第118話 風麻の好きな人


 日曜日の午後――。

 緑依風は、完成したバースデーケーキを持って、坂下家のインターホンを押した。


 ――ピンポーンと、音が鳴ると、まるで来るのを予想していたかのように、ドアはすぐ開かれた。


「よっ!待ってたぜっ!!」

 その言葉通り、大好物のケーキが食べられることを、ワクワクしていたような目の風麻。


 恐らく、モニターを見てすぐダッシュしたのであろう。

 家の周辺を出歩く時に使うサンダルを、きちんと履かないまま外に出たため、伊織に後ろから「裸足で降りちゃダメって言ってるでしょ!」と、叱られている。


 先日は、大人にならなきゃと意識した風麻だったが、やはりまだまだそれは遠いようで、緑依風は呆れつつも、そのことに大きく安心していた。


「はい。二日遅れだけど、今年のバースデーケーキだよ!」

「やった~っ!やっぱり誕生日にはこれが無いとな!」

 風麻は緑依風からケーキが入った箱を受け取ると、大事そうに抱えながら、ニィッと笑った。


 箱の中には、風麻の好きなチョコレートをたくさん使った、直径約9センチ程の小さなホールケーキが入っている。


 デコレーションにもこだわった。

 飾り付けは苦手だが、父親のアドバイスをもらい、フルーツの綺麗な乗せ方や、くるくると渦を巻く、薄くてパリパリのチョコレートも、この日のために一生懸命練習したのだ。


 緑依風は完成した瞬間――いや、作っている最中も、風麻がどんな顔をして喜んでくれるかと想像しては、期待に胸を躍らせた。


「なっ、上がってけよ!早速食べる!」

「うん、感想聞きたい!」

 風麻に手招きされた緑依風は、ちょっぴり頬を熱くして、彼と共に家の中へと入っていった。


 *


 風麻から、先に部屋に行くように言われた緑依風は、バースデーケーキが入った箱を持って、彼が戻ってくるまでの間、散らかった床の空いているスペースに座り、静かに待っていた。


 勉強と同じく、片付けも苦手な風麻の部屋は、部活で汗拭きに使ったであろうタオルが、丸まった状態で落ちていたり、靴下の片方だけが机の下にあったりと、お世辞にも綺麗とは言い難い。


「さすがに掃除はできないけど、二人分座るスペースくらいは……」

 それと、ケーキを置く場所も。


 緑依風は、部屋の真ん中に置かれた風麻のスポーツバッグと、週刊少年向け漫画雑誌を押し動かして、彼とバースデーケーキの場所を作った。


 ――バタン!と、少し雑な開け方をされたドアの音と共に、風麻が「おまたせ~」と言って、二人分の飲み物とフォークをトレーに乗せて入ってきた。


「ん?フォークなんで二個?」

 風麻が食べるのだから、一つで充分のはずなのに、彼が持っているトレーの上には、銀色のフォークが二つ乗っている。


「一緒に食おうぜ!」

「えっ、いいよ!私はもう味見したし。風麻、いつもは一人で全部食べるじゃない!」

「いいじゃん!二人で食った方が、祝ってもらってる気持ちになるからさ~!」

 風麻は「ほいっ!」とフォークを緑依風に差し出すと、マグカップに入った甘いカフェオレも緑依風の前に置いた。


「ありがと」

 緑依風が作ったバースデーケーキを二人で食べて、風麻の誕生をもう一度祝う。

 なんだか、いつもより特別な行いみたいで、緑依風の胸に温かいものがふわりと広がった。


「おおっ、すっげ~!!おじさんのお店に並んでそう!」

 箱を開けた瞬間、風麻の顔は感動に溢れ、それを見た緑依風も笑みがこぼれる。


「練習したからね。味も、去年より自信あるよ!」

「食べていいか?」

「もちろん!」

 緑依風が頷くと、「いっただきまーす!」と叫んだ風麻は、『HAPPY BIRTHDAY』と書かれた、ホワイトチョコのプレートをパクリと食べた後、箱の中にあるケーキをお皿に移さぬまま、フォークを突き刺す。


 風麻は、大きめに切り取ったケーキを、大きな口で頬張った途端、「んぅ~!!」と喉を響かせて、感嘆の声を漏らした。


「うんめぇ~!!」

 まだ口にケーキが残ったまま、感想を伝える風麻。

 緑依風は、ちょっとお行儀が良くないと思いつつも、喜んで食べる風麻の顔を見ているうちに、そんなことはどうでもよくなった。


 緑依風も少しずつフォークを刺して、自分が作ったケーキを食べた。

 前日に試食した時よりも、味が馴染んで更に美味しく感じる。


「(それとも、風麻の喜ぶ顔が見れたことが、隠し味のスパイスみたいに、余計に美味しさを感じさせてくれてるのかな……なんて)」

 ――と、緑依風が思いながら微笑びしょうしていると、「そういえばさぁ~」と、フォークを口の中に含んだままの風麻が、話を切り出した。


「この間泣いた理由……」

「えっ⁉」

「あれホントに、ケーキが作りたかったって理由だけで泣いたわけ?」

「わ、忘れてよ……」

 思い出した途端恥ずかしくなった緑依風は、顔を横に逸らして言うが、風麻はずいっと前のめりになり、「教えろよ~」と問い詰める。


「あ、あんたが……ケーキ無くても、嬉しそうに……する、から……」

 風麻の視線に耐えられなくなった緑依風が、絞り出すような声で答えるが、その更に奥の理由など知らない風麻は、「なんだそりゃ……」と、フォークごとモグモグ口を動かしながら呆れた顔をした。


