第131話 元気の箱(後編)


 ――熱い、体中の関節と喉が痛い、重い……。

 毛布と羽毛布団に包まりながら、爽太は目を閉じている。


 上掛けを引っ張り、全身をすっぽり隠すようにすると、様々なことが爽太の頭の中を巡っていく――。


 最初に浮かんだのは、発熱した翌朝に見た妹の顔。


 母が、留守番を頼むために、「お兄ちゃんも風邪引いちゃったから、病院に連れて行くね」と説明した途端、ぐしゃりとショックを受けたような表情になったひなた。


 物心つく前から、自分に感染症が伝染うつらないようにと、両親に言われ続けていた幼い妹の心情を、爽太はとても心配していた。


「(ひな、きっと悪く思ってるんだろうな……)」

 熱があると発覚した途端、距離を作って気を付けてくれたのに、あっという間に感染して、発症してしまった弱さに、情けなく思う。


 次に浮かんだのは、ピクニックを中止すると連絡をくれた、友人達のこと。


 楽しみにしていたのに、自分一人参加できなくなったことで、みんなが気遣ってくれた優しさが、ありがたくもあり、心苦しくもある。


 もちろん、逆の立場なら賛成するし、相手にだって「気にしないで」と言える。


 それがわかっていても、風邪のせいなのか、ネガティブなことばかり考えてしまって、爽太は丸くうずくまる。


「……げんきないの?」

「えっ?」

 目を閉じて、真っ暗だったはずの世界が、いつの間にか知らない場所に代わっていた。


 そして、声のする方へ振り返ると、爽太は幼い姿になっていて、目の前には今の爽太と同じくらいか、ちょっと大きいくらいの、女の子が立っていた。


 誰かに似ているような気がするが、この時の爽太は、その女の子が誰に似ているのかわからない。


「ピアノ、ひいてあげよっか?」

「ピアノ……?」

 途端に景色が、昔利用した病院のプレイルームへと変わる。

 そうだ、この女の子はあの子だと、爽太は思い出し、あの日と同じように彼女のそばに立つ。


 何度も見る、忘れられない思い出の一部。

 忘れたくない音楽が、また夢の中で蘇る。


 軽やかで、愛らしい――でもちょっと切ない旋律が、今も爽太の心に響き渡って、癒してくれた。


 演奏が終わると、女の子は他の子供達に囲まれる。

 それをわかっていた爽太は、女の子が立ち上がると同時に、彼女の腕を掴もうとした。


「ずっと、言いたかったことがあるんだ!」

 素敵な音楽を聴かせてくれたお礼を――。

 知りたいんだ、君のことを――。


 しかし、手を伸ばして腕を掴むと、視界がぐらりと歪み、ぼやけていく。

 そして、完全に見えなくなる前に、女の子の顔が誰かと重なる――。


「あ……!」

 少し猫目の、大きな瞳。

 でもそれは、目が覚めると同時に曖昧になり、もう思い出せなかった。


「……はぁ」

 またダメだったかと、残念に思いながら息を吐く爽太。

 上体を起こすと、体は先程よりも楽になっており、熱もやや下がったようだ。


「ん?」

 机の上に、見慣れぬ箱が置いてある。

 ベッドから降り立ち、近寄ってみると、箱の上には小さな手紙も添えてあった。


 可愛らしいデザインの封筒を開けると、メッセージが書かれていた。


 ◇◇◇

 爽ちゃんへ。


 具合はどうですか?

 緑依風ちゃんに教わって、みんなでサンドウィッチを作りました。

 いろんな種類のたまごサンドを作ったけど、好きなのあるかな?


 爽ちゃんが早く良くなりますように!


 亜梨明より。

 ◇◇◇


「亜梨明……」

 爽太はクスッと笑って、箱を開けた。


「わっ……ホントだ!こんなたまごサンド初めて見た!」

 箱の中には色とりどりならぬ、たまごとりどりといった、様々なたまごサンドが綺麗に詰められている。


 先程まで全くお腹が空いていなかったのに、好物を目にした途端、爽太に食欲が湧き始める。


 厚焼きたまごのサンドウィッチを手に取り、一口食べると、自然と笑みがこぼれた。


 続いてスクランブルエッグ、スライスされたゆで卵、そして最後に、馴染み深いたまごサラダのサンドウィッチを手に取り、あっという間に完食した。


「ごちそうさま」と、両手を合わせて、空箱になった蓋を閉じると、グッと背伸びをして、爽太は時計を見た。


「三時半か……もう少し寝よっかな」

 満腹になって、心地よい眠気が訪れた爽太は、もう一度ベッドに潜り込み、穏やかな寝息を立て始めた。


 *


 ――翌週の火曜日。

 爽太が久しぶりに登校して来た。


「おはよう!」

「あ、日下だ!おはよー!!風邪治った?」

 星華が駆け寄ると、爽太は「おかげさまで」と言った。


「爽ちゃん……!」

 後から教室に入って来た亜梨明は、爽太の名前を呼んだ。


「おはよう亜梨明」

「お、おはよう……あの、もう大丈夫なの?」

「うん、すっかり!」

 爽太がニコッと微笑みかけると、「よかった〜!」と、亜梨明もパアッと表情を輝かせた。


「そうだ、お見舞いありがとう。直接お礼を言いたかったから、すぐに連絡入れなくてごめんね」

「ううん。爽ちゃんが元気になってくれてよかった!――それで、そのぉ~……どれが一番美味しかったかな?」

 亜梨明がモジモジしながら上目遣いをすると、爽太は「う~ん……」と小首を傾げて、それぞれの味を思い出した。


「どれも美味しかったけど、一番好きなのは、やっぱりゆで卵を潰したやつかな?」

「ホントっ!?」

「う、うん……」

 亜梨明が前のめりになって迫るので、爽太はちょっと驚きながら、一歩後退る。


「……もしかして、たまごサンド持ってきてくれたのって、この間の話で?」

 爽太が尋ねると、「うん!」と亜梨明は首を縦に振った。


「元気が無くても、これなら食べられるかなって……――あ、そういえば私この間知っちゃったんだけど~、爽ちゃんお粥嫌いなんだね!」

「えっ⁉なんで知ってるの?」

 爽太は嫌いな食べ物を知られて、うろたえた様子で聞く。


「おばさんが言ってた」

「あの……好き嫌いするのは良くないってわかってるんだけど……――」

 爽太が、偏食があることを恥ずかしがりながら言い訳しようとすると、「私もっ!」と、亜梨明はにぱっと嬉し気に宣言した。


「爽ちゃんと一緒で、お粥だ~いっきらい!」

「……なぁんだ、亜梨明も嫌いだったんだ!」

「うん、お揃い!」

 亜梨明も同じくお粥嫌いだと知ると、爽太は「あはは」と口元を軽く手の甲で押さえながら声を出し、亜梨明も「えへへ」と笑った。


 少し離れた所で二人のやりとりを見ていた緑依風、星華、奏音達も、微笑ましい気持ちで、ふふっと笑いながら顔を見合わせた。


 外では真っ赤に染まったもみじの葉が、ゆっくり――ゆっくりと、地面に舞い降りていく。


 そのすぐそばにある、金色のイチョウの木の下では、ツンツンとした髪型の一人の少年が、とある少女の姿を横目で追いながら、物思いにふけっていた――。


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