第120話 モテ期?(前編)


 翌日。

 今日は亜梨明が学校を休んでいるため、緑依風の周りは少し寂しい。


「昨日の夜、一気に寒くなったし、亜梨明ちゃん急な寒さで体調崩しやすいって、言ってたもんね」

 星華の言う通り、体の弱い亜梨明は気候の変化にも体調が左右されやすい。


 幸い、ちょっと体が重い程度らしいが、四月の教訓もあって、念のために欠席することにしたそうだ。


「寝転がってるだけなら元気だから、心配しないで!」

 亜梨明の病状を心配する緑依風と星華に、奏音が言った。


「今頃は、フィーネが遊んでくれてるんじゃないかな?猫って懐かないイメージがあったけど、亜梨明が学校から帰ってくると玄関まで迎えに来るし、亜梨明がお風呂入ってる時は、ドアの前でずーっと出てくるのを待ってるんだよね」

「へぇ〜、犬みたいだね!」

 奏音と星華が楽しげに雑談をしている中、緑依風だけが、どこか落ち着かない様子で、チラチラと斜め下にある筆箱へ視線を配っている。


「どうしたの緑依風?なんかこの間から様子変じゃない?」

「えっ?」

 奏音に問われて、緑依風は肩をビクッと動かした。


「あ、そうだ緑依風。悪いけど、シャーペンの芯一本めぐんで~!買い忘れちゃってさ~!」

 替え芯が無くなっていたことを思い出した星華が、両手を合わせて緑依風に頼むと、緑依風は「うん……」と言って、筆箱を開けた。


「あっ――!」

 緑依風が、替え芯の入った四角い容器を取り出すと、ペンと共に筆箱の中にしまわれていた白い紙が、はらりと床に落ちた。


「ん?何か落ちたよ」

「待ってっ――!」

 緑依風が手を伸ばす前に、星華がサッとそれを拾い、半開きになった折り目の付いた紙を広げる。


 星華は「ん~?なんか書いてる……」と呟きながら、紙に書かれた内容を読むと、カッと大きく開いた目を輝かせ、スゥッと勢いよく息を呑んだ。


「こっ――!!」と、星華が大声を上げようとした瞬間、緑依風が星華の口を背後から抱き締めるように塞ぎ、それを阻止する。


「大声出したら、引っ叩くよ……!」

 緑依風が小さく低い声で警告すると、星華はコクコクと口を塞がれたまま頷いた。


 *


 昼休みになった。

 緑依風は、奏音と星華と一緒に昼食を食べながら、前日の話を詳しく説明した。


「――で、それがこの手紙ってことね」

 奏音がマッシュポテトを飲み込んで、中央に置かれた紙を指差した。


「うん……」

 緑依風は困ったような、恥じらうような表情で頷いた。


「大谷くんって、誰なんだろう……聞いたことある気がするけど、顔と名前が一致しない……」

 四クラスある上に、同じ小学校ではない男子生徒、大谷。


 部活をしている奏音や星華と違い、帰宅部の緑依風は、風麻や爽太、クラスメイトの男子以外の者とは、特に交流などがなかった。


「私知ってる!バスケ部の子だよ!」

「えっ、星華知ってるんだ?」

 奏音が聞くと、「これに情報書いてるもん!」と、『イケメンノート』と書かれた、A5サイズの小さなノートを取り出した。


「うわ、それまだ持ち歩いてたんだ……」

 緑依風が顔を引きつらせると、星華は「顔がぼちぼち良い子だった気がするから、確か調べたんだよね~!」と言って、パラパラとページを捲っていく。


「――あっ、あった!大谷修也しゅうや。バスケ部で春ヶ崎小出身!顔は中の中で……あ~ごめん、普通だった!彼氏候補ランキングは二十三位!」

「それ、『失礼ノート』にタイトル変えない?」

 星華のあんまりな説明に、奏音はジトっとした目でお茶を飲んでいる。


「でもでも、確か一年で一番背が高いよ!バスケは小学校からやってたみたいで、唯一、一年でベンチ入りしたって!あとは~……三組の副委員長やってる!」

「…………!」

 “三組の副委員長”と聞いて、緑依風はハッと思い出した。


 四月に、野外活動の歌の曲目を話し合うために行った委員会で、三組の委員長の代理で参加した男子生徒だ。


 緑依風の記憶に残る大谷の印象は、静かで素朴。

 それから、星華の言う通り、自分よりも爽太よりも高い身長で、恐らくあの時点ですでに、170センチはあったであろう。


「私、その子知ってる……!」

「私もわかった!スポーツ刈りの子だ!」

 緑依風だけでなく、どうやら奏音も大谷がどの男子生徒なのか思い出したようで、パンっと軽く手を叩いた。


「ふっふっふ!このノートが役立つ日が来るとは!……まぁ、私のためじゃなかったけど。……で、どうするの緑依風?」

「えっ?」

 星華が聞かれて、緑依風はキョトンとした顔になる。


「告白……されるかもなんだよ?返事は?」

「…………」

 奏音に一番悩んでいることを言われると、緑依風は眉を下げて、中央に置かれた手紙を手に取った。


「気持ちは嬉しいけど、私には……好きな人いるから……」

 緑依風が俯きがちに言うと、「だよね~」と、星華がため息をついた。


「うん、申し訳ないけど……」

 緑依風は小さなメモ用紙に書かれた、大谷の手紙を度読んだ。


 よく見ると、『松山さんへ』の文字は、後の文章よりも少しジグザグしていて、震えながら書いたように見える。


「…………」

 緑依風は、大谷のことはほぼ知らないに等しい。

 けれども、今――この手紙を書いている時の大谷のこと、滝に手紙を託した時の大谷の心情を、深く、とても深く考えていた。


 *


 放課後――。

 緑依風は終礼を終えてすぐ、中庭へと向かった。


 普段なら、部活に向かう風麻に「じゃ、頑張って!」などと、一声掛けるのだが、今日はそんな余裕もなく、鞄を持って、急ぎ足で教室を飛び出した。


「あ?緑依風のやつ、どうしたんだ?」

 爽太と部活に行く用意をしていた風麻は、いつも必ず声を掛けてくれる幼馴染が、何も言わず、慌てて出て行ったことに不信感を抱く。


「急用?おうちのこととか、妹さんのこととか?」

 爽太が言うと、「んっふふふ~♪」と星華がニヤニヤしながら笑いを堪えている。


「知りたい?気になる?」

「なんだよ、空上。知ってんのか?」

 風麻が尋ねると、星華はニマ~ッと口を曲げて、「実はね~」と緑依風の行く先と、その理由を語り始めた。


 もし、この場に奏音がいれば、この企む星華を止めてくれただろう。


 しかし、奏音もすでに部活に向かってしまった今、おしゃべりな彼女の口を塞いでくれる者は、誰もいなかったのだった。


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