第121話 モテ期?(後編)
ぼんやりとした日が照らす、夏城中学校の中庭。
小さな池を囲うように植えられたもみじの葉色が、所々変化し始めている。
「……まだ、来てないか」
中庭に辿り着いた緑依風がそう思っていると、誰かが砂利を踏む音が聞こえた。
「あ……」
緑依風が振り返ると、固い表情をした、大柄な男子生徒が後ろに立っていた。
「大谷くん……だよね?」
「あっ――そのっ……!!」
緑依風が見上げた途端、大谷は大きな手のひらで顔を半分ほど覆い隠し、沈黙してしまった。
「……うん」
数秒経って、ようやく頷いた大谷。
地黒なのか、茶色めいた肌の色。
眉毛は太めでキリリとしており、星華が評価するよりも、顔立ちは悪くない。
「…………っ!」
チラリと目玉だけを動かして緑依風を見た大谷は、周囲を囲うもみじのように、黒い肌を赤く色付かせた。
緑依風も初めての男の子からの呼び出しに緊張していたが、大谷の緊張度合は、もっと上なのだと伝わるほど、彼の表情や佇まいは、固くてグラグラしている。
「あのっ、手紙……滝ちゃんから、受け取りました」
「あっ、うん……!その……滝さん、から……松山さんと友達だって、聞いてたから……」
一つ会話をするごとに、沈黙になる。
大谷は、「困ったな……」と、弱く笑うと、両手で顔を覆い、深く深呼吸した。
「なんて言うか、練習……したのに。言葉が、出ない……」
「ゆっくりでいいよ」
緑依風が言うと、大谷は首だけで頷き、顔から手を退けた。
「あのっ、呼び出しの目的は……多分、わかってると思う」
「うん」
「俺のこと、知ってる?」
「うん、野外活動の委員会で、私がペンを貸した子だよね?」
緑依風が言うと、大谷は少し嬉しそうに歯を見せて、「よかった、覚えててくれた……」と、小さな声で言った。
四月。
三組の副委員長を務める大谷は、欠席した男子委員長に代わり、一年だけの委員会に、女子の委員長と共に参加した。
ところが大谷は、うっかり筆記用具を持たないまま会議に来てしまい、それに緑依風が気付いて、予備で持っていたシャーペンを貸してあげたのだった。
「これ、私のでよければ使って。あ、消しゴムも二つ持ってるから」
常日頃、不測の事態に備えてシャーペンと消しゴムを二つずつ持っていた緑依風は、大谷にそれぞれ一つずつ貸し与えると、ニコっと笑顔で一礼して、爽太の隣の席へと座った。
「――俺、その時のことが、ずっと頭から離れなかった。クラスも違うし、あれ以来一言も話も出来なかったけど……。廊下で、松山さんとすれ違うたびに、あの時の松山さんの優しさとか、笑った顔が……もっとたくさん見たいって、思っちゃって……!でも、見てるだけじゃいつまで経っても、話せないから……だから……」
大谷はそこまで話すと、「はぁ……」と一旦深く息を吐きだし、トントンと、拳で胸の真ん中を軽く叩き、自分自身を落ち着かせようとしていた。
「俺、松山さんが好きです……大好きです!松山さんと喋って、歩いて……そばに、いたい……っ!」
大谷の熱くて、自分を想う真っ直ぐな感情に、緑依風は胸の奥と目の奥が同時に焼けるような感覚になった。
「…………っ」
すぐ断ろうと思っていたのに、こんなに一生懸命な人の気持ちを終わらせてしまうことが申し訳なくて、緑依風の心に迷いが生まれる。
それでも――。
「……ごめんなさいっ」
緑依風は涙を滲ませながら、その言葉を選んで告げた。
「わたしっ……わたしも、好きな人……いる、から」
だから応えられませんと全て言い切る前に、緑依風は言葉を詰まらせ、深く頭を下げた。
「…………」
大谷の足元が、緑依風の目に映る。
「……そっか」
そう言った大谷は一歩踏み出し、「松山さん」と、緑依風を震える声で呼んだ。
「…………っ」
