第115話 人と猫(後編)


 フィーネとロンドを飼うことにした相楽一家。

 本来、過度な運動だけでなく、興奮も禁じられていた亜梨明は、真琴に「猫を迎えに行く前に、少し休みなさい」と言われて、一時間ばかり睡眠をとることとなった。


 午後からは、木の葉で里親募集のポスター作りをする予定だったが、それも必要なくなったため、奏音が友人達に制作中止と、その事情説明の連絡を行っている。


「亜梨明、中学生になって変わったな……」

 朝食を食べてから、そのままにしていた食器類を洗っている明日香の元に、真琴がそっとやって来て言った。


「そうね、びっくりしちゃった。今までは、自分がしんどくなることなんて絶対しなかったのに、子猫のためにあんな大胆な行動するんだもの……。出会った頃の真琴くんそっくりだわ」

「そうかな?」

「えぇ……おかげで、私は助けられたけどね。ふふっ……」

 明日香はお皿に付いた泡を洗い流しながら、夫の若い頃を思い出していた。


「きっと、俺達が知らない所でも、亜梨明は『誰かのために頑張ろう』って思うことが、増えているのかもしれないなぁ~。……奏音も随分、大人っぽい顔になった!」

 真琴はそう言って、スマホで文字を打つ奏音の横顔を見ながら、にっこりと笑った。

 

「さてと、日下さんの家に猫を迎えに行かないと……。連絡をお願いしていいか?」

「えぇ。必要なものも買い出しに行かないとね」

 明日香はエプロンを外すと、爽太の家に電話を掛け始めた。


「……あ、相楽です。何度もすみません……実は、猫のことなんですけど――えっ?あ、えっと……」

「どうしたんだい?」

 真琴が背後から聞くと、明日香が受話器の下の部分を手で押さえながら、くるりと振り返った。


「……子猫、日下さんちも飼おうとしてるみたい」

「え……?」


 *


 明日香が唯から聞いた話は、こんな内容だった。


 亜梨明達が帰った後、ひなたの友人の親から電話が掛かってきて、昨晩子犬の出産が始まったのだが、無事に生まれたのは五匹で、七番目の里親候補だった日下家は、子犬をもらえないということだった。


 犬を飼うことを心待ちにしていたひなたと晴太郎は、とてもがっかりしてしまい、その代わりに唯の提案で、フィーネとロンドを正式に日下家で飼おうということになったらしい。


 そして、明日香と唯で話し合った結果、それぞれ一匹ずつ引き取ろうということになった。


 亜梨明が両親と共に日下家に再び訪れると、母親同士は「お宅もだったとは~」と笑い合い、父親同士は、先程きちんとできなかった挨拶をして、名刺交換までしている。


「まさか、保護から飼うことになるとはね」

 爽太が亜梨明に言った。


「でも、本当に良かった。もうご飯の心配も、雨に打たれる心配も、ちゃんと良い人に巡り合えるかの心配も、なんにもしなくていいんだもん!」

 亜梨明の視線の先では、フィーネがロンドの毛づくろいをしていた。


「おうちは、別々になっちゃうけどね……」

 ずっと一緒に過ごしてきた姉弟猫だったが、今日から住まいは別れることになる。


「…………」

 亜梨明がそれを申し訳なく思っていると、「猫は大人になったら、単独行動を好むんだ」と、爽太が横から言った。


「自分の道を、自分で決めて巣立つんだよ」

「そっか……。人と一緒なんだ」

 爽太の言葉に、亜梨明が心を軽くすると、「ねぇねぇ、どっちにする~?」と、ひなたが二人を呼んだ。


「ひなちゃんが選んでいいよ」

 亜梨明が言うと、ひなたは「う~ん……」と腕組をして、フィーネとロンドを交互に観察した。


「大人しく抱っこさせてくれるのは白い子だけど、遊んでて楽しいのはグレーの子なんだよねぇ……」

「呼んでみて、反応してくれる子にしてみたら?」

 唯が提案すると、「それいいかも!」とひなたは賛成し、「おいで!」と二匹に向かって叫んでみた。


 すると、ピクっと片耳を動かしたロンドが、トットットッと、ひなたの方に向かって、ゆっくり歩いてきた。――が、ロンドはその途中で方向転換し、爽太の足元へとすり寄っていった。


「僕の方に来ちゃった」

「もーっ、お兄ちゃんのとこじゃない~~っ!!」

 何故か呼んでいない爽太の下で甘え始めたロンドに、ひなたはプンスコと不機嫌になる。


「……あ、れ……?」

 爽太に甘えていたロンドだったが、急に気が変わったように離れていき、ひなたの前でお腹を見せて、構って欲しそうに転がり始めた。


「…………」

 ひなたがそのまま、ロンドのお腹をそっと撫でると、ロンドは前足でひなたの手を掴み、ペロペロと舐め始めた。


「あははっ、舌ザラザラ~っ!くすぐった~い!」

 ひなたが笑うと、ロンドはやんちゃな目つきで彼女を見上げ、「もっと遊んで」と訴えるように、後ろ足で軽くキックしてきた。


「……決めた!この子にする!!」

「うん、そうしよう!」

 爽太は振り向いたひなたに頷くと、亜梨明に「いいかな?」と確認した。


「もちろん!――あ、そうだ、名前はどうするの?」

 日下家の猫になるということは、名前ももう、『ロンド』ではなくなる。


「もう決めてるよ!今日から君は、ジャックね!」

「ジャック……かぁ。かっこいいね!」

 亜梨明が手を叩いて褒めると、爽太が小声で「犬に付ける予定だった名前だね」と、苦笑いしていた。


 こうして、ロンド改めジャックと名付けられたグレーの子猫は、日下家の家族の一員となった。


「じゃあ、私は……」

 亜梨明が斜め前を見ると、クリっとした丸い目を持つ白い猫が、亜梨明をジッと凝視している。


「フィーネ、おいで」

 亜梨明が床に膝をつき、両手を広げると、名前を覚えてしまったフィーネは、「ミャー」と返事をするように鳴いて、近付いてきた。


「この子は本当に、亜梨明が好きなんだね」

 爽太が言うと、亜梨明は近付いて来たフィーネを、優しく抱き上げた。


「フィーネ、これからよろしくね!」

 亜梨明の挨拶に応えるように、フィーネはチョンっと、彼女の頬に鼻先を付けた。


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