第123話 指先からの恋


 十一月になった。

 今日は伊織の提案で、坂下家でたこ焼きパーティーをする予定だ。


 伊織は時折、パーティーという名目で、葉子の帰りが遅い日に、学校から帰ってきて家事をする緑依風を気遣い、彼女と妹達を夕食へ招待してくれる。


 そのお礼に、両親は緑依風に木の葉のスイーツをおみやげに持たせ、それを手に松山姉妹が訪れると、風麻や坂下家の人々は大喜びしてくれた。


 今日の緑依風は、朝からそれを楽しみにしていたのだが、ふとトイレの後に鏡で自分の顔を見た途端、前日の星華達の話を思い出し、そっと自分の頬に触れた。


「……自分の顔なんて、良いか悪いかよくわかんないなぁ……」

 特別好きでもなく、かといって大嫌いなわけでもない自分の顔。

 美少女と呼ばれる従姉の海生と似ている部分も、確かにある。


 緑依風の母は、祖父の良治寄りの顔つきだし、良治も立派な眉毛は曾祖父譲りだったが、高い鼻筋や口元は曾祖母に似ていた。


 緑依風の顔の自己評価は、普通かそのちょっと下。

 臆病な性格、すぐ人の言葉を気にして悩んでしまう性格は、直そうとしてもなかなかできない、大嫌いな部分だ。


 身長に関しては小学校時代、からかいに来る男子に『大木』『電柱』『巨人』と、やたらと大きなものに例えられた悪口を言われまくり、風麻と並んだ姿が鏡やガラスに映る度に、不釣り合いだと感じて、ずっとコンプレックスだった。


 星華や相楽姉妹は、「かっこいい」「自信を持って」と言ってくれたものの、緑依風は友の称賛の声を、まだ半信半疑に思っている。


「……ま、嘘かホントかは別として、そう言ってくれたのは嬉しいけど……ん?」

 緑依風がトイレから出ると、「いってぇ……」と言う男子生徒の声が聞こえた。


 前方には、四組の男子生徒――佐野雄大さのゆうだいが、指先を見つめながら、顔をしかめている。


「佐野くん、どうしたの?」

「あ、松山……」

 佐野は、大谷や海斗と同じ春ヶ崎小出身だが、風麻や爽太と共にバレーボール部に所属しているため、何度か話をしたこともある少年だ。


「いやさ、指の皮が捲れて邪魔だったから、ビッって思い切り引っ張って取ったんだよ。……したら、めちゃくちゃ痛くて血まで出てきた……」

「うわ……」

 佐野が緑依風に左の人差し指を見せると、赤い血がジワジワと滲み始めて、見るからに痛そうだった。


「でも、保健室行くのめんどくせぇし、絆創膏も持ってなくてさ……」

「あ、私持ってるよ!これあげるね!」

 緑依風はそう言って、スカートのポケット部分から、絆創膏を一枚取り出した。


「ありがと……」

 緑依風が絆創膏を佐野に渡すと、佐野は早速指に巻き付けようとするが、とても付けにくそうだった。


「佐野くんって、もしかして左利き?」

「あぁ、利き手じゃない方だと付けづらいな……あ、ぐちゃってなった」

「もう一枚持ってる。私付けてあげるよ」

 緑依風はポケットにあったもう一枚の絆創膏を取り出すと、佐野の手を取り、丁寧に巻き付けた。


「私もね、よくささくれできやすくて……先の細いハサミとか爪切りが無い時は、絆創膏で痛くならないようにするの。ハンドクリームもこまめに塗るけど、寒い時期はなかなか追いつかなくて……はい、できたよ」

