第124話 二つを求める
夜七時――。
坂下家の小さく開け放たれた窓からは、ジュージューとたこ焼きが焼ける音と、香ばしい匂い――そして、子供達の楽しそうな笑い声が響き渡っている。
子供六人と大人が二人。
テーブルとたこ焼きプレートは二つずつ用意されており、坂下夫妻と末っ子達でダイニングテーブルを利用し、長男と長女の風麻と緑依風、次男と次女の秋麻と千草で、リビング側のテーブルに準備された物を使っていた。
坂下家のたこ焼きパーティーは、いつもいろんな具材が用意されている。
たこ焼きに欠かせないタコ、小さな子供でも食べやすいウィンナーやちくわ、エビ、角切りチーズ。
味付けもたこ焼きソースとマヨネーズだけでなく、ピザソース、明石焼き風のだし汁もあったりと、とにかく味のレパートリーが多いため、飽きが来ない。
伊織が焼き係となっているテーブルでは、冬麻がちくわ入りのたこ焼きを食べようとして、「あちっ!」とお皿の上にたこ焼きを落とし、それを「ガッハッハ!」と笑いながら、和麻がビールを飲んでいる。
優菜はエビ入りのたこ焼きを、何度もふーふーと息を吹きかけ、程よく冷めたものを頬張り、「おいし~!」と喜んでいる。
その一方で、兄と姉達のゾーンでは、秋麻と千草が揉め始めていた。
「あっ、それ私のなのに!何で取るの!?」
「お前のって決まってないだろ~!」
緑依風が次のたこ焼きを焼こうと、中皿に焼き上がったウィンナー入りのたこ焼きを避けた途端、秋麻がそれを取り、千草が文句を言っているのだった。
「ウィンナー大きいから狙ってたのに~!!」
「あ~もうっ、まだあるんだからケンカしない!ほら、私の分もあげるから……」
緑依風はため息をつきながら、自分の分のウィンナー入りたこ焼きを千草の小皿に移した。
「緑依風ちゃん、俺も欲しい!」
「ウィンナーは無くなっちゃったから、エビでもいい?二個あげる」
「うん!」
緑依風がそう言って、秋麻の小皿に焼き立てのエビ入りを二つ入れているのを、風麻は斜め向かい側から、ぼーっとした表情で眺めていた。
「風麻、小皿取って!」
「んぁ?」
風麻が、間抜けな返事をしながら小皿を渡すと、緑依風が四つ程たこ焼きを入れて、「熱いから気を付けて」と言って、小皿を返した。
「…………」
今朝登校する時には、「タコパ、タコパ!」と喜んでいた風麻だったが、今はとある理由により、食欲が出なかった。
「どうしたの~?」
大食いの風麻の箸が一向に進まないことを心配した緑依風が、彼の隣に座った。
「別にどうも~?」
「その割には、あんまり食べてないじゃない。……あ、買い食いしたな?」
「してねぇよ!」
風麻は否定すると、ちょっと荒っぽく箸を取り、たこ焼きを口の中に丸ごと入れた。
「――っ!?あっっつ!!」
「ちょっ、バカ!」
緑依風は慌てて風麻のコップにお茶を入れ、彼に手渡した。
「……ふぃ~っ、口の中死ぬかと思った……」
「熱いって言ったのに……大丈夫?」
「あぁ……」
風麻の無事を確認した緑依風は、再びたこ焼きプレートの前に座り、焼けてきたたこ焼きをひっくり返し始めた。
風麻は、せっせとたこ焼きを焼く緑依風の姿から目を逸らし、部活終了後のことを思い出していた。
*
「坂下って、本当に松山に何とも思ってないわけ?」
モップ掛けをしている最中、佐野が風麻に聞いた。
「だから思ってないって……」
今日だけでなく、小学生時代から同じような質問ばかりされ続けた風麻は、もうこの問いにはうんざりしていた。
「……幼馴染で、家族ぐるみで仲良いだけだよな?」
「そうだけど、それが……?」
風麻が苛立つような顔で言うと、佐野は「信じていいんだな……」と、固い表情をした。
「ん?……どういうことだよ」
「…………」
佐野はすぐに返事をしなかった――だが、風麻の目を見据えると、「俺っ、松山のこと、好きかも……」と、消え入りそうな声で言った。
「は?」
思わぬカミングアウトに、風麻はポカンと口を開けた。
「……かも、じゃねぇな。“好き”だな……うん!」
「ちょっ……ちょちょ待って!なんで?なんでだよ??」
風麻は、自分の気持ちを確認するように頷く佐野の腕を掴み、慌てて問いただす。
