第128話 不本意な提案
「ただいま」
亜梨明を家まで送り届け、帰宅した爽太の声が、玄関に静かに響いた。
「おかえりなさい」
爽太の母である唯は、右肩のコリを揉みほぐしながら、息子を出迎えた。
「はぁ、もうこんな時間なのね……」
「ただいまぁ~……」
爽太に続き、ガチャリとドアを開けて家の中に入ってきたのは、妹のひなただった。
「あら、ひな。お友達の家遊びに行ってたんじゃ……――」
「なんか、だるくて……すごく寒いの……。けほっ……」
「えっ?」
寒いと訴えながらも、ひなたの頬はそれに見合わず、真っ赤に染まっている。
「ひな、ちょっとおでこ貸して?」
爽太がひなたの目線に合わせて屈みこみ、彼女の額にそっと手を添えた。
「あ、熱いかも……」
爽太が呟いた途端、唯は「あら大変っ!」と体温計を探しに向かい、ひなたはサッと後ろに下がって、爽太から距離を置いた。
*
――金曜日。
爽太から、いつも一緒にいるメンバーで作ったグループメッセージ欄に、風邪を引いたと連絡が入った。
昨晩から高い熱と咳で今日は欠席。
明日のピクニックにも、行けなさそうだという内容だった。
「みんなは明日、楽しんでね」と爽太はメッセージを送ったが、五人は話し合った結果、今回はピクニックを中止にすることにした。
「残念だけど、爽太が参加できないのに行ったって、本気で楽しめねぇしな……」
「うん。行くなら六人揃ってがいいよ……」
風麻と緑依風が言った。
「日下も風邪引きやすいって言ってたもんね……」
「昨日、妹が風邪引いたとも言ってたし、家族内にいるなら、そりゃすぐに
奏音と星華も肩を落として、残念そうに顔を見合わせた。
「あわわ……」
「ん?どうしたの亜梨明ちゃん?」
緑依風の正面では、亜梨明が取り乱すように、口を半開きで震わせている。
「こ、こんな時は……」
「?」
何かを言いかける亜梨明を、一同は不思議そうに見た。
「――そうだ、お見舞いっ!!私、放課後お見舞いに行ってくる!!」
亜梨明が言うと、緑依風達は「え……」という顔をし、奏音は「バカっ!」と亜梨明の頭を軽く小突いた。
「いたっ……!もぉ~……なんでバカなの〜?」
亜梨明は口を尖らせて、不満げに奏音を見る。
「日下以上に抵抗力の弱いあんたが見舞いに行ったら、絶対風邪もらって来るでしょ!」
「あ……」
今気付いたと言わんばかりの表情で、亜梨明は固まった。
「それに、日下だって亜梨明ちゃんに風邪
緑依風がやんわりと諭すと、亜梨明は力なく「そうだよね……」と言った。
「でも……。私は何度もお見舞いに来てもらって……その度に元気とかお菓子とかもらってたのに……」
爽太は亜梨明が体調不良で学校を欠席すると、可能な限り見舞いにきてくれた。
春には入院中、面会時間ギリギリになっても病室に訪れ、僅かな時間しかいられないにも関わらず、亜梨明の話し相手をしてくれた。
亜梨明が嬉しさに顔を綻ばせると、爽太も陽だまりのような微笑みを向け、亜梨明の気持ちを温かくしてくれた。
それなのに、いざ彼が弱っていても、元気付けに行くことができない。
確かに、これまで彼が来訪してくれた時は、風邪などの感染症ではなく、亜梨明自身の持病から来るもので、爽太に伝染す心配のないものだ。
しかし風邪は違う。
伝染すれば、自分も苦しみ、周りにも迷惑をかけてしまう。
緑依風の言う通り、爽太も責任を感じてしまうだろう……。
そんな彼を想像し、亜梨明はしゅんと小さくなり、項垂れてしまう……。
「……行けばいいんじゃね?」
「えっ?」
亜梨明が顔を上げると、提案した風麻は少しぶっきらぼうな表情をしながら、ワックスで軽く跳ねさせた髪の毛をいじっている。
「ちょっと、何言って……――」
緑依風が怪訝そうな顔で言いかけると、風麻は「伝染らないように、すればいいんだろ?」と、緑依風や彼女と同じような顔の奏音に言った。
