第110話 真夜中の公園
フィーネとロンドが殺処分されるかもしれない。
爽太から告げられた子猫達に迫る危機に、亜梨明は泣き崩れた。
しかし、泣いていてもそれは変えられない。
かといって、誰も家に二匹を連れ帰ることも出来ない――。
子猫の命を守るには、一日でも早く新しい飼い主を探すことしかなかった。
「明日、お昼の一時に店のミーティングルームに集合しようよ。海生の親には、私から貼らせてもらえないかお願いしてみる」
「うん……それしか、できない……よね」
亜梨明は涙を拭き、ぐずぐずと鼻をすすりながら、眠り続ける子猫達を見た。
「保健所に連れて行かれちゃう前に、優しい飼い主さん、私……絶対見つけるからね」
亜梨明はそっと子猫に語り掛けると、立ち上がってみんなと共に帰ることにした。
「…………」
爽太は、公園の入り口まで来たところで立ち止まり、草むらの方へと振り返る。
「日下、帰ろ……」
奏音が、亜梨明の背を支えるようにしながら、爽太に言った。
*
家に帰ってきた亜梨明は、晩御飯ができるまで眠って休んだ方がいいと奏音に言われ、部屋着に着替えてベッドに潜った。
日が落ちて少し寒くも感じたので、冷えないように弱めの暖房を付けておく。
柔らかなマットレスと、軽くて温かな毛布と羽毛布団に包まれると、亜梨明の心がズキっと痛む――。
晩御飯が出来上がったと、明日香に呼ばれて食卓に着くと、今日のメインディッシュはクリームシチューだった。
「外の風、かなり冷たくなってきたわ。なんだか雲も出てるし、食べて温まってね」
明日香はそう言って、元気の無い娘の頭を優しく撫でた。
ズキズキと、また心臓よりももっと奥が痛む。
入浴を済ませ、就寝時間となったため、またベッドに潜って眠ろうとする亜梨明。
心のズキズキは、どんどん増えていく――。
「(私、本当に幸せだ……。恵まれすぎだ……)」
今までは、重い病気を持って生まれた自分は、なんてついていないんだ。
みんなが羨ましいと、他人を嫉む気持ちばかりだった。
でも今は、その考え自体が甘いと気付き、自分を叱りたくなる。
「(私には、雨風をしのぐ家があって、両親や妹もみんな心配してくれて、具合が悪くなれば高いお金を払って、私が死なないように尽くしてくれる――)」
美味しくて温かいご飯も、寝床もお風呂もある。
フィーネとロンドには、小さくて狭いダンボールしか、守ってくれるものが無い……。
「(それなのに、捨てられたあの場所にいることすら許してもらえないなんて……酷すぎるっ……!)」
――亜梨明の閉じられた目からは、こんこんと涙が湧いて、目尻を伝って枕を濡らした。
*
深夜。
冷たい風が強まり、黒い雲が夏城町全体を覆った。
町を覆いつくした雲から降り注ぐ大粒の雨は、強い風と共に窓を大きく揺らして、ガタガタと音を立てている。
「う……なんの、おと……?」
目を覚ました亜梨明がカーテンを開けると、ザァァァァッと、ものすごい勢いで、雨が斜め横になって降っていた。
「すごい雨……。あっ――!!」
豪雨に気付いた途端、公園にいるフィーネとロンドが気掛かりになる。
数日前に設置した傘では、きっとこの雨を凌げないはず……。
亜梨明の目の奥に、二匹がダンボールの中で、必死に鳴きながら救いを求める姿が浮かぶ――。
「……助けに行かなきゃ!」
居ても立っても居られなくなった亜梨明は、ベッドから降り、机の引き出しから取り出したメモ帳に、『ネコを見に行ってきます』と書くと、今度はハンガーに引っ掛けていた厚手のパーカーをパジャマの上から羽織った。
バタンと、家の扉を開けて、嵐の中を飛び出す亜梨明。
ビュウビュウと横殴りに吹く雨風は、傘を差している意味などないと思えるほど強く、風圧で亜梨明自身も転びそうになる。
それでも亜梨明は、走って走って――急いで公園に駆け付けた。
真夜中の公園に辿り着くと、当然そこに人影はなかった。
「はぁっ、はぁっ……」
走ったせいで苦しくても、今は自分の体より、小さなフィーネとロンドが心配だった亜梨明は、パジャマ越しに胸をグッと押さえながら、子猫達の元へ向かおうとした。
