第117話 本当は


 土曜日。

 緑依風は冬丘街のショッピングモールに、風麻の誕生日プレゼントを買いに来ていた。


 午後からは一学期同様、仲の良いメンバーで木の葉のミーティングルームに集まり、テストに向けて勉強会を行う。


 なので、午前中のうちにプレゼントを決め、購入しなければいけない。


「赤と黒のかっこいいやつ……ね」

 あれから三日経った今も、風麻の言葉が胸に引っかかっている。

 バースデーケーキを作りたい気持ちも、まだ消えない。


「(ウジウジしてて、やんなっちゃう……)」

 いつまでも引きずったままの自分に、緑依風は「ふぅ……」と息を吐きだし、肩を落とす。


「作れない分、ちゃんと風麻が喜んでもらえるもの選ばなきゃ!」

 緑依風は気を取り直し、早速風麻のプレゼントを選び始めた。


 *

 

 十月二十五日。

 中間テスト最終日――風麻の誕生日当日。


 テストが始まる直前までは、憂鬱な顔して教科書を凝視し、ギリギリまで爽太に質問を繰り返していた風麻だったが、テスト終了のチャイムが鳴り、答案用紙が回収されると「お~わったぁ~!!」と、すっきりした顔で叫び、ぐんと両手の拳を突き上げた。


 前日まで「赤点取ったら母さんに殺される……!」と、恐怖に震えていた風麻。

 だが、今はもう、点数のことよりも、自分の十三歳の誕生日を祝ってもらうことで、頭がいっぱいのようだ。


「ケーキはでっかいの頼んでもらったんだ!んで、晩御飯はハンバーグと牛肉のステーキ両方作ってもらうんだ!くっは~!楽しみ~っ!!」

 浮かれまくって今にも踊り出しそうな風麻に、教室に入ってきた波多野先生が「終礼しないと帰れないんだが、いいのかな?」と注意すると、風麻はハッと我に返り、「スンマセン……」と席に着いた。


 ――放課後。


 テストも学校行事も終わり、ようやくお祝いができる時間になった。


 緑依風と亜梨明、爽太と奏音、星華は、それぞれ用意したプレゼントを渡すため、風麻の机を中心にして集まった。


「じゃ、最初は緑依風ちゃんからね!」

「う、うん……!」

 亜梨明に背中を押され、緑依風はプレゼントを風麻に差し出す。


「おめでとう、風麻」

「おう、やっとお前と同い年だな!さ~て、プレゼントは何かな~?」

 風麻は綺麗にラッピングされた紙袋を、ビリっと破いて中身を取り出す。


 緑依風は、風麻が友達と遊びに行く時などに、ちょっとしたおしゃれで使えるだろうと、赤と黒のマーブル柄で、シリコンタイプのリストバンドを選んだ。


 かっこつけたがりで、スポーティーな服装を好む風麻なら、こういったものも好きかもしれないと思ったからだ。


「おっ!いいじゃん、コレ!」

 風麻は早速手首に装着すると、「どうよ?」と緑依風や爽太達に見せびらかした。


「よく似合ってる!」

「さすが幼馴染だね!風麻の好みがわかるんだ?」

 爽太が言うと、それだけではないと知っている相楽姉妹と星華は、「よかったね」と言いたげな表情で、ニヤニヤしながら緑依風を見ている。


「サンキューな、緑依風!」

「うん、気に入ってもらってよかったよ」

 風麻はニカニカとご機嫌な表情のまま、今度は爽太からのプレゼントを受け取った。


 爽太の次は奏音、星華――亜梨明の順で、プレゼントを渡していく。


「坂下くん、お誕生日おめでとう!」

「お、おう!ありがとな!……開けていいか?」

「うん、開けてみて~!」

 少し緊張したような手つきで、風麻は不織布タイプの紺色の袋に結ばれたリボンを、シュルっと解き、中身をそっと取り出す……。


「おぉっ!」

 袋から出てきたのは、燃えるように真っ赤な色をした、スポーツタオルだった。


「は、派手だ……!」

 星華だけでなく緑依風も、亜梨明が選ぶとは想像しがたい色のタオルに、目をぱちくりとさせた。


「……ん、何か書いてあるぞ?」

「あ、広げてみて!」

 亜梨明に言われて風麻がタオルを広げると、『強い想いが勝利につながる!!』という文章が、太い筆で書かれたように、プリントされている。


「すっげ~っ!俺、こういうの大好きっ!」

「ホント!?」

 この日一番の、嬉しそうな反応。

 緑依風は、その風麻の笑顔を見た瞬間、なんだか複雑な気持ちになった。


「星華ちゃんの言う通り、私もちょっと派手すぎるかなって思ったの。でも、奏音に相談したら、坂下くんこういうの好きそうって言うし、じゃあこれにしてみようかな~って、決めちゃった!」

「いやいや、こういうのだよ!……ってか、すげぇ嬉しいっ!!ありがとな!!」

 風麻は余程感動したのか、顔も耳もそのタオルと同じように真っ赤にして、ギュッとタオルを握り締める。


「…………」

 ついさっき、爽太に「さすが幼馴染だね!」と言われたが、出会ってたった半年しか経っていない亜梨明の方が、彼の好みを理解していたことに、緑依風は「何が幼馴染だ……」と、胸の内でそっとこぼす。


「(長い付き合いなのに、風麻が一番喜ぶ物を選べないなんてさ……)」

 緑依風がそう落ち込んでいる間も、風麻は他のプレゼントも再度手に取りながら、「これもいいよな~!」や「爽太のプレゼントも自分じゃ選ばねぇけど、気に入った!」「みんなありがとな!」と、どの贈り物にも目を輝かせて、喜んでいる。