緑依風が顔を上げると、大谷の目が赤く潤んでいる。
彼も泣きそうな顔だった。
「いいんだ。上手くいかないって、最初からわかってたんだ。それでも、もしかしたらがあるかもって、それに賭けた。言わないままよりも良いはずだって」
「ごめん、本当に……ごめんねっ……!」
緑依風が泣くのを堪えながら謝ると、大谷はハッと、短く息を吐きながら笑って、「どうして、松山さんが泣くの?」と、言った。
「困ったな……。付き合って、松山さんの笑った顔が見たくて、告白したのに……。松山さんを泣かせるつもりじゃ、なかったのに……」
大谷は鞄を持ち直すと、「ごめん、忘れて」と言って、立ち去ろうとした。
「お、大谷くんっ、待って!」
背を見せる大谷を、緑依風は引き留めた。
「あのねっ、これだけは言わせて……!ありがとう!私なんかのこと……一回しか話したことのない私を、好きになってくれたこと、それは――!」
「うん、でも……これ以上は、辛くなるから……。だから俺も……ありがとう、松山さん!」
大谷は振り返らずに、そのまま走って中庭を後にした。
「…………」
横に吹く風が、緑依風の目に滲む涙を乾かす。
緑依風は知らなかった。
好きな人にフラれるのと同じくらい、人をフッてしまうことも辛いのだと……。
「……帰ろ」
小さく独り言を言うと、緑依風は鞄を持ち直し、正門へと向かおうとした――その時だった。
「ん?」
背後からバタバタと誰かの足音が聞こえた。
「緑依風~っ!」
緑依風が振り返ると、練習着姿の風麻が走ってやって来た。
「えっ、風麻っ!?」
風麻は、緑依風の前で立ち止まると、はーっはーっと、息を整えながら、膝に手を付いた。
「どうしたの?部活は?もう始まってるんでしょ?」
よく見ると、風麻の足はすでに、膝を保護するためのサポーターも装着されている。
「そ、空上から……緑依風が告られるかもって、聞いて……」
「えっ⁉」
緑依風は驚愕のあまり、少し濁った声を上げると、「あのバカ、明日覚えてなさいよ……」と拳を強く握り締めて震わせた。
「…………」
風麻は何やらジッと、緑依風の顔を心配そうに見つめている。
「……で、何?話ならもう終わったけど?」
知られてしまったからには、もう誤魔化すことも出来ないため、緑依風はさっさとこの話題を終わらせれるよう、素っ気ない態度で言った。
「いや、その……断った、か?」
「…………!」
聞きづらそうな顔をしているが、知りたいといった様子の風麻に、緑依風は「うん……」と、返事をした。
「断ったよ、申し訳なかったけど……」
そう答えながら、先程の大谷の背中を思い出し、緑依風は悲し気に俯いた。
すると、風麻は深くため息を吐き、「そっか……」と安堵するような声で言った。
「……よかった」
「えっ?」
小さすぎて聴きとりづらい風麻の言葉に、緑依風が小首を傾げる。
「あっ、そのっ!何でもねぇ!!……そっかそっか、せっかくのモテ期到来だったかもなのに、残念だな!」
茶化すようなわざとらしい素振りで、風麻は両手を頭に掲げ、ニッカリと笑う。
「何よ……失礼しちゃう!……それより、部活抜け出して怒られないの?」
「あぁ。『腹痛いです!』ってトイレに行くフリした!」
「仮病じゃないっ!……まったく、私はもう帰るから、あんたも早く部活戻って!」
緑依風が風麻の背中をバシバシと、軽く叩くと、風麻は「へいへい、わーってるよ!」と憎まれ口を吐いて、体育館へと戻って行った。
「ホントにもう……」
緑依風には、風麻が何故、星華に知らされて結果を聞きに来たのかわからない。
それでも、体育館に向かって走る彼の足取りは、何故かスキップでもするような、跳ねた足取りだった。
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