「爽太に会わずとも、お見舞いに行ける方法はあるだろ?……アイスとか、ゼリーとか持ってさ。そんで、おばさんに渡してもらったら、あいつも喜ぶんじゃねーの?」
「…………!!」
風麻の提案に、亜梨明はパアッと目を輝かせる。
「それだよ〜っ!ナイスアイディア!!」
亜梨明は指先で、小刻みにパチパチと拍手をすると、「ねっ、奏音!これなら行ってもいいよね!?」と、妹の肩をがっちり掴み、安全を確認する。
「ん〜……まぁ、それなら大丈夫かな?」
奏音の許可も出ると、亜梨明は「やったぁ~!」と、ガッツポーズした。
「ありがとう、坂下くんっ!!私、爽ちゃんのお見舞いに行ってくるね!!」
「……おう!どういたしましてだ!」
*
朝のショートホームルームが終わり、トイレに向かった風麻は、用を足しながら「バカだなぁ、俺……」と、口先だけで呟いた。
「(なんで、あえて不利になることなんてしたんだ……)」
何故、亜梨明と爽太が余計に仲良くなるようなことをと、後悔する風麻。
しかし、しょんぼりしてしまった亜梨明を見ていたら、なんだか可哀相になってしまって、つい助言をしてしまった。
亜梨明は元気を取り戻したが、お礼を言われてもなんだか複雑な気持ちで、心から喜べない。
「(爽太も心配だけど、俺の恋路もどうなるやら――……)」
「坂下くん!」
「ん?」
トイレから出てくると、亜梨明が正面から声を掛けてきた。
「どうした?」
「あのねっ、もう一回お礼が言いたくて!坂下くんがああ言ってくれて助かったよ!ありがとう!」
風麻の胸がズキリと痛む。
――だが、そんなことなど知らない亜梨明は、ニコニコと笑みを湛えており、すっかり上機嫌なようだ。
「……嬉しそうだなぁ~相楽姉。爽太の見舞いに行けるからか?」
「えっ?」
さっきとは打って変わり、風麻が少し意地悪な気持ちで指摘すると、亜梨明の顔がボッと一気に赤くなり、しどろもどろした動作になる。
「あ……これは、いつもお世話になっている爽ちゃんに、お返しができるというのが嬉しくてってことで……!!」
「ふ~ん?」
からかうように腕を組み、ニヤニヤした表情を作る風麻に、亜梨明は気まずそうに口を横に結び、風麻から目を逸らした。
「――あ、それでね!明日緑依風ちゃんちで、奏音と星華ちゃんも一緒に、お見舞いのたまごサンド作ることになったの!」
「たまご……あ、爽太の好物か!」
「うん、それでね!坂下くんにも明日あげるから、楽しみにしてて!」
「えっ⁉」
風麻が思わず聞き返すと、「……と、思ったんだけどぉ~」と、今度は亜梨明がツンとした表情になり、風麻と同じように腕組みした。
「――坂下くん意地悪言うから、やっぱやめちゃおっかなぁ~?」
「えっ、嘘っ!?そりゃないだろぉ~……?」
風麻が肩を落とし、焦りを見せると、亜梨明は「どーしよっかなぁ~?」と考える仕草をしながら、風麻の反応を楽しんでいる。
「……ふふっ、冗談だよ!ちゃんと坂下くんの分も作るね!」
亜梨明はそう言うと、パッと明るい笑顔を向けた。
「……あっ、もちろん私作り方わからないから、多分殆ど緑依風ちゃんに頼っちゃうかもだけど!」
「おう、あいつ料理大得意だから、しっかり教えてもらえばいいよ」
「うん!頑張っても美味しくなかったら嫌だもんね!――じゃ、先に教室帰るね~!!」
亜梨明は跳ねるような足取りで、教室に入っていった。
風麻は、窓辺の壁にくたっと横向きでもたれると、両手で顔を覆いながら「くぅ~~っ!!」と、喉元で音を鳴らした。
「(ご褒美かっ、これ……!?ありがとう、神様!ありがとうさっきの俺っ!!)」
喜びのあまり熱くなる顔を押さえ続け、風麻は神と、数十分前の自分に感謝するのだった。
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