 そして、緑依風はその時気付いた。

 風麻は、自分が作ったバースデーケーキが無くとも、こんなに嬉しい顔をするんだと――。


 そっか、そうだったんだ――。

 風麻は私が思う程、私のバースデーケーキなんて求めていなかったんだ。


 緑依風にとっては、一年に一度、言葉にできないありったけの想いを詰め込んだケーキでも、風麻にとっては、日頃から分けてもらっているケーキと、そんなに違いは無いのかもしれない――。


「(バカだね、当たり前じゃん……。だって、私の片想いなんだから)」

 その事実が虚しくて、苦しくて……緑依風の目に生ぬるいものが滲み出し、視界がグラグラと揺れ始める。


「松山さん……?」

「……っぅ、うぅっ……!」

 それまでワイワイと賑やかな声が響いていた教室が、緑依風が泣いていることに気付いた爽太の一声で、ピタリと静まり返った。


「緑依風ちゃんっ、どうしたのっ!?」

 亜梨明は緑依風に駆け寄り、下を向いて、手の甲で目を押さえる緑依風を心配する。


 さっきまで笑顔いっぱいだった風麻も、ポカンと口を開けて、幼馴染が泣く姿に戸惑っているようだ。


 奏音と星華も、「なんで?」「どうして泣くの?」と、緑依風に問いただすが、緑依風は嗚咽を押さえられないまま、「なんでもない」と繰り返し、答えなかった。


「ごめっ、わた、しっ……!先帰るからっ!!」

「お、おいっ、緑依風っ!!」

 鞄を手に取り、逃げるように教室を出て行く緑依風は、風麻が呼び止めても振り返らずに、階段を駆け下りていく。


 聞かれたくない、呆れられる――。

 せっかく楽しい雰囲気だったのに、泣き出し、後味の悪いものへとしてしまったことで、緑依風は罪悪感に駆られるまま、急いで靴を履き替え、校門へと走る。


 風麻の喜ぶ顔が見れたんだからいいじゃない。

 誕生日を祝えたんだからいいじゃないと、言い聞かせても、心の深い場所から上り詰める悲しみや虚しさは、そう納得させてくれない。


「おいっ、待てよ!緑依風っ!!」

 風麻の声と、駆ける足音が聞こえてくると、彼はあっという間に緑依風の腕に手を伸ばし、掴まえてしまった。


「なぁ……なんでだよ?なんで泣いてるんだよ?」

 息を切らし、困ったように尋問する風麻に、緑依風は「なんでもないって言ってるでしょ!!」と、大声を上げて、手を振り払おうとする――が、風麻はギュッと緑依風の手を強く掴み続け、逃がさなかった。


「……なんでもないのに、突然泣くかよ……」

「…………」

 しばらく黙っていた緑依風だが、話すまで離さないといった気迫の風麻に観念し、「ほんとう、は……」と、絞り出すような声で、話を切り出した。


「本当はね……風麻の誕生日ケーキ、作りたかったの……っ!」

 緑依風が涙の理由を語ると、風麻は「へ……?」と眉を曲げた。


「風麻に食べてもらいたくて……。どんなの作るか、ずっと前から考えてたの……。わかってるよ……あんたが私のために、作らなくていいって言ったこと。……でも、私は……――」

「…………」

 風麻はゆっくりと、握っていた緑依風の手首を離した。


 今なら逃げれるチャンスだというのに、緑依風は溢れる涙を止めることに必死で動けず、そしてこれ以上は何も言えず、立ち尽くしていた。


 後ろからは、亜梨明や爽太達が追いかけてきたであろう、足音が聞こえてきた。


「――なぁ、緑依風……」

 風麻は緑依風の正面に回り込むと、少し背をかがめて、下から彼女の顔を覗き込む。


「食べたい!お前のケーキ!」

「えっ……?」

 緑依風は顔を押さえていた手を離し、風麻の顔を見た。


 風麻は緑依風の泣き腫らした顔に向かって、ニカーッと歯を見せて笑う。


「いつでもいい、お前が考えてくれたケーキ食べたい!」

「で、でもっ……」

「作りたかった」なんて泣いたことで、風麻に無理をさせているのではと、緑依風が頷けずにいると、風麻は「ははっ」と、困り顔で乾いた笑い声を出し、一歩後ろに下がる。


「……実は俺もさ、ホントは緑依風の作ったケーキ、今年も楽しみにしてたんだよ。……でもさ、それってどうなのかな?って。お前に負担かけてまで作ってもらうもんなのかな?って考えてさ。一個大人になるんなら、年の数だけじゃなく、ちゃんと緑依風のことも考えれるようになろうって思って、いらねぇって言っちゃったけど……逆に、泣かせちゃうなんて……」

 風麻はパンッと両手を合わせると、「悪かった!」と緑依風に謝った。


「いいの……?作って、いいの?」

 緑依風が鼻を軽くすすり、遠慮がちに聞くと、風麻は「ったりめーだろ!」と、力強い声で言った。


「……うん、ありがとう。作ったら持って行くから、楽しみにしてて!」

「おう!超楽しみにしてるからなっ!ひひっ!」

 ニッと大きく歯を見せる、風麻の笑い方。


 大人になろうと、少し背伸びした風麻だったが、そのやんちゃで無邪気な笑顔だけは、これまでと変わらないのだった。


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