第125話 もしかしたら


 佐野に呼ばれ、教室の入り口までやってきた緑依風。

 佐野は短く「おはよ」と挨拶をし、緑依風も「うん、おはよう」と、挨拶を返した。


「私に何か用?」

 緑依風が聞くと、「この間、ありがとな」と、佐野は緑依風に絆創膏を三枚差し出した。


「えっ、別にいいのに!」

「いや、ちゃんと返さなきゃって思ってたからさ。メーカーは違うけど、同じくらいの大きさのやつ……」

 佐野がもう少し前に絆創膏を差し出すと、緑依風はそれを素直に受け取ることにした。


「ありがとう。なんか、かえって気を遣わせちゃったな……」

「そんなことないっ、俺はすごく助かったから……!」

 佐野が言うと、緑依風は「傷はどう?」と、彼の怪我の具合を聞いた。


「もうカンペキ!血も出てないし、ささくれも無理矢理かないようにするよ」

「うん、よかった。じゃあ、私戻るね!」

「うん、俺も教室戻る……」

 佐野は頬を指で軽く掻くと、自分の教室へと帰っていった。


 *


「ただいま~。って、三人とも何してんの?」

 緑依風が亜梨明達の元に戻ると、何故だが三人はコソコソと内緒話のようなことをしている。


「あ、緑依風ちゃん緑依風ちゃん!」

 亜梨明が嬉しそうにニコニコしながら、緑依風を輪の中に入れる。


「あのね、坂下くんの様子が変なんだよ!」

「変?」

 緑依風は亜梨明同様、声のボリュームを下げて聞いた。


「さっき星華がね、坂下が緑依風の手を掴んだ理由を聞こうとしたら、変な言い訳して、怒って席に座っちゃってさ~!」

「ちょっとぉ~……また変なこと言ったんじゃないでしょうね~?」

 緑依風がいぶかしげな目つきになると、「してないしてない!」と、星華は慌てて否定した。


「緑依風の手を掴んじゃって、どうしたの~?ってだけ!そしたら、用があったけどド忘れ!だって!でもなんかおかしくない?」

 佐野に呼ばれて気にする暇も無かった緑依風だが、いま改めて思い出すと、彼は何やら切羽詰まったような顔をしていた。


「……ねぇ、緑依風。これはやっぱり、『もしかしたら』があるかもよ?」

 奏音の言葉に、「もしかしたらって?」と、緑依風が頭の上に疑問符を浮かべるように首を傾けた。


「この間も言ったじゃん、坂下は緑依風が好きなんだと思う!」

「えぇ~っ?」

 自信たっぷりに言う奏音だが、緑依風は信じられず、疑いの目を向けた。


「私もそう思うな!だって坂下くんの一番仲の良い女の子って、誰から見ても緑依風ちゃんだし、私なんかたまーに、話してる途中で目を逸らされちゃう時あるけど、緑依風ちゃんにはしないでしょ?」

