は、友達見られていることも構わずすみれに抱き付き、すみれも、愛おしい娘をぎゅーっと抱き締め返した。


「……ところでママ、当直は他の先生に代わってもらったの?」

「ううん、すぐに戻らなきゃいけないの。帰ってくるのは、明日の朝になっちゃうけど……」

 すみれが申し訳なさに目を伏せると、「だいじょーぶっ!!」と、星華は力強く言った。


「緑依風達がいるし、お仕事に戻って!!」

 星華が今度は演技ではなく、本心からそう言うと、すみれはふっと口元をほころばせ、「わかったわ……」と立ち上がった。


「本当に、みんなありがとう!星華のこと、よろしくお願いします!」

 一礼して娘を託すすみれに、五人は『はい』と声を合わせた。


 すみれは弁当が入った袋を持ち、再び病院へと戻って行く――。


「いいの?本当に大丈夫なの?」

 奏音が、母を見送り終わった星華に言った。


「うん!だって、寂しくないもーん!!」

 星華はドアに鍵を掛けると、ぴょんっと玄関上に飛び乗った。


「ママ達にお祝いされるのも楽しみだったけど、今、奏音達に祝ってもらえたのもすごく嬉しいし!こんなのだって、すっごく貴重でラッキーだよ!」

「そう、それならいいんだけど……」

 強がりではないならと思う奏音に、星華はバシッと肩を叩き、笑顔を弾けさせる。


「さっ、ゲームしよ!坂下がみんなで遊べるソフト持ってきてくれたって!」

 星華は奏音の両肩を持って回れ右をすると、彼女と共にリビングへと戻って行った。


 *


 二人がリビングに戻ると、風麻がカラフルなコントローラーを三つと、ソフトを二種類用意していた。


 一人っ子の星華の家には、一人プレイのゲームソフトしかないだろうと踏んだ風麻が、みんなで遊べるようにと持って来たのだ。


 コントローラーの数が増えたおかげで、四人まで遊べるため、後の二人は見学し、順番に交代していくことになった。


 ミニゲームがたくさん詰まったこのパーティーゲームは、遊び慣れた風麻や緑依風はもちろん、初めて遊ぶ相楽姉妹や爽太、星華も大盛り上がりしている。


「――あ~、またビリか~。次は亜梨明ちゃんに交代だね!……あれ?」

 星華が振り返ると、緑依風と共に順番待ちをしていた亜梨明が、いつの間にか温かいカーペットの上で、丸くなって眠っている。


「ありゃ、疲れたのかな?」

 星華が亜梨明の白いほっぺを突くと、「よく人んちで爆睡できるね……」と、奏音がまぶたを半分程落として言った。


「……っていうか、今何時?」

 風麻の声に合わせて五人が時計を見ると、時刻は夜十時をとうに過ぎていた。


「げっ、さすがに遅くなり過ぎた!帰らなきゃ……!!」

 奏音が亜梨明を起こそうとすると「そうだ!」と、星華が手のひらを叩いた。


「今日泊まれる子は泊まって行きなよ!パパも帰れなさそうだし、明日から三者面談で休みだし!」

 星華が提案すると、「泊めてもらえるのは嬉しいけど、寝るとこは?」と、爽太が聞いた。


「男子はソファーで雑魚寝してもらって、緑依風は私と、奏音達はお客さん用の部屋のベッドを使うといいよ」

「俺らの扱い……」

 あんまりな待遇に風麻が不満を口にすると、「いいんじゃない?このソファー広いし、少し丸まれば寝れそうだし」と、爽太は気にしない様子で言った。


「じゃ、決まりね!今夜は寝かさないぞ〜!」

「寝るための寝床確保の話じゃなかったっけ?」

 奏音の言葉をスルーした星華は、次のゲームソフトを準備し始めた。


「あ、亜梨明ちゃんに何かかけてあげないと……」

 緑依風がキョロキョロとしながら、ブランケットのような物が無いかと探すと、風麻がスッと立ち上がり、自分のダウンジャケットを亜梨明の背中にそっと掛けた。


「あ……ありがとう……」

「ああ……」

 緑依風がお礼を言うと、風麻は短い返事をして、スースーと寝息を立てる亜梨明を眺め、柔和な表情をする。


 その彼の眼差しに、緑依風は大きな違和感を覚えた。


「(なに……?なんだろ……)」

 風麻はこんなに優しく微笑む子だっただろうか?

 たまたまそうなっただけかもしれない――だけど、今まで見たことのない風麻の顔に、緑依風は新鮮さよりも、異物感のような、不快な気持ちになってしまう。


「この部屋あったかいけど、寝ると体温下がるし、風邪引いたら大変だって言ってたもんな」

「あ、うん……。そうだね……」

 緑依風は動揺したまま、風麻の言葉に小さく頷く。


「さて、今度はお前との対決だ!次も勝ってやる!」

 爽太の隣に座り、やる気を露わにコントローラーを構える風麻。


「…………」

 緑依風は、眠る亜梨明と風麻を交互に見たのち、彼の隣に座った。


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