「――あっ!」
草むらから離れた滑り台のそばに、もぬけの殻となった子猫達の巣箱が飛ばされて、横向きになって倒れている。
重石も設置したはずなのに、それすら吹き飛ばすような強さの風。
亜梨明が周囲を見渡すと、星華の母のストールも、ダンボールから少し手前の泥水に浸かってしまっている。
「――っう、うぅ~~っ!!」
ゴッと、音を立てて強風が迫り、亜梨明は傘にしがみつきながら、倒れないように足を踏ん張る。
「フィーネ、ロンド……!!」
亜梨明は傘を盾にするように、風が吹く方向へ傾けると、ダンボールを置いていた草むらに近寄り、フィーネとロンドを探す――が、そこに二匹の姿は無い。
振り向き、もう一度ダンボールが倒れていた場所を見ても、やはりフィーネもロンドもいない……。
――そのうち、保健所に連絡されるかも。
星華の言葉が脳裏に蘇ると、亜梨明の背筋はヒヤリと凍る。
「フィーネーーっ!ロンドーーっ!!」
亜梨明は不安な気持ちを打ち消したくて、雨風の音に負けないよう、大声で子猫達の名を呼ぶ。
「いたら出てきてっ……!フィーネーーっ、ロンドーーっ!!」
亜梨明が再び名前を呼びながら公園中を見渡しても、白い子猫とグレーの子猫の姿は現れない。
「やだ……っ」
もしかしたら、もう誰かに通報されて、連れて行かれたかもしれないという思いが
「フィーネーーっ、ロンっ――……」
「ミャー……」
「――――!!」
亜梨明が、泣くのを堪えて二匹の名前を呼ぼうとすると、風の音に紛れて子猫の鳴き声が聞こえた。
耳を澄まし、注意深く声が聞こえる方向を見ると、サツキの垣根の中に、白い何かが見えた。
「あっ!」
亜梨明が近付いて垣根の隙間を覗くと、フィーネとロンドがその中で身を潜めていた。
「よかった……」
二匹が無事だったことに、一旦は安堵する亜梨明だったが、フィーネもロンドもずぶ濡れの状態だった。
「ミャー……」
ロンドは亜梨明を見つめて、悲しげな鳴き声を上げる。
亜梨明が垣根の中に手を伸ばして、僅かに届いた指先でロンドを撫でると、ロンドの体は冷たく、カタカタと震えていた。
「どうしよう、このままにしておけない……」
しかし、連れて帰ることも出来ない。
強い風は公園の木々をこれでもかと揺らし、折れてしまいそうだ。
公園を囲うように建てられた家々の雨戸も、ガタンガタンと不穏な音を立て続け、耳を覆いたくなる。
大粒の雨で濡れた体に、吹き続ける暴風は、気化熱によって小さな子猫達の体温を更に奪っていくだろう。
「寒いよね……怖いよね……でも――っ!」
奏音に「子猫達の親代わりになりたい」なんて大口を叩いておきながら、フィーネとロンドが一番困っている時に何も出来ない無力な自分……。
「わた、しっ……何のためにここにいるのっ……!?」
二匹が心配でここに来たのに、いるだけの意味のない行動に、亜梨明が悔しさで泣きそうになっていると、誰かが懐中電灯で亜梨明とフィーネ達がいる垣根を照らした。
「亜梨明っ!?」
「あっ……!」
亜梨明が振り返ると、そこには透明なレインコートを着た爽太の姿があった。
「なんでこんなとこにいるんだ⁉びしょ濡れじゃないか……」
爽太に指摘されて、子猫だけでなく自分自身もずぶ濡れていることに、亜梨明は今になってようやく気付いた。
「子猫が心配で……。でも、どうしたらいいかわからなくて……!」
「爽太!猫いた?」
公園の入り口の方からは、同じく雨着を纏った爽太の母親、唯が走ってきた。
「猫はここです!」
「亜梨明ちゃんっ!?」
唯も、深夜の公園に亜梨明がいることに驚いている。
「猫は僕が連れてくから、お母さんは亜梨明を……。亜梨明、一回僕の家においで」
「でも……」
「亜梨明ちゃん、このままじゃ風邪引いちゃうから、うちにいらっしゃい」
唯に腕を引っ張られて立ち上がった亜梨明は、彼女に連れられ、車に乗せられた。
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