「まさか、さっきの指の怪我のやつで……?」
風麻が聞くと、佐野は無言で首を縦に振った。
「真岡達には言うなよ……。あいつら、面白がりそうだから」
「いやっ、それよりさ!そのっ……あいつはやめとけよ!」
「なんでだよ?」
「それは――……」
『俺の日常が壊れる』なんて理由では、佐野も納得しないだろうし、風麻自身も勝手な理由だという自覚はある。
「あ~……あいつさ、すげー口うるさいんだ。おせっかいだし、いつも偉そうだし、あ、あんなの彼女なんかにしたら、佐野がすげ~苦労する……」
「口うるさいってのは、真面目ってことだろ。確かにおせっかいかもしれないけど、そういうのってさ、すごく相手を思いやれるからできるんじゃねぇの?」
「そっ、それだけじゃないんだ!あいつってば、昔こんなっ――!!」
「坂下……俺、松山の悪口聞きたくない」
「あ……」
佐野が声を低くして言うと、風麻は気まずそうに口を押えた。
「何とも思ってねぇならさ、俺……お前に遠慮しなくていいよな」
「えっ……」
「松山と、そういう関係になっても、問題ねぇよな?」
佐野はモップを片付けると、風麻を置いて、先に更衣室へと入っていった。
「…………」
嫌だ、嫌だ嫌だ――!と、風麻の心の奥底から湧き出る感情。
「(大丈夫だ、緑依風には好きなやつがいる。佐野がアピっても、ダメな可能性の方が高い……!でも、もし――!!)」
もし、その緑依風の想い人が佐野だったら?
ただの顔見知りに、たかが絆創膏を付け替えるためだけに、体育館まで来るだろうか?
佐野のことが好きで、仲を深めるためにわざわざ訪れたとしたら?
風麻の中に、大きな不安が渦を巻き始める――。
「…………」
部活後の回想を終えた風麻は、母と並んでソファーに座る、緑依風の後ろ姿を見ている。
二人揃って、バラエティー番組を見ながら仲良くデザートのケーキを食べ、司会の人気アナウンサーがゲストに翻弄される場面に、笑い声を上げていた。
この、近すぎて安心しきった関係を、『家族』以外に思えない。
しかし、彼女を手放したくないという独占欲は、本当にそれだけなのだろうか?
亜梨明を爽太に渡したくないのと同じくらい、今の風麻は、佐野やまだ見ぬ緑依風の好きな人に、彼女を譲りたくないと思った。
*
翌週の朝。
緑依風が風麻と登校して、教室で亜梨明達と雑談していると、「く~さかっ!」と、同じクラスの女子生徒、小泉久美が、爽太の肩を叩きながら声を掛けた。
小泉は、夏に爽太の傷跡に触れ、はしゃいでいた女子生徒の一人だ。
どうやら、爽太に何かを作ってきたようで、彼の手にはラッピングされたお菓子が握られている。
「そ、爽ちゃん!それは何?」
爽太が仲良さげに小泉と話していたことが気になった亜梨明は、彼に近寄り、中身を聞いた。
「マシュマロクッキーだって。小泉さんが自分で作ったらしいよ」
「なんで受け取っちゃうかなぁ~……」
彼女が爽太に好意があって、素肌に触れたと知っている星華は、斜め後ろの方で盛り上がっている小泉とその友達の声を聞きながら、目の前の爽太に言った。
「この間、小泉さんがお菓子作り好きなんだって話してくれて、食べてみる?って聞かれたから、じゃあ食べるって言ったら、作って来てくれて……」
「む……緑依風ちゃんの作ったお菓子の方が、絶対美味しいのに……」
こっそりとヤキモチを妬く亜梨明を、緑依風は「まぁまぁ」と宥める。
「松山!」
「ん?」
緑依風が名前を呼ばれて、声が聞こえる入り口に振り向くと、佐野が手招きをしている。
「おい――!」
緑依風が佐野の元へ行こうとすると、風麻がグッと緑依風の手首を掴んだ。
「何?」
緑依風は、少しびっくりして風麻に聞くが、風麻はパッと手を離すと、「いや……」と斜め下を向いた。
「なぁに、坂下~!緑依風の手を掴んじゃって、どうしたの~?」
星華がニヤニヤと笑いながら、風麻に迫る。
「ど、どうもしねぇよ!何か用があった気がしたけど、ド忘れした!」
「ふぅん~?」
星華の態度にイラッとした風麻は、黙ったまま自分の席に戻り、座って腕を組んだ。
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