第122話 変え難き日常
「ふぃ~っ、セーフセーフ!」
独り言を呟きながら、風麻はホッとした気持ちで体育館へと走って向かう。
「マジ焦った……でも、よかった!」
*
――それは十数分前の出来事だった。
「緑依風、これから告られるんだよ!」
緑依風が出て行ったあと、星華が上機嫌な声で言った。
「はぁっ!?」
風麻が大声を上げると、星華の表情はますます愉快な顔になった。
「三組の大谷くんに!背の高い、バスケ部の期待のルーキー!緑依風、昨日タッキーから大谷くんのラブレターもらっちゃったんだよ~!」
星華が説明すると、「ラブレターってことは、好きって書いてあったの?」と、爽太が聞いた。
「ううん、今日の放課後に中庭に来てくださいってだけ。――でも、あの古典的な手紙は、ほぼ100パーセント「付き合ってください」の呼び出しだよ!」
「なっ……!なんで爽太の時みたいに止めなかったんだよっ!」
風麻が焦る様子で言うと、「だって止める理由ないもーん!」と、星華はふざけた口調で言った。
「どうする坂下?緑依風、ついに彼氏できちゃうかもよ?」
「…………」
ニタニタ笑う星華、キョトンとした顔の爽太に見つめられた風麻は、スポーツバッグの持ち手をグッと握り締める。
「……関係ねぇよ」
風麻は苛立つように言うと、「部活行こうぜ……」と、爽太に言いながら、教室を出て行った。
「…………」
グツグツと、煮えたぎるような腹立たしい気持ちのすぐそばに、冬のすきま風のような寒々しさも混ざった感情が、風麻の胸の奥を支配する。
星華の、「緑依風、ついに彼氏できちゃうかもよ?」という声が、耳の奥で何度も繰り返す。
「(なんだよ、この気持ち……)」
緑依風に彼氏ができても、自分には関係ない……はずだった。
しかし、その日を想像すると、風麻は自分の中の大切な何かが、一つ消えてしまうような不安感に襲われた。
そこに
「(あ、そっか……俺にとって、緑依風って“日常”なんだな……)」
いなくなる日なんて想像できない程、近くにいて欲しい存在。
毎朝共に学校に通い、共に遊び――時にはケンカもしながら、家族同然の間柄で長年ずっと仲良く過ごしてきた緑依風は、何物にも変え難い、風麻の“日常”なのだ。
そのことに気付いた途端、今を変えたくないと強く感じ、腹痛と嘘を付いて中庭に急いだ。
緑依風が断ったと聞くと、一気に不安は解消された。
しかし、緑依風には好きな人がいる。
風麻にも、好きな人がいる。
いずれはきっと、離れなければならない日もやって来るだろう。
「(……それでも、まだ変わりたくねぇんだ。今はまだ、もう少しだけ……!)」
風麻は、いつの日にか訪れてしまうであろう、緑依風と自分の距離が離れる時を想像すると、ブルっと頭を振って、脳内に浮かぶイメージを消そうとした。
*
翌日の朝。
一年一組の教室に、「ギャーッ!」と悲鳴を上げる星華の声が響いた。
「ちょっとちょっと!悪かったってばぁ~!!」
風麻や爽太達から離れた場所で、星華は緑依風にこめかみ部分を両拳で挟まれ、そのまま指の関節でグリグリとねじ込むように圧迫させられ、必死で謝っている。
「全くあんたって子はぁ~!ほんっとうに口軽いんだから!!」
緑依風は小声で威圧するように、星華を叱ると、「はぁ~っ」と深いため息をついた。
奏音は「いた~い、ひど~い……」と、涙目で口をすぼめる星華を、「自業自得」と言って、冷たい目を向けた。
「それにしても、すごいね緑依風ちゃん!告白されるなんて……!」
体調が回復した亜梨明は、前日の話を聞いて、頬を押さえながら感動している。
「私はすごくないよ、すごいのは大谷くん……」
緑依風は俯きながら首を振り、否定した。
「……すごく勇気がいったと思うの。私なんか、何年も勇気が出なくて言えずにいるのに……」
好意を寄せる相手に気持ちを伝える勇気、フラれることへの恐怖心というのは、緑依風も長年片想いをし続けているため、痛い程わかる。
