第130話 元気の箱(前編)


 緑依風達がサンドウィッチを作り終える頃、日下家では家族内感染を防ぐためにマスクを着けた唯が、家中をせわしなく動き回っていた。


 前日の昼過ぎからは、爽太の父である晴太郎までもが発熱して、仕事を早退して寝込んでいる。


 四人家族中三人が風邪を引くという事態に、一人無事である唯は、「私まで倒れるわけには」と、普段晴太郎と二人で使用している寝室にひなたと夫を寝かせて、自分はひなたの部屋で寝るという生活になっていた。


「お昼ご飯よ~」と、夫婦の寝室のドアを開けると、一番最初に発症したひなたはもうほぼ治りかけており、父の隣で漫画を読みながら寝転がっている。


「げほっ、ごほっ……!う……節々が痛い。唯ちゃん、あーんして食べさせて……」

 指の関節すら痛い晴太郎は、この時ばかりにと妻に甘えてみるが、唯は「頑張って自力で食べて……」と、白いお粥の入った器に梅干しを乗せたものを、夫に渡した。


「私は鮭のやつ!」

「はいはい、ひなは鮭フレークたっぷり乗せたのが好きなんだもんね!」

 初日は食欲も半減していたひなただが、今は熱が下がって、咳もだいぶ治まっていることもあり、お腹がペコペコらしい。


 ひなたのお粥に、唯が鮭フレークを大きなスプーンで乗せてあげると、ひなたはそれを受け取り、パクっと頬張った。


「唯……爽太の具合は?」

 晴太郎は寝る時には外していた眼鏡を掛け直し、ゆっくりお粥をすすりながら聞く。


「解熱剤で一時的に下げてるけど、体も熱いし、咳も酷くて辛そうだった……。放っておくと眠ったままになっちゃって、定期的に起こして水分摂らせないと、自分でスポドリも飲んでくれないし、脱水なんてなったら救急外来に走らないと……――あっ!」