「そ、そうかなぁ?」

 風麻が自分の顔を見れない本当の理由を知らない亜梨明も、奏音同様の意見を述べる。


「もう、ウダウダしたとこ見てるのも飽きたし、この際思い切って告白しなよ!」

「無理無理無理〜っ‼︎」

「なんでー?意外といけちゃうかもしれないよ?」

 星華はそう言うが、風麻には好きな人がいるかもしれない。

 こんな危険な状態での告白は、玉砕しか考えられないし、気まずくなって会話すらできなくなる予感しかしない。


「……わたし、は……」

 緑依風が不安に思っている横で、亜梨明が何かを決意したように、胸の前で両手をぎゅっと握りしめる。


「私……バレンタインに、告白する!」

「えっ⁉」

 亜梨明の宣言に、緑依風だけでなく、奏音や星華も目を見開いて彼女に注目した。


「最近、爽ちゃんいろんな人に告白されてるし、小泉さんも本気を出してきたし、このままじゃ、何もしないうちに爽ちゃんを取られちゃうかもって思って……!!」

「おぉ~っ!いいぞ亜梨明ちゃん!」

 星華が亜梨明の手を取り、ぴょこぴょこ跳ねる。


「でも、バレンタインって、まだまだ先じゃん……。今すぐじゃダメなの?」

 奏音がフッと吹き出しながら言うと、亜梨明は「あー……」と、今気付いたような顔で、口を開けたまま固まった。


「い、今すぐは心の準備が……。それに、まだなんて言うかも考えてないし……」

 断言したものの、無計画だったことを恥じるように、亜梨明はチョンチョンと、指と指を合わせて小さくなった。


「まぁ、焦らない焦らない!ばっちり準備して、バレンタイン成功させよ!」

 奏音はそう言って、亜梨明の肩を優しく叩いた。


「うん、それまでになんて言うか考える!」

 亜梨明が意気込みを見せるところで、予鈴のチャイムが鳴った。


 星華は「頑張れ~!」と亜梨明を応援して、自分の座席に座った。


 緑依風は、応援する言葉を発するよりも、自分の奥手な性格と亜梨明の前向きさを比較してしまい、何も言えないまま席に戻った。


 *


 本日の授業が全て終わり、掃除の時間になった。


 緑依風は箒で床を掃きながら、爽太と一緒に、仲良く黒板を綺麗にしている亜梨明を見て、羨ましい気持ちになった。


「(亜梨明ちゃんは、すごいなぁ~……)」

 初めて会った時、亜梨明はもっと、大人しくて控えめな性格なのかと思った緑依風だったが、仲良くなればなるほど、明るく賑やか、そしてチャレンジ精神も豊富だと知った。


 風麻に対して天邪鬼な態度をとる自分に反し、好きな人の前でもありのままの姿を見せ、まだ出会って七か月足らずで、告白すると決めた。


 もちろん、亜梨明の言う通り、人気者の爽太を狙うライバルは多いので、早くしないと想いを告げる前に失恋という可能性もある。


 それでも、緑依風は風麻が爽太並にモテたとしても、自分から告白する勇気なんて出ない。


「(失敗するかもって、思わないのかな……)」

 失恋すると思っていても、先日自分に想いを伝えてくれた大谷。

 そして、その可能性もゼロではないはずなのに、強気な姿勢を見せた亜梨明。


 緑依風は、そんな二人を大いに尊敬した。


「……ゴミ捨て行ってくるね」

 ゴミ袋を手に、緑依風は他の掃除メンバーに一声掛けて、階段をゆっくり降りていく――。


「あっ、松山!」

 一階まで降りたところで、渡り廊下の掃除担当だった佐野が、緑依風に声を掛けた。


「佐野くん……」

「ゴミ捨てか?俺も行っていい?」

 緑依風が返事をする前に、佐野は自分のクラスの友人に「今日は俺が行く!」と言って、緑依風のそばへやって来た。


 中庭の周りを通りながら、ゴミ捨て場まで歩く緑依風と佐野。


 もみじの葉は、先週より更に赤く色付いており、より一層秋らしくなった。


「紅葉、綺麗だね」

 普段あまり会話をしたことが無い佐野と、無言のまま歩くのは緊張してしまうので、緑依風はもみじの木に目を移し、そう話しかけた。


「あぁ、そうだな……。きれい……だ」

 佐野はチラっと緑依風を見たが、すぐに前を向き、俯いてしまった。


 ゴミ袋を指定の場所に置いた二人は、そのまますぐ元来た道を並んで歩く。


「……なぁ、松山?」

「何?」

 佐野は緑依風に視線を合わせぬまま、話を始めた。


「彼氏が欲しいって、思ったことある?」

「えっ?」

 唐突な質問に、緑依風は歩みを止め、佐野の横顔を見た。


「俺はさ、欲しいんだ……彼女」

「…………」

「誰でもいいって訳じゃなくて、松山を……彼女にしたい」

 緑依風は目を丸くして、どんどん顔を赤くしていく佐野を見つめる。


「あ、あのっ……!!」

「わかってる!いきなり過ぎって!!でもさっ、すぐ彼女になってとか、すぐ好きになってとか言わねぇ!ちょっとずつでいい……だから、さ――」

 佐野はゆっくりと緑依風の方へ顔を向けると、ギュッと口を真横に結んだまま、息を呑んでいる。