それなのに、彼の一大決心を、たった一言……「ごめんなさい」で終わらせてしまった。
上手くいかないとわかっていても、好きだと告げてくれた大谷に対し、緑依風は申し訳ない気持ちと同時に、尊敬の念を抱いていた。
「本当に、もったいないよ……。なんで相手が私だったんだろう……」
緑依風がぽつりとこぼすと、それを聞いた亜梨明、奏音、星華は、ぱちくりと瞬きをして、じっと緑依風を見つめた。
「なんでって……」
少し静かになった空気の中、亜梨明が困った顔で言った。
「……謙遜じゃなくて、自覚ない?」
奏音が星華に聞くと、星華はこくりと頷いた。
「――えっ、なに?私、何か変なこと言った?」
緑依風が、三人だけにしかわからない流れに、気まずいような気持ちで聞いた。
「……緑依風ってさぁ、自分が思ってるより悪くないよ?」
「へっ?」
星華の言葉の意味がわからず、緑依風は聞き返す。
「昔から、自分を『デカブツ』だとか、くせ毛が嫌だとか、自信無いって言ってるけど、うちらから見た緑依風って、可愛いよ?」
「ええっ⁉」
突然、言われ慣れていないことを星華に言われ、緑依風は素っ頓狂な声を出した。
「う~ん、可愛いというより美人の部類かもね?」
「そ、そそそそんなことっ……!」
今度は奏音に言われた言葉に、両手を前に出して、ぶんぶんと首を横に振る。
「そんなことなくないって!目はぱっちり二重だし、鼻筋も高くてかっこいいよ!」
「そうだよ~!緑依風ちゃんは気にしてるみたいだけど、スタイルもすっごくいいし、羨ましいとこだらけだよ!自信持って!」
「~~~~っ!!」
奏音と亜梨明にも褒めちぎられると、緑依風は真っ赤な顔を両手で覆って、喉奥から言葉にならない声を鳴らし、
「……んで、このギャップね。すごく純情。男は絶対こういうの好き!クラスの男子もたまーに話してるよ?「さすが、青木先輩の従妹だ」って。立花には悪いけど、緑依風の方が海生先輩との血の繋がりがわかるもん」
立花本人がいないとはいえ、星華がズバズバと言いにくいことを話すのを、緑依風は顔を押さえたまま聞いていた。
「……そんなの」
ようやく声を発した緑依風は、のろのろと立ち上がり、恥ずかしさに目を潤ませたまま話し始めた。
「今まで……星華も晶子も、誰も言ってなかったじゃない。やっぱ嘘でしょ……」
「だ~って、褒め倒すと緑依風泣いちゃったんじゃん!今も泣きかけちゃってるし、気まずくなるから言わないでおこうって思ったんだよ。……あとは、そうだなぁ~……その背の高さに対して、やっと顔が追い付いたかな?」
「追い付いたって?」
意味がわからず、亜梨明が星華に聞いた。
「去年までは、背が大人と同じくらいあるのに、顔の形とか、ほっぺ周りがぽちゃっとしてるっていうか~……。わかりやすく言うなら、大人の体に子供の顔がくっついてるって感じ。それが春頃?特に夏休み明けから、一気にバランスが良くなったんだよ!」
「なるほど!顔は子供、体は大人だったんだね!」
まるで、人気アニメの少年探偵のような例え方をする亜梨明。
緑依風はまだ熱の冷めない頬から、ゆっくり手を離すと、だんだん嬉しいと思える気持ちも滲んできて、照れるように小さく体を揺らした。
「にしてもさ、緑依風が告白されるって聞いて、仮病使うなんてさ~。坂下って、実は緑依風のこと好きなんじゃないの?」
奏音に言われて、緑依風は「えっ?」と顔を上げた。
「だってそうでしょ?どうでもよかったら、わざわざそんなことする?この間の誕生日の時だって、緑依風が教室を出てすぐ、慌てて追いかけて行ったんだよ?緑依風は、意識されてないからやたら距離が近いんだって言うけど、本当は、好きだからスキンシップ取りたいんじゃないのかなぁ?」
奏音の予測に、星華が「ダジャレ……」と言うと、奏音は表情を変えずに、星華の頭に拳を落とした。
「…………」
緑依風は、
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