「お、おぅ……ありがとな」

 佐野がお礼を伝えると、「キツくない?大丈夫?」と、緑依風は聞いた。


「うん、ちょうどいい……」

「よかった!じゃ、お大事にね!」

 緑依風は佐野に軽く手を振って、教室へと戻った。


「…………」

 佐野は、まだ少し痛む指先をじっと見つめながら、仄かに頬を熱くしていた。


 *


 キーンコーンカーンコーン――。


「はぁ~、今週も終わったぁ~!!明日は土曜日~!ママとドライブ~!!」

 星華が背伸びをしながら晴れ晴れとした様子で言った。


「わ、いいな星華ちゃん!どこ行くの?」

「アウトレット!ママの服選び付き合う代わりに、美味しい物食べさせてもらうんだ!亜梨明ちゃん達は?」

「特に予定はないけど、フィーネと遊ぶかな?緑依風ちゃんは?」

「私は――……あ、風麻。もう部活行くの?」

 風麻が爽太と並んでそばにやって来たため、緑依風は声を掛けた。


「おう、じゃ……また後でな!」

「うん、行ってらっしゃい」

 緑依風が軽く手を振ると、亜梨明も「爽ちゃんも頑張ってね!」と、爽太に言った。


 風麻と爽太が教室を出ると、「……後でって?」と、奏音が緑依風に聞いた。


「今日、風麻んちでタコパするの。あ、明日もお父さんのお店でお手伝いだよ!」

「本当によく働くよねぇ~……」

 星華が理解できないような反応をすると、「お店の手伝いは、好きでやってるから苦じゃない」と緑依風は言った。


「今日も、風麻のお母さんと一緒に材料切ったり、おにぎり作るの楽しみで……――あ、そういえば!」

 緑依風は乾燥する手にハンドクリームを塗りながら、佐野のことを思い出した。


「ごめん、先に帰るね!用事思い出した!」

 緑依風は挨拶も早々に教室を出ると、体育館へと向かった。


 *


 その頃――。

 体育館の男子更衣室では、風麻が爽太や同じバレー部の一年生と雑談しながら、練習着に着替えていた。


「はぁ~。ついに十一月か。来月はもうクリスマスだぜ……」

 秋山小出身で、一年のウィングスパイカー、真岡樹もおかいつきは、黒いTシャツを被りながら、気怠そうに言った。


「クリスマスだな!樹!」

 一方で、ワクワクした表情で真岡に顔を向ける少年、小山拓海おやまたくみは、爽太と同じミドルブロッカーの選手だ。


「ちぇっ、幸せオーラ出しまくりやがって……」

「なんで小山は嬉しそうなの?」

 爽太が尋ねると、「こいつ、彼女出来たんだよ」と、真岡が悔しそうに言った。


「へぇ~、おめでとう!」

 爽太が祝福すると、風麻は「誰と付き合ってんだ?」と興味津々な顔で聞いた。


「同じクラスの伊藤まどか。ホラ、まどかと俺って幼馴染じゃん?全然気にしたこと無かったんだけど、文化祭の後夜祭でちょっといい雰囲気になって、そんでこの間日直の仕事一緒にしてた時に、向こうから「私は好きだけど、あんたはどう?」って言われて、オーケーしちゃったってわけ!!」

 デレデレと体をくねらせながら語る小山を、真岡は「爆発しろ」と嫉妬の念を込めて言った。


「くっそ……俺なんて、女子と甘い空気になったことすらねぇ……。彼女いいなぁ~……」

 小山と長い付き合いの真岡は、ギリギリと歯を食いしばりながら、バレーシューズを履いた。


「……彼女、ねぇ」

 ぽつりとこぼすように、佐野が声を出す。


「佐野も欲しいの?彼女?」

 爽太が聞くと、佐野は「へっ!?」と肩をビクつかせ、慌てふためく。


「ほ、欲しいっていうか……。気になるやつがいるような、いないような……」

「なんだよ、それ!気になるっ!!」

 真岡が佐野の首に腕を回し、詳しく語らせようとした。


「いやまだ、決まったわけじゃねぇんだけど……。そ、そういえば坂下!」

 佐野に話を振られ、風麻は「ん?」と振り返る。


「お前はどうなんだよっ!?ま、松山とかさ!仲良いじゃん?」

「はぁっ!?」

 風麻が驚くと、真岡も「そうだそうだ」と風麻を見る。


「実は付き合ってるって噂もあるぞ。本当か?」

「はあぁぁぁっ!?」

 初耳の情報に、風麻はますます間抜けな声を出した。


「んなわけねぇだろ!緑依風は幼馴染でただの隣人だ!仲は良いかもしれんが、付き合っても無いし、付き合いたいと思ったことすらねぇよ!」

「それにしちゃあ、仲良すぎだろ。仲が良いと言えば、日下も相楽双子の片割れと随分仲良いじゃん?どうなのさ?」

 小山が聞くと、爽太は「どうって……」と、ポカンとした表情で言った。


「う~ん……どうって?」

 質問を質問で返す爽太に、彼以外の一年男子部員も、そばで聞いていた先輩部員も、呆れるような表情になった。


「おい、お前もしかして女に興味が無い人?」

 真岡が聞くと、「女子というより……」と、爽太が首を傾けながら考える。


「僕、将来やりたい仕事があるんだ。だから、今はそれ以外のこと考えられないというか……みんなみたいに、好きな人ができてときめくとか、嬉しくなるって気持ち、すごく不思議だなって思う!」

 ニコニコした顔で話す爽太に、嘘ではなく、本当にわからないんだと悟った面々は、「そろそろ出るか……」と、準備を終えて更衣室を出た。


「――あ、佐野くん!」

 風麻や佐野達が更衣室を出ると、体育館の入口から緑依風の声が聞こえた。


「松山……」

 佐野が振り返ると、緑依風は靴を脱ぎ、靴下のまま体育館へと上がった。


「ど、どうした?坂下に用事か?」

「ううん、佐野くんに用事」

「えっ……!!」

 佐野が少しドキリとすると、緑依風は「指、もう一回見せて」と言った。


「あ……」

 佐野が自分の指を見ると、先程緑依風が付けた絆創膏は、赤く染まりきっている。


「さっき持ってたのはそれが最後だったんだけど、鞄の中にはまだたくさんあったから、部活が始まる前に、替えの絆創膏も渡しておこうと思って」

「そ、そうか……」

 佐野は緑依風から絆創膏を受け取ろうとした――が。


「……付けてもらっていい?」

 少し躊躇いがちに佐野が聞くと、緑依風は「もちろん」と快く返事をした。


「付けにくいって言ってたもんね。――これ剥がすね。痛かったらごめん……」

 緑依風が細い指でそっと佐野の絆創膏を取っていると、様子が気になった風麻や他の一年部員もわらわらと後ろからやって来た。


「――はい、できた。……って、何してんの?」

 穏やかな表情で手当てをしていた緑依風だったが、いつの間にか風麻やギャラリーができていることに気付き、ジトっとした目を佐野の背後に向けた。


「いや~、いい雰囲気だったもんで!」

 真岡がからかうように言うと、「どこが⁉」と、緑依風が不機嫌な顔をした。


「佐野くんが怪我してたから、絆創膏届けに来ただけ!……じゃ、私帰るから。……風麻っ、今日は寄り道しないで真っ直ぐ帰っておいでよ!じゃないとケーキ無しっ!!」

「わーってるよ!!」

 去り際に風麻に指を差して言う緑依風に、風麻は「とっとと帰れ!」と示すように、手をパッパと下から振った。


「…………」

 佐野は、自分の指、緑依風の背中――そして風麻を見ると、胸の奥にあるモヤモヤの正体に気付いて、顔を歪ませた。


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