「こっ……答えもっ、すぐじゃなくていい……!」

 上ずった声で、不安げな顔をする佐野。


 緑依風は、彼がじっくり考えて欲しいのだとわかっていても、答えがもう決まってしまってる以上、先延ばしにする方が辛いと思った。


「――ごめん、今すぐに言うよ。それは、できない……。佐野くんの彼女にはなれない……」

 緑依風が静かに言うと、佐野はグッと目を食いしばり、震える手を握り、拳を作った。


「それは、どうして……?」

「もう、好きな人がいるから……。だから、できない……」

「その好きな人ってのは、坂下のことか?」

 一瞬、否定しようとした――だが、断ってしまった分の償いのような気持ちで、緑依風はこくんと頷いた。


「…………」

「あのっ、でも風麻には――!」

「なんだよ、両想いじゃん……」

「えっ?」

 緑依風が声を上げると、佐野はグシャグシャと髪を乱すように掻きむしり、投げやりなため息を吐いた。


「あの、佐野くん……それ、どういう??」

 “両想い”と言ったように聞こえた。

 混乱する緑依風は、もう一度その意味を確かめたかった。


「だから、坂下と両想いじゃんかって言ってんの!」

「――――!?」

 緑依風が信じられないといった顔をすると、佐野は不貞腐れるように、その理由を語り始めた。


「昨日、坂下に言ったんだよ。俺、松山が好きだって……。そしたらあいつ「やめとけ」って、すごく必死なツラして止めたんだ。なんでって聞いても、俺が松山を嫌いになるような言い方ばかりしてさ……。そんなの見たら、言わなくったってわかるよ……」

「…………」

 ポカンとした思考のまま、口を半開きにする緑依風を見て、佐野は「よかったな」と自虐気味に笑い、また深い息を吐いた。


「いいよ、もう……。相思相愛のやつを引き裂こうなんて思わねぇし、好きになってすぐフラれた分、すぐ忘れられるよ……」

「ごめっ――!」

「謝んなよ。好きになるのも、好きじゃないのも人の勝手だろ!」

 佐野は強い口調で言うと、ニッと歯を見せ、無理矢理な笑顔を作る。


「……でもっ!好き同士なら、早くどっちか告って付き合わねぇと、俺みたいなのが増えるだけだぞ!」

「う、うん……」

 緑依風が頷くと、佐野は乱れた髪を軽く整え、「じゃ、先に戻るわ」と言って、一足先に自分の教室へと戻って行った。


「ふうまが?わたし、を……?」

 トクントクンと脈打つ胸を押さえながら、緑依風はまだ佐野の言葉を信じ難く思っていた。


 *


 そこからどうやって教室に戻り、下校時に、亜梨明と何を話したのかも、緑依風は思い出せない――。


 気が付けば自分の部屋に辿り着いており、ベッドの前に立つと、ストンとその上に腰を落とした。


「まさか、ね。でも……」

 緑依風は、両頬を手で包み込むようにしながら、様々なことを考えていた。


「坂下って、実は緑依風のこと好きなんじゃないの?」

「緑依風は、意識されてないからやたら距離が近いんだって言うけど、本当は好きだからスキンシップ取りたいんじゃないのかなぁ?」

「坂下くんの一番仲の良い女の子って、誰から見ても緑依風ちゃんだし」

「あいつ「やめとけ」って、すごく必死なツラして止めたんだ。そんなの見たら、言わなくったってわかるよ……」

 いろんな人の言葉が、部分部分で蘇ってくる――。


「……いねぇよ、好きなやつなんて……。いつかできたらって、ことだ……」

 ――最後に辿り着いた、緑依風の質問に気まずそうに答える、風麻の顔。


 もしそれが、その場にいた自分に知られたくないからだったとしたら――?

 風麻も自分と同じく、この心地よい幼馴染の関係から抜け出せないことに、悩んでいるとしたら――?


 だとすれば全て辻褄が合うと、緑依風は思い始める……。


「…………」

 違うかもしれない――でも、違わないかもしれない。

 本当のことなんて、神様にしかきっとわからない。


「それでも――!」

 緑依風は顔から手を離すと、勢いよく立ち上がり、机から赤い太字のマジックを取り出した。


「(変わらなきゃ!臆病な自分からも、このもどかしい関係からも!大谷くんや亜梨明ちゃんを尊敬するだけじゃなく、私も自分から勇気を出さなきゃ……!)」

 ぬるま湯のような居心地の良さに甘える自分と、さよならがしたい。


 それには、変わりたいと願うだけではダメなのだと、緑依風は決心したように、来年のカレンダーを取り出し、パラパラと捲る。


「決めたっ!私も……バレンタインに告白する!」

 キュッと、緑依風は二月十四日の日付に赤い印を付けた。


「伝えるんだ……!怖くても、絶対に……!!」

 そう誓う緑依風の顔は、今までにないくらい強く――そして、とても美しかった。


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