「…………」

 夫婦の間で、ベッドの端に座ってお粥を食べていたひなたは、しょんぼりとスプーンを咥えたまま、俯いてしまっている。


「おにいちゃん……」

 泣くのを堪えるように、ひなたはそう言った。


「お兄ちゃんに、伝染うつしちゃダメって、知ってたのに……。お母さん達、前からそう言って、気を付けてたのにっ……」

 兄に風邪を伝染うつしてしまったことに責任を感じるひなたは、ぐずっと鼻をすすりながら零れてきた涙を拭いた。


「ひな……ひなは悪くない、悪くないの!伝染うつしたくて伝染うつしたんじゃないもんね!ねっ?」

「う~~っ……!!」

 唯はベッドに座り、ひなたを膝の上に乗せて、頭を撫でながら慰める。


「大丈夫だよ、ひな!お兄ちゃんひなのこと悪く言ってなかったし、気を付けていてもかかっちゃうときはかかっちゃうの!」

「そうそう!それにほら、お兄ちゃんは今までもっと大変なこと、た~っくさんあったけど、でも全部乗り越えてきただろ?」

 晴太郎もひなたに声を掛け、今度は自分に抱きよせた。


「……お兄ちゃんは、強いから大丈夫!」

「…………」

 晴太郎がひなたの目を見つめながら微笑むと、ひなたは父の言葉を信じるように「……うん!」と頷いた。


「――さて、私はもう一回爽太の様子見てくるわね」

「お願いするよ……ひなは父さんとご飯の続きしようか?」

「うん!」

 唯はひなたを夫に任せて部屋を出ると、一番奥にある爽太の部屋へと向かった。


 *


 コンコンコンと軽くノックして、「入るわよ~」と、唯がドアを開けると、爽太はちょうど病院から処方された風邪薬を飲んでいる所だった。


「――あ、やっぱりね……」

 唯は、トレーの上に置かれたお粥を入れた器を見て、困ったように笑った。


 爽太に用意したのは、白粥に塩で味を付けただけのものだった。

 日下家のお粥の好みはバラバラなので、晴太郎は梅干し、ひなたは鮭を好むのだが――。


「お粥、半分も食べれてないじゃない。やっぱりアレ、買ってこようか?」

「あ、えっと……食欲が出ないだけで……これが嫌ってわけじゃ――っ、げほっげほっ!」

 爽太が咳込むと、唯は背中をさすりながら、「あぁ~もう~」と、またしょうがないなぁ~といった様子で笑った。


「こんな時ぐらい、ワガママ言いなさい!」

「だって、僕一人だけ別の物だと、お母さん大変だし……」

「そんなこと考えなくていいの。爽太はまだ、甘えていい歳なんだから!」

 唯にギュッと抱き締められた爽太は、「恥ずかしいってば!」と、身をよじらせて離れようとする。


「えっと……でも、その……もし、いいなら……」

「うん、お父さんとひなに薬飲ませたら、買ってくるわね。ちょっと時間かかるかもだから、寝て待ってなさい」

「ありがとう……」

 唯は息子がベッドの中に潜ったのを見届けると、再び晴太郎とひなたの元へと戻って行った。


 *


 午後一時前――。

 亜梨明は奏音と共に、先程緑依風達と一緒に作ったサンドウィッチを持って、日下家を訪れた。


 緑依風の家から爽太の家までは少し距離もあるため、すっかり遅くなってしまったが、運良く彼がまだ昼食を食べていないことを祈りつつ、呼び出しのベルを押した。


 普段は大嫌いなマスクも、万が一風邪引きの家族が出てきた時の対策として、しっかり付けた。

 お見舞いに来て、自分も風邪を引いたなんてことになったら、日下家の人々にも申し訳なくなる。


「ちょっと、鼻息荒いってば~……」

 亜梨明同様、二次感染を防ぐためにマスクを着けた奏音が、隣で音を立てて呼吸をする姉を見て言った。


「だって、緊張と息苦しいので自然にそうなっちゃうんだもん……」

「おかしいからもう少し押さえて……」

 二人が会話していると「はぁい」と、マイクから唯の声が聞こえてきた。


 亜梨明が名乗ると、唯はすぐドアを開けて出てきてくれた。


「あら、二人ともこんにちは」

「こ、こんにちはっ!」

 亜梨明がペコっと、緊張した状態で勢いよく頭を下げる横で、奏音は静かに会釈をした。


「あの……これ、爽ちゃんにお見舞いで……っ!たまごのサンドウィッチなんですけど!た、食べられるでしょうか……?」

 緊張で震えた声を出しながら、亜梨明がサンドウィッチが入った紙袋を差し出すと、「サンドウィッチ!」と、唯はマスクから出ている目を大きく開き、高めの声を出した。


「わぁ~っ、助かるわぁ~!!ちょうど、後で買いに行こうと思っていたの!」

「よかったぁ~!お昼食べちゃってたらどうしようかと……!」

 唯がサンドウィッチを受け取ると、亜梨明は緊張が解けて、大きく息を吐いた。


「ううん、お昼は一応食べさせたの。今うちに風邪っ引き三人もいてね……おばさん一人で看病しなきゃだから、みんなに同じお粥作ってたんだけど、爽太はお粥が嫌いで、殆ど食べてくれなくて……本当に助かったわ、ありがとう!」

 唯が亜梨明と奏音にお礼を伝えると、奏音は小声で亜梨明に「よかったね」と言いながら、マスクの下でニヤリと笑った。


「うん……!」

 亜梨明もこくんと頷き、再び唯の方を向く。


「爽太今寝てるから、後で食べさすわね。……ごめんね、今おばさん以外みんな風邪引いてるし、家の中危なくて、おもてなしできないんだけど……。また今度、何かお礼させてね!」

「い、いえ!お礼なんてとんでもないです!……では、私達はこれで。爽ちゃんと、あとひなちゃん達にもお大事にとお伝えください!」

「うん、ありがとう」

 亜梨明と奏音がお辞儀をして帰ろうとすると、唯も二人に手を振り、家の中へと戻った。


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