「も~っ、うっさいな!自分でもバカだなってわかってるよ!」

 緑依風はそう叫ぶと、スカートの裾をキュッと掴んだまま、斜め下を向いた。


 風麻も、これ以上聞くと緑依風の機嫌が余計に悪くなると感じ、残ったケーキを黙って食べた。


 *


「美味かった!ごちそーさん!!」

 ケーキを食べ終えた風麻が、フォークを箱の中に置いて、両手を合わせながら言った。


「はいよ、お粗末さん」

 緑依風はペコっと小さく頭を下げると、マグカップやフォークをトレーの上にまとめ始めた。


「いや~、マジ美味かったよ!こりゃ来年も楽しみだな!」

「そう?じゃあ来年はもっと、見た目も味も、今日より良い物が作れるように頑張るね!」

 来年も楽しみということは、来年も風麻のバースデーケーキを作ってもいいということだ。

 緑依風はその言葉に喜びを感じ、上機嫌になる。


「――あ、そうだ。この間借りた漫画返すわ」

 風麻はそう言うと、本棚から緑依風が先日貸した少女漫画を取り出した。


 夏休みから、女の子の気持ちを学ぶために、少女漫画を読み始めた風麻だが、あれ以来、少年漫画には無い作風や丁寧な心理描写などが面白いと言って、緑依風が最初に勧めた作品以外の漫画も借りるようになっていた。


 もちろん、理由は面白いだけでなく、もっといろんな恋模様を知りたいと思った風麻の、半分嘘のようなものなのだが……。


「この作品はどうだった?」

 緑依風が聞くと、風麻はパラパラとページを捲り、「女子ってこういうの好きなわけ?」と、気になるシーンを緑依風に見せた。


「あぁ、壁ドンね。好きっていうか、好きな男の子にされたらドキっとするかもね」

「実際にそんなことするやつなんているのかよ?」

「さぁ~?」

 緑依風は答えながら漫画の流し読みをし、「あ、でもね~。こういうのは好きかも」と、風麻に別のシーンを見せた。


 それは、ヒロインの少女が、先生に頼まれた重い荷物を運んでいる時に、気付いた男子生徒が優しく声を掛け、手伝うシーンだ。


「親切な人っていうのは、それだけで好感度上がるよね。この男の子、そういうさりげない優しさが魅力的だし、そういうの上手い子っていうのは、その時好きじゃなくても、だんだんと惹かれていくものじゃない?」

「好きなやつが他にいてもか?」

 その男子生徒は、最終的にヒロインと結ばれることは無かったが、中盤ではいい雰囲気になり、ヒロインの心も揺れていた。


 男子生徒が自ら身を引かなければ、このまま両想いになる可能性もあった。


「う~ん……そこは人によるかもだけど、でもリアルな女子の声……あ、私個人としては、こっちの子より、この子の方が好きだったな!」

 緑依風が自分の意見を述べると、風麻はじっとそのページを――そのキャラクターを凝視していた。


「そっか……。それなら俺にもできるかな……」

「えっ?」

「あっ――!」

 緑依風が聞き返した途端、慌てて口をガバッと押さえる風麻。

 彼はそのまま気まずそうに下を向き、言葉を失った。


「なぁに、それを真似したい場面でもある?あっ、もしかして風麻にもついに、好きな人ができた!?」

 茶化すような口調で言う緑依風だが、内心はものすごく焦っていた。

 心音がドクンドクンと大きく鳴り響き、風麻の手が口から離れるのを待つ――。


「……いねぇよ、好きなやつなんて……。いつかできたらって、ことだ……」

「…………」

 ――いるんだ。

 緑依風の心の声が呟いた。


 口では否定はしても、風麻の顔が、声が、この部屋の空気が、そう告げている。


「ふーん……」

「…………」

「――うん、そっか……“いつか”ね……」

「おう、まだまだ先だ……」

 風麻は緑依風と目を合わさぬまま、開きっぱなしの漫画を閉じた。


「……さて、私そろそろ帰るよ」

「あ、あぁ……」

 緑依風は風麻から漫画を返してもらうと、開きっぱなしだったケーキの箱を小さく折り畳み、風麻もケーキに巻き付けていたフィルムをゴミ箱に捨て、片付けを始める。


「じゃ、また明日ね!」

「あぁ、ケーキありがとな!」

 ぎこちない顔で手を振る風麻に、緑依風は明るい笑顔を作って振り返す。


「…………」

 パタンと、坂下家のドアが静かに閉じられると、緑依風は作り笑顔をやめ、漫画本を両手でギュッと強く握り締めた。


「――――っ!!」

 まだわからない。

 しかし、嫌な予感が止まらない。


「どうしよう……どうしよう……」

 そう繰り返し呟く緑依風の体は、声と同じくらい震えていた。


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