第135話 金色と紅(前編)


 その夜。

 立花は入浴を済ませ、髪をタオルで丁寧に拭きながら、何度もため息をつき、う~っと唸り、そして締め付けられるような胸の奥の感覚に、一人悩まされていた。


 ドライヤーを使おうと、鏡の前に立つ。

 実の姉と比べられ続けた顔が、目の前に映った。


「笑うとすごく可愛いくて、お姉さんに負けないくらい素敵だと思ってる」

「――――っ!!」

 急に爽太から聞いた直希の話を思い出した立花は、なんだか恥ずかしくなって、思わず鏡から顔を逸らした。


「私なんて……お姉ちゃんの良いとこの半分も無いのに……」

「立花は立花。姉ちゃんは姉ちゃんだろ?」

「あ……!!」

 またしても、直希の言葉が蘇り、顔がかぁっと熱くなる。


「……直希」

 どんな季節でもギラギラと輝く、直希の金色こんじきの笑顔。


 お腹を抱えながら笑い合い、時に小さな言い合いになりつつも、最後には仲直りして、また笑い合う異性の友達。


 大事な大事な存在だったのに、他人の評価を気にして偽りの姿を演じ、我が身可愛さに彼を遠ざけた。


 それなのに――……。


「どうしよう……。直希のこと、こんなに考えちゃうなんて……」

 今までとは違う感情。

 痛く、愛おしく、熱い想いが、立花の全身を巡り、苦しめる。



 *


 二日後の土曜日。

 緑依風の家に、立花が訪ねてきた。


「……ねぇ、私に恋する日が来たなんて、想像できる?」

 立花は膝を抱え込みながら、緑依風に聞いた。


「そりゃまぁ、いずれは来ると思ってたよ」

 緑依風は、甘くてスパイスの効いたチャイが入ったマグカップを一つ立花に渡し、もう一つの自分用を両手で支えながら、彼女の隣に座った。


「でもまぁ~……こんなに早いとは思わなかったけど。三橋のこと好きになった?」

 緑依風に問われると、「単純だよね~……」と、立花はため息混じりに言った。


「あいつがその場のノリじゃなくて、実はずっと前から私のことを好きでいてくれたって聞いて、そんなことで好きになっちゃうなんてさ……。調子がいいっていうか……我ながら呆れる」

 立花はふ~っと、まだ熱々のチャイが冷めるように息を吹きかけると、それをまた「はぁ……」というため息に変え、カクンと首を落とした。


「そんなことないよ。元々仲が良かったんだし、三橋の良い所も悪い所も知ってるでしょ?」

 緑依風はチャイを一口飲むと、項垂れたままの立花の横顔を見つめた。


「……知ってるようで知らなかった……。日下に話を聞くまで、何も……」

 チャイの水面に浮かぶ、先日の出来事。

 直希の秘めたる気持ちを思い出せば思い出す程、立花の胸は捻じられるように苦しくなる。


 でも、その捻じられた苦しみから、嬉しい気持ち、懐かしい気持ちが雫となって、ポタリと心の泉へ落ちると、体中に柔らかなものが沁みわたっていき、立花はゆっくりと顔を上げた。


「――ねぇ、緑依風。私ってさ、お姉ちゃんが大好きでしょ?……でもね、実は大嫌いでもあるの」

「え?」

 立花の意外な発言に、緑依風は目を丸くする。


「だってさ、お姉ちゃんがいると、私は私らしくいられないんだもん。惨めで恥ずかしい生き物になる。……だから、妹としては大好きだけど、同じ女としては、お姉ちゃんは敵なの。青木立花じゃなくて、青木海生の出がらし。良いとこを全部持って行かれた残りカス。それが、周りから見た私」

「私は、そんな風に思ったこと無いけど……」

 緑依風が気まずそうに言うと、「緑依風はわかってるよ~!身内は味方だと思ってる!」と、立花は緑依風との距離を詰めながら笑いかけた。


「血の繋がらない他人とか、学校の友達とかね。そりゃ、徐々に仲良くなってくれると、そんなこともなくなるけどさ~。……でも、直希は最初から違うんだ。私を最初っから、青木立花として見てくれる。ありのままの私を全部知っても、あの綺麗なお姉ちゃんより、私がいいって思ってくれてたんだ。ホント、いいやつすぎるよね。……そんなの知っちゃったら、単純すぎる自分が悔しいけど、嬉しくて好きになっちゃってさ」

 立花は自嘲気味に笑うと、ズズっと音を立ててチャイをすすろうとするが、猫舌のために舌先に当たった瞬間、「あちちっ、まだ無理だな」と、カップを口から離した。


「好きになったならさ、三橋に返事してあげなよ。きっと待ってるよ」

 緑依風が言うと、「そう、それなんだよっ!!」と、立花は突然叫び、ずいっと緑依風の顔に自分の顔を詰め寄らせた。


「本題はそれ!それを相談しに来たの!!」

「えっ、さっきまでのじゃなくて……?」

 予想外の展開に、緑依風は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。


「昨日から急に目も合わさなくなって、休み時間に話しかけようとしても、どっかにいなくなるんだよ!なんでだと思う!?」

「あ~……」

 思い当たる場面が浮かび、緑依風は頭を軽く押さえる。


 緑依風は確かに言った。「立花をそっとしてあげて欲しいな」と。

 だが、しかし――。


「両極端すぎるでしょ……」

 緑依風は、素直過ぎる彼の行動に呆れ果て、深く息を吐いた。


 *


 月曜日の放課後。

 立花は、終礼が終わってすぐに教室を出て行ってしまった、直希を追いかける。


 今日も直希は、立花に何も話しかけない、目も合わさない。

 昼休みには男友達とサッカーをしに行き、立花となるべく同じ場所にいないようにしていた。


 人ごみを上手く通り抜け、早足で下駄箱に向かう直希を、立花は他の者にぶつかりながら、必死に追いかける。


「三橋待って、話したいことがあるのっ!!みつ――……直希っ!」

 久しぶりに学校で発した、懐かしい呼び名。


 名前で呼ばれた途端、直希はピタリと足を止めた。


 クラスメイトの視線が、二人に集中する。

 ニヤついた顔でひそひそと話をする男子生徒の声がしても、立花は毅然とした態度のまま、「話がしたい。ついてきて」と、直希を別の場所に